観自在菩薩冥應集、連體。巻2/6・21/24
二十一道寂法師西方往生の事。
昔何れの代にかありけん、道寂法師と云人あり。在家の時は佛事を営む事なかりしが、或る時世間の無常を悟り俄かに出家せんと欲す。然れども勇猛の菩提心のおこらざる事を歎て長谷寺に参篭して七日七夜一心に祈誓する夢中に老僧来たり玉ひ告げて宣はく、菩提心體相なし、即ち是の如き心を菩提心と名く、と。覚めて即ち出家し諸国の名山霊区を巡礼 . . . 本文を読む
「金剛般若經開題」(弘法大師)
「今斯の蘇多覽を釋すに略して二趣あり。一には顯略、二には深祕なり。
顯略趣とは、多名句を以て一義理を詮ずる是也。深祕
とは、一一名句中に無邊の義理を含する是也。
初門に就きて又二あり。所謂、唐梵二國の説是れなり。梵淺略とは又二あり。初は題目について釋し、次は經文について釋す。
題額の淺略とは謂く、バザラセイジキャハラジニャハラミタソタラン
の十三字は四名 . . . 本文を読む
本朝新修往生伝「沙門戒深は尾張国賢林寺の住侶也。五十余年寺門を出ず、日々夜々法華を読誦し、多年の間、舎利を欣求す。尋常の読経の時、堂前庭上に舎利出現す。其の貌珠の如し。其の音雷に似たり。水に投げて沈ず、鎚打て壊れず。之仏像として安じ供養恭敬す。命終の時、佛に向ひて端座。手に定印を結び彌陀を称念す。瑞雲天に聳へ異香室を薫ず。没後数日、身は爛壊せず、結跏趺坐し定に入る人の如し。国郡哀傷し之の為に廟を立 . . . 本文を読む
今日は絶海 中津の入滅された日です。絶海 中津(ぜっかい ちゅうしん)は五山文学の代表として有名な禅僧です。応永12年4月5日(1405年5月3日))享年72で入滅されています。夢窓疎石に師事し、明にも渡航しています。足利義満・足利義持・伏見宮栄仁親王・後小松天皇・称光天皇等の帰依を受け臨済宗の発展に寄与したとされます。後に仏智広照国師、聖国師と諡号されています。壇ノ浦で平家滅亡を嘆じて歌った漢詩 . . . 本文を読む