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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

坂東観音霊場記(亮盛)・・・11/31

2023-08-11 | 先祖供養

 

坂東三十三所観音霊場記巻五

第十三番江戸浅艸(現在も第13番は金龍山浅草寺(浅草観音))

武州豊洲縣江都城北金龍山浅草寺。本尊大悲の像。人王三十四世推古帝の馭于、漁網に罹り、海中より出現したまふ。御長一寸八分(5.45㎝)の正観世音菩薩。兄弟の漁夫三人之感得也。伽藍之推輪を藜堂と号す。漁夫蒭丈の所造焉。尒後、勝海上人と云有、廣く于方界を結界して、大いに堂舎を構営し、之を開山祖と稱す。厥の后、慈覚大師の中興有りて、倍倍人法繁榮。天正年中自り、堂社僧院涌が如く起こり、坂東無雙の巨藍と成也。

當寺本尊、古へ振、秘像にして、輙く寶帳を褰(かかげ)ざれば、直に聖容を拝する者なし。海中出現の来由は、昔此の宮戸川の湄に兄弟三人の漁夫あり。孟(あに)は檜熊、仲は濱成

、李は武成と云。元自り此地、漁猟を以て恒の産業とすれば、此の三人の兄弟も且れば河邊に釣を垂、暮れば網を海中に引て、唯殺生を以て身命を資け、常に家業の拙きを歎ける。然に偶遇難き法縁に逢て、抜苦の弘誓海よりも深く、與樂の悲願須弥よりも高しと。殊勝の法門を聞より、一専觀音薩埵に帰依して手には漁網を執りながら、口には尊号を唱へ奉る。比は人王三十四代推古帝の三十六年(628年)戊子の三月十八日、四方の天気も晴彌り風定て海上浪静なり。時に彼の三人の兄弟、網を携へ小舟を掉さし、已に宮戸川の澳に至て網を海中に下しける。尒に魚類は一も入らずして、観世音の小像一躯網に罹て光を放ち玉ふ。三人は此の不思議の感得に手の舞、足の踏を覚へず。尊像を舷に居奉り、礼拝持念して時を移す。斯て三人濱邊に上り、我等が家は不浄なれば、今宵は爰に在し玉へと、其地の清き所に安置して夜も已に深更に及びて、三人民家に帰りける。翌日近邊の草刈童子大勢打群れたるに、忽ち草陰に光さして、恰も電光の閃が如し。彼等此の光に驚見れば、大悲の小像魏然として藜の本に在しける。斯る所へ三人の兄弟来たり、此の尊像前夜網に罹り海より出現し玉ふ由を語る。各々聞て奇特の思をなし、頻りに渇仰の信を發して、藜を以て假の一宇を締び、尊像の為に雨露を凌奉る。是藜堂と稱して、即ち淺艸寺の濫觴なり。今、一の権現と云。即ち始藜堂也。俗に訛て阿加牟堂と云。東中谷に在り。其の後に三人猟に出んと欲ば、必ず藜堂を拝念あり。兄弟不思議の佛縁にて聖躯を汚穢の網に罹奉る。是等閑の因縁に非ず。尚も大悲の愛愍を請ふ。我等斯る貧境に住て外に産業の道なければ、單に魚肉を販で露命を支ふ。只願くは多の肥魚を授玉へと。三人漁舟を乗出し、網を宮戸の浦に引毎に、魚鰕鱗物網に満れば、程なく万貫の富を得たり。是大悲者の冥加成しと、諸人崇み羨みける。住吉の神詠とて、世の傳る一首あり。「伊与の國、宇和が郡の鰯まで、我社はなれ世を救ふとて。又佛菩薩の大悲には飢たる衆生を救ふ為に身を現じて、肉樹肉山をも成玉ふこと、法苑珠林に見。果して一宇の香堂を經営、感得の靈像を安置せり。終に三人剃髪染衣の身と成、生涯尊像を守護し奉る。三人命終の後は三社権現と崇祠る。今三所御法神と稱す。一千余歳の于今至て隔年の祭礼厳重なり(子寅辰午申戌)祭年の三月十七日の旦、三社の神体を神輿に遷し、御堂の前にて法施を資け、百味の神供神楽等古例数多の祭式を行ふ。翌十八日淺艸大通に出、見附御門の外迄渡り、神田川より神舩に移り、淺草川を鎌が淵まで上り、舩を駒形堂の岸に係、陸に遷り本社に還る。三人の末裔于今續いて(専堂坊・斎堂坊・常音坊と号す)、此日一社に各々一人神輿供奉の例格なり。又十社権現の社あり。三人の漁夫と共に、始て藜堂を造りたる十人の蕘夫(くさかり)を祀と云。(已上、冥應集、傳来記、砂子(江戸砂子のことか?)等に見)。

淺艸川の水源、秩父山より出る。漸く流れて深廣にして荒川と云。隅田川も同流れ也。両国永代を過ぎ、鉄砲洲に至って、東海に注ぐ也。愚按ずるに宮戸川とは都河なるべき耶。戸(こ)は聲、戸(と)は訓也。音訓を誤る乎。業平の歌も此の川の事也。此川に住む故に都鳥と号す乎。名にしをはば いざこと問はん みやこどり 我が思ふ人ありやなしやと。

人王三十五代舒明帝の御宇、彼の兄弟三人の靈魂、人に託して告けるは、此の地久しく殺生を業として甚だ汚穢不浄の所なり。必ず天火起こりて無垢の浄土に成んと。果たして正月十八日の旦、遽に怪風奇火起こり、一時に藜堂も類焼して、草木瓦石皆焦土と成る。此の時、大悲の靈像、猛火の中を飛出て、槐の梢に移玉ふ。見聞の道俗渇仰して参詣の老若市の如し。此の時,三人の㚑魂(れいこん)不思議の告あり。故に三社権現と祠り、崇敬して境内の鎮守と称す也。尒後、孝徳帝(人王三十七代)

の大化元年(645年)(年号の始也)、勝海上人と云ふ高僧あり、改めて焼亡の地を結界し、新たに堂舎を営建し玉ふ。仍って是を開山祖と稱す。人王五十三代淳和帝の天長年中、慈覚大師東國に遊化して路次に中って當寺に宿り、その夜、宝前に持念して、夜闌(たけ)て假寝玉へる間、倏ち三人の老法師、内陣の正面に出座して、各々大師に対して曰、我等昔漁夫たる時、大悲の像を感得せし兄弟三人の者なり。今三社権現と崇められ、一山の内に鎮守と成て伽藍人法を護る。尒るに勝海上人の時より数多の星霜を經て(大化元より天長十年に至る凢百八十九年也)堂舎已に零落に及ぶ、。幸いなる哉、大徳の来儀唯今興隆の時を得り。願くは其の福智を悉檀(しきほどこし)て、遄く伽藍再営を為給れ。我等影の形に従が如く、冥に力を戮すべしと。丁寧に語ると思ひて大師の夢は覚玉へり。即三社の告に任せて頻りに堂舎の再建を企。檀越の功を募玉へば、誠に大師の徳孤ならず、材穀金銭雲の如く輻(あつま)り堂舎僧院、涌が如く起り、不日に伽藍、前に十倍して坂東無雙の巨藍と成、永く止観の法燈明にして當寺中興の大祖たり。(此の時一千座の護摩を修して伽藍人法繁栄を祈る。其の跡境内熊野神社の傍にあり。慈覚の護摩壇と称する所即ち是也)。

人王六十代醍醐帝御宇、天慶五年(942年)壬寅の春、常陸大掾國香の弟、上総介良兼の長男、散位安房守公雅、當寺本尊の加護に豫り、武蔵の大守に任ぜられ、諸伽藍

大ひに再興の叓(こと)、委く冥應集に見。

人王七十六代康治年中、佐馬頭源義朝公、當寺本尊にに帰依して数度(よりより)騎馬を旋らされ、源家一統の武運を祈り、改て蓮宮の造営し玉ふ。又、地内槐の靈木を以て(昔伽藍回禄の時、本尊飛び移り玉ふ槐也。後時々此の木より㚑光(れいこう)を出也)新に聖観音の像を造り海中出現の靈像を(一寸八分)其の胎中に納玉ふ。即ち臺座に不朽を傳て、鎌田兵衛政清奉行と銘ず。

又右大将頼朝公亡父義朝の意を継厚く當寺に御帰依あり。梶原景時を代参として、平氏追討の利運を祈り、供料丗六町寄附し玉ふ。又足利尊氏公御治世北条家より、諸伽藍建立あり。同十二代将軍義輝公御寄進建立先代の如也。尒後、天正年中、東照神君、御入國より御當地倍々繁榮につき、堂社僧院日々に涌が如く境内の賑ひ古の万倍なり。特に神君御信仰にて、時々御駕を旋らされ廣く芳園を喜捨し、許多の寺封を頒玉ふ。元禄年中大坊知樂院、故有りて鎌倉へ遷され、その後東叡山に属し一山静謐にして人法弥繁昌なり。本堂正面は南方に向ふ。表の惣門に雷風の二神を安ず。俗に雷門と称す。額は金龍山の三字なり。(此の門前、昔は松の行樹あり。天正年中より、御當地繁栄に随って自ら町屋と成る。是の故に𦾔を追って並木町と云)境内の巽に一つの孤山あり。昔此の山數日鳴動して雲起り、雨降り洪水溢れ、山の西麓震崩れて金色神龍飛出る。是の故に金龍山と号す。今の浅艸寺の惣号なり。𦾔は待乳山と云。古歌に待乳山夕越えくれば庵崎の 隅田川原に 獨りかも子ん。(新勅撰集辨基法師。 金龍の出たる跡、大ひなる池となる。其の中洲に辨才天立たせ玉ふ。又山には歓喜天堂あり。仍って聖天山とも云)

巡禮詠歌「深きとが、今より後はよもあらじ、つみ浅艸に参る身なれば」一度當寺に参る者は、縦ひ身に衆罪ありとも、大悲恵日の光に照され、霜露の如く消除す。斯已作の罪さへ消失れば、況後意の悪は起こらずと也。「つみ」は積罪の意ある乎。

古物語に曰く、昔此邊り人家稀にして旅客の宿り無ことを憾む。(誰にかは、宿りを問ん待乳山、夕越行ば逢人もなし。千載集)。爰に野中の一家あり。姥一人の娘を持て住めり。旅人を宿し、石の枕を與へ上に密して大石を釣置、其の熟睡の時を窺て件の釣索を切落す。斯て旅人の頭を打砕き、衣服路銀を奪ひ取る。死骸は池の中へ投捨て、魚鼈の腹中に葬ぬ。一夜頭陀修行の僧宿る、尒に異相の草刈童子、姥が外面に徘徊して吹笛の音ぞ不思議なり。修行者是を怪みて能く其の笛の音を聞けるに、即ち三十一文字の一首あんり。日は暮れて野には臥すとも宿かるな、淺艸寺の一家のうち。旅僧是を深く訝り我臥所を替てうかがひ見に、果たして夜も三更に過る頃、一間の釣天井を切落とす。修行者、是に驚き退て終夜,此彼と逃迷ひ、一の佛堂に行當て、此に隠れて其夜を明せば、兼て慕ひし淺艸堂なり。是に於いて修行者思ひき、彼の笛を吹たる牧童は、的く大悲の應化なるべし。應以童男身の金言(観音経の「応以童男。童女身。得度者。即現童男。童女身。而為説法。」)誰か匪石の信(確乎不抜の信)を起こさざるやと。自ら此の奇事を誌して、永く大悲の利生を聞かしむ。

或時一人の美少年、其の躰伊勢参宮と見へ、野中の姥が家に宿る。姥が娘、彼の美色に迷ひ、密かに其の側に副臥ける。姥斯とも知らずして、例の強悪の意を起こし、夜更て釣天井を切落す。然るに旅人は見ずして、惟り我娘を圧殺す。姥、或は怒り、或は哀み、狂ひ出して此彼と馳回り終には池に飛び入り溺死す。其の靈魂、蛇身と成て又数多の人を損害す。然るに土人、社を造りて是を辨財天と祀れば、悪例返って守護の神と成。若し疫癘等を患る者、竹筒に醴を盛て、池に投入れ、是を祭れば、倏その病難を除しと也。姥が池は東中谷明王院に在り。今僅に其の形を残す耳。姥が所持の石枕も此寺に在る也。

昔越前の太守、狩し玉ふ時、家頼の熊谷安左衛門、狩場先手の役に當る。其の前夜、一の老狐来り、人語を以て熊谷氏に申す、(畜類、人語を解き、人語を為すと。法苑樹林の十の八に見たり)我は當地に住む狐の長なり。願くは明日の狩場に於いて、我が一族を免玉へと。熊谷氏是に答て曰く、主命なれば、容赦意に任せず。然り乍、汝が一族には別に見分くべき印ありや、彼狐の長、答て曰く、我が一族は尾先白しと。熊谷氏、此由を訴へければ越前の守奇異の事に思ひ、明日尾白き狐をば必ず見分けて殺すべからずと。士卒人夫へ告げ触玉ふ。其の日に至って彼の一族の狐数十匹を駆け出せども、皆見免して討ちとらず。尒後、彼の熊谷氏故あって浪人と成り、江府に下り白銀町に住す。或時淺艸寺へ参たるに、小傳馬町藥師堂前なる障子作も同く参詣して、表門の手洗場に於いて僅に雫の掛れるを咎已に熊谷氏と口論に及びける。然るに彼の年若の者と思ひ自分の方を劣にして、熊谷氏は立別ける。夫れより障子屋狂気して、其の口走る言を聞けば、我は越前福井の狐なり、熊谷氏の厚恩あれば我、棟梁よりの下知を受け、當地に来て彼人に附従ふ。然るに昨日淺艸寺に於いて、我が主人へ対して、無礼あり。此の事甚だ恚恨なりと云。障子屋家内大に驚き頓て熊谷氏の居宅を尋ね、昨日淺艸の無礼を詫びて尚亦我が家に請じ来れば、狐付其の人の前に平伏して去る。狩場の高恩あれば貴方の守護に此の地に来ると言訖って狂気本姓に復す。時に熊谷氏思へらく、斯る浅智の畜類だも恩義を忘れず礼節を盡す。我亦彼が志を徒然せじと。歸道の紺屋町にて小宮を求めて家内に置き、稲荷の神祠と崇ける。其の後、熊谷身の幸につき、居住を他所へ移に至て、元此の起こりは淺艸寺ぞと、社を此の境内に勧請せり。是の故に檀主の家名を呼んで熊谷稲荷と稱する也。西宮稲荷の神社は當一山の鎮守なり。社は山門の側に在也。元禄年中の事なるに、大坊知樂院の飼鴨を狐の業と覚えて喰殺せり。仍って稲荷の社へ使僧をたて、由来境内の鎮守と崇る所に其の眷属、院中の飼鳥を害す。神慮踈かにして在さざるが如し。若し今明日中其の験無んば社頭を破却すべしと云。然るに翌日衣冠整しき社人躰の人玄関に来り、昨日御使僧の趣承知致し、委曲に穿鑿を遂る所に、我眷属の所為に非ず。野狐の業に紛無き印、是を僧正へ進覧致すと、一の杉折を差出す。取次の者何心なく請取、山主僧正へ披露を遂、其折の中を披き見るに、喰殺たる野狐の死骸あり。院内怪しみ、彼の使者を尋るに行方しれず去失せたりと。于今其狐骸當寺の什寶なり。

大成經神社本紀に曰、去来冊尊(いざなぎのみこと)火神烜著塵命(かぐつちのみこと)を産む。土神埴安姫(つちのかみはにやすひめ)て、地食保姫神(くにのみけもちのひめがみ)を産み、五穀を口より咄出し、山肴海鮮、皆口より出。天人熊命(あまのひとくまのみこと)其憍(よごれ)るを悪んで剣を抜て擧殺す。食保媛神(むけもちひめのかみ)の尸、即白薬野干と化て、國神を化惑。天照大神、月読尊をして供を設て祭らしむ。遂に世門の大富饒の主と成ぬ。是白狐の富を主る其事の元なり。今山城國飯成山に在す大神なり。天下の狐を使ひ富を主る。

放し馬の繪馬一牧久しく此の堂内に掲ぐ。狩野古法眼の筆と云。今注連を曳て外陣の東に掛るなり。然るに毎夜一の黒馬出て近邊の田園を荒らす。農夫等是を追退れば、嘶て此の堂内に走り入る。人怪みて是を要(もとむ)るに更に馬の所在を見ず。惟家帯(なげし)に古き繪馬あり。其の馬の足に泥土付たり。即繪馬の所為にして畫師の妙手なるを知る。爰に左甚五郎と云彫物師の名人あり。彼云、繪も彫物も其心寄る所違べからず。我彫物下繪畫副ける、然る後は再び放出ず、と。各名人の妙處誣ふべからず。

仁和寺御室に金岡之畫馬有り、毎夜近境に出、稲苗を食ふ。里人怒て其の両眼を穿つ。之に依りて止む(著聞集)。于禁裏寶庫に蔵むる所、金岡之繪馬、毎夜萩戸邊を出て、萩の花を嚼(くら)ふ。因て畫工に命じて之を繋ぐ、果たして止む。又河内の金田に牛頭天王の社あり。神前の金岡之繪馬毎夜出て穀葉を食ふ。畫工之を書繋ぐ。而後出ず(和漢三才圖會)。

 

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