700人以上が見ているようなので再出します
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建暦3年、(1213年)4月9日は道元禅師御出家の日です。「1213年4月9日、14歳の禅師は比叡山の座主公円僧正について剃髪し、出家得度されます。比叡山では天台教学を中心に学ばれましたが、経文にある「本来本法性・天然自性身」という文言(そのままの文言は経典にはないが天台本覚思想のこと)に大きな疑問をいだかれます。(つまり本来覚っているならなぜ修行する必要があるのかとの疑問)その解決のために園城寺 . . . 本文を読む
聖武天皇は深い苦しみの中から大仏建立を思い立たれた。
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聖武天皇は天平15年10月15日(743年11月5日)、近江国紫香楽宮にて大仏造立の詔を発さられました。続日本記には「天平十五年冬十月辛巳、詔して曰く、『「朕、薄徳を以て恭しく大位を承く。志兼済に存して勤めて人物を撫す。率土の浜、已に仁恕に霑(うるお)うと雖も、而も普天の下、未だ法恩に洽(あまね)からず。誠に三宝の威霊に頼り、乾坤相泰かに万代の福業を修めて動植咸(ことごと)く栄えんことを欲す。 . . . 本文を読む
今日、天平勝宝4年(752年)4月9日 は東大寺大仏(毘盧遮那仏)開眼法要が行われた日です。続日本紀巻十八に「天平勝宝四年(752)四月乙酉【丁丑朔九】》○夏四月乙酉。盧舍那大仏像成。始開眼。是日行幸東大寺。天皇親率文武百官。設斎大会。其儀一同元日。五位已上者著礼服。六位已下者当色。請僧一万。既而雅楽寮及諸寺種種音楽、並咸来集。復有王臣諸氏五節。久米舞。楯伏。踏歌。袍袴等哥舞。東西発声。分庭而奏。 . . . 本文を読む
東京都神社庁のパンフレット(2014・3)から抜き書きします。「・・東日本大震災直後の3月22日に気仙沼市立階上中学校の卒業生代表の言葉の一文。『・・自然の猛威の前には人間の力はあまりにも無力で私たちから大切なものを容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というにはむごすぎるものでした。つらくて悔しくてたまりません。・・・命の重さを知るには大きすぎる代償でした。しかし苦境にあっても天を恨まず、運命 . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻3/6・1/29
観自在菩薩冥応集巻第三
目録
一観音の浄土補陀洛山の事。
二或人補陀洛山に詣でる事。
三下河辺行秀補陀洛山に至り来たる事。
四紀三井寺の観音の事。
五京都感応寺の観音の事。
六少女普門品を誦して蛇の難を遁るる事。附けたり、鼈鼠大蛇の怪異の事。
七那智の観音の縁起幷如意輪の真言功徳の事。
八和光の方便に依 . . . 本文を読む
「今昔物語集巻十四、僧長義、金剛般若の験に依り盲を開きし語 第卅三」
今昔、奈良の右京の薬師寺に、一人の僧有けり。名をば長義と云ふ。
年来、寺に住して有る間に、宝亀三年と云ふ年、俄に長義が両目盲て、物を見る事を得ず。然れば、長義、日夜に此れを歎き悲むで、医師を請じて医(くすり)を以て療治すと云へども、其の験無くして、五月を経ぬ。
其の時に、長義、心に思はく、「我れ、前世の悪因に依て盲と成れり . . . 本文を読む
「四国霊験記」によれば業病で遍路にでていた一行がここ二番極楽寺で老僧から霊水をあたえられ快癒したとあります。「頃は天保十三年壬寅の四月八日に播州姫路本町に灰屋弁七と申す者、九才なる亀槌という忰を連れて四国八十八ヶ所を順拝ありしがこの子供は大業人にて五体の焼ける事火の如くなりかようなる難病ゆえに如何なる名医も是を治する事能はず、猶又加持祈祷も色々に致せどもその験しなき故最早この上は御大師様に」祈念の . . . 本文を読む