2015年11月のテーマは「山梨市の丸石道祖神」。1日からは、八幡地区を5回に分けて、16日からは、山梨、日川、日下部、後屋敷、加納岩を各地区ごとに分けて掲載します。
八幡地区は、昭和29年、合併して旧山梨市になる前の東山梨郡八幡村のこと。南、北、江曽原、市川、大工、堀内、水口、切差の8集落から成る。
▼水口 山口バス停脇
山口の道祖神も上之山と同じ安永五年(1779)造立だが、こちらは一月吉日、小正月に間に合わせたのだろうか。
山口のオコヤには象の鼻はつけないことは前段で書いたが、オコヤ正面の窓にぶら下げる大福帳には男女の性器や交合の絵が描かれているのだとか。
山口のオコヤ(地域資料デジタル化アーカイブズ提供)
道祖神は、子作りの神であり、性神でもあることがよく分かる。
山口組オコヤの大福帳(地域資料デジタル化アーカイブズ提供)
1月14日の道祖神祭りのハイライトは、ドンド焼きだが、その前に、子供たちによる「きっかんじょ」が行われる。
「地域資料デジタルアーカイブズ甲斐之倉」http://www.digiken.org/~archive/index.html。では、「きっかんじょ」をこんな風に紹介している。
山梨市下井尻のどんど焼き行事では、「おこや」と呼ばれるわら小屋を作る。同地区の西上組では、伝統的に中学生以下の子供達が組内の家庭を回り、小屋の材料となるわら、竹、薪(ここでは「もしき」と呼ばれる)をもらい集める。この作業を昔は、「木勧進」(「きっかんじょ」と呼ぶ)といったが、現在では、「きっかんじょ」は小正月の前の晩に、組内の家庭を回り、祝い言葉を申して、金銭をもらって歩くことの意味に使われる。祝い言葉は以下の様である。
「きっかんじょ、きっかんじょ、お祝いもうせ。家内安全、農業繁盛(または商売繁盛)」
小屋作りのリーダーは「親方」と呼ばれ、中学3年生から選ばれる。親方は、小屋作りの指揮をするほか、きっかんじょで得た祝い金の分配を行う役目もする。
「きっかんじょ」は子供が主役の地域が多いが、山口では大人も参加する。
子供たちが手造りの神輿を担ぎ、その後を太鼓を担いだ青年たちがついて、家々を門付けして回る。。
太鼓は道祖神祭専用の太鼓で、叩き言葉は「トンコロッペイサン トンコロッベイサン」。
門付の家の前で「おめしとごいす。今年も豊作万作なるように、お蚕大当たり、養蚕満足」とか口上を述べるが、養蚕が行われなくなって、「果物大当たり」に代わってきているのだそうだ。
神輿を担いだ子供たちは、土足のまま家にあがり、囲炉裏を3回回る。
家人が盆の上に賽銭を載せて差し出すと、代わりに札を置いて行く。
大人が参加する山口では、性的なはやし言葉も飛び交う。
「14日15日、おっかさんはどこだ 納戸の隅で ぼぼの毛をそろした 何本そろした 33本そろした もう1本足らんぞ お祝いもうせ」。
▼水口 丸山道祖神場
写真では分かりにくいが、燈籠の左下に丸石道祖神はある。
左は、青面金剛。
山梨市に来て初めてお目にかかった。
丸石神の台石は、穴だらけでひどい有様。
凹み穴の写真を集めている私は、逸品が撮れてにんまりだが。
丸石を傷つけないのは、神様だからだろう。
やみくもに石を穿っているのではない、きちんとした分別のある大人の所業なのです。
道祖神場の前は、観光ぶどう園。
丸山ではオコヤではなく、オチョウヤと呼ぶ小屋を道祖神を囲むように建て、正面からはご神体の丸石神が見えるようにしてある。
小正月のハイライト、ドンド焼きは家々から持ち寄った古い神札や門松、それにオチョウヤもバラバラにして燃やす。
ドンド焼きは長い伝統行事だから、いくつもの効能伝説がある。
〇ドンド焼きで焼いた繭玉団子を食べると虫歯にならない。
ドンド焼きで繭玉を焼く(山梨市下井尻)ー地域資料デジタル化アーカイブズ提供
〇ドンド焼きに投じた書初めが高く舞い上がれば、習字が上達する。
書初めを燃やす(山梨市下井尻)ー地域資料デジタル化アーカイブズ提供ー
〇焼け跡の灰を水に溶かし家の周りにまくと魔除けになる。
〇ドンド焼きの火に当たった夫婦がその夜交わると良い子が生まれる。
夜の火祭りは、子供たちに鮮烈な故郷イメージを焼き付ける。
大人になっても、そのイメージは消えることはない。
是非とも存続させたい伝統行事だが、主役の子供がいないムラでは、やむなく廃止に追い込まれるケースが相次いでいるようだ。
水口の奥の切差という集落にも道祖神はあるのだが、双体道祖神と石祠道祖神ばかりで、丸石道祖神はないと持参資料にあるので、行かずしまいに。
次回からは、山梨地区に入ります。
≪続く≫
◇参考図書
〇『山梨市史 民俗編』平成17年
〇市史編纂委『山梨市の石造物』平成13年
〇中沢厚『山梨県の道祖神』昭和48年
〇市史編纂委『山梨市史民俗調査報告書―水口の民俗ー』平成11年