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福聚講

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四無量観について

2013-10-31 | 法話



「慈」・「悲」・「喜」・「捨」の瞑想を四無量観といいます。密教のほとんどの修法に出てきます。

「すべての生きとし生けるものが幸せでありますように」と念じる慈無量観、これにより「阿頼耶識」が転じて「大円鏡智」となります。
「すべてのいきとしいけるものの苦しみがなくなりますように」と念じる悲無量観、これにより「末那識」が転じて「平等性智」がえられます。
「すべての生きとし生けるものの願いごとがかなえられますように」と念じる「喜無量観」により「意識」が転じて「妙観察智」がえられます。
「すべての生きとし生けるものが悟れますように」と念じる「捨無量観」により「前五識」が転じて「成所作智」がえられます。

たとえば『中阿含経』には四無量観についてこうでてきます。「阿難よ、私はおまえのために四無量について説こう。比丘は心に慈しみを具え、一方(の生けるもの全て)に遍く満すことを成しつつ遊行する。このように、二方・三方・四方・四維・上下のあらゆる方向(の生けるもの全て)に遍く(慈心を)廻らす。心に慈を具え、煩悩無く、恨み無く、怒り無く、争い無くして、極めて広く、甚だ大きく、限りない善を修め、(慈しみを)すべての世界に遍く満たすことを成しつつ遊行する。同様に、悲・喜もまた、捨とを具えて、煩悩無く、恨み無く、怒り無く、争い無くして、極めて広く、甚だ大きく、限りない善を修め、(慈心を)すべての世界に遍く満たすことを成しつつ遊行する。阿難よ、この四無量について、汝は諸々の出家して間もない比丘達に以上のように説教するべきである。もし諸々の出家して間もない比丘たちの為に、この四無量を説教したならば、すなわち安穏を得、力を得、楽を得て。身心に悩み煩いないであろう、終生これを行うことは崇高な行いである、と。

『中阿含経』巻廿一「中阿含長壽王品説処経第十五」」

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