地蔵菩薩三国霊験記 9/14巻の7/13
七、讃岐國善度寺の地蔵の事
中古のことなるに、田舎に一人の下賤の男一人あり。渡世の為にここかしこに流浪しけるほどに、終に京白河に留まり、薦を編みて世を渡る業とぞしけるに、編ける調子に心を澄まし小歌をうたひ、心きよき時はかしら打ち振りて夜半にはあやしき牗(まど)より月の指入るを明かりとして、あかつきかけてあむこもは偏に世路のはかりごと、後夜うつかねに心を澄まし調子をかへて、をもへず南無地蔵大菩薩と申しければ、てうしにのりてよかりけるほどに、一心に南無地蔵大菩薩と申せば戯れながら自然成佛の縁となる。時の人地蔵太郎とぞ申しける。明け暮れ面白き声引きながめつつ、秋風川の瀬の音にあらそひてさざめきわたれば、賀茂川白河に心をすまして只一偏に名号をとなへて合掌して目を閉じ居たりけるを、地蔵忽ちに現じて頂を摩でて、正直に方便を捨て、但し無常の道を説く、とぞ仰せられける(「妙法蓮華經方便品第二「今我喜無畏 於諸菩薩中 正直捨方便 但説無上道」)。そもそも菩提心は汝があむこもの中にもありと教玉へばうれしくたっとさに眼を開き見れば煙の如く失せ玉ふ。さるほどに教を受けてあみけるこもの中をとりかへして見れどもつやつやわらより外はなかりけり。あまりに求め兼ねてあみたるこもを切りほどき見ければこものすがたは更になし。あみたる索(なわ)もほどけばもとのわらとぞ成りける。悟れば佛、迷ば凢夫、煩悩即菩提なりと示し給ふは是なりとていよいよ修行をはげましけるが、あるときにはかに死しける。元来妻子もなかりければ野邊の送りする人もなく、家にそのままありけるが七日をへてよみがへり、人に向てかたりけるは、我死して琰王宮に参り、冥官のために一生の善悪の軽重を論ぜられて既に奈落にをもむかんとするところに地蔵菩薩来たり玉ひて御たすけあり、これより娑婆にかへるべし、諸行無常一切皆苦との玉ひて(佛爲海龍王説法印經「佛告海龍王。有四殊勝法。若有受持讀誦解了其義。用功雖少獲福甚多。即與讀誦八萬四千法藏。功徳無異。云何爲四。所謂念誦。諸行無常。一切皆苦。諸法無我。寂滅爲樂。」)授記し玉ふと思ひければ一念どうてんの間によみがへりけるとかたりけり。其の後さぬきの國へくだり、此のことを語りひろめて人を進め一宇の伽藍を建立しければ本尊地蔵菩薩いずくともなく出現し玉へり。今善度寺の地蔵これなり。
引証。本願經に云、復た地藏菩薩の大慈悲を具して永く我を擁護することを願はんに、是の人睡夢中に於いて即ち菩薩の摩頂授記を得ん(地藏菩薩本願經見聞利益品第十二「復願地藏菩薩具大慈悲。永擁護我。是人於睡夢中即得菩薩摩頂授記」)。