観自在菩薩冥應集、連體。巻6/6・9/52
九天帝釈盧至長者を教化し玉ふ事
さて狐の能く妖ることは彼が報得の通力なり。経の中に佛菩薩等の不思議の神変を現じ玉ふことあり。いささかも疑ふべからず。義は大に異なれども事は頗る相似たること佛説にもあり。盧至長者経に曰く、舎衛国に一人の長者あり。大に富める事毘沙門の如し。然れども慳貪にして人に施さず自も破れ垢つきたる衣を著、食物も稗藜などを茹ひ甚だ嗇きこと並びなし。誠に嗇太郎為持(しわたろうためもち. 卑吝にて薔財する者をいう。織田信長記に此語あり)などとも云べきなれば名を盧至長者と云ふ。盧至は啼泣なり。常の言に費多くして我が身帯潰るるとて啼泣するが故なり。或る時城中の長者居士歓宴聚会して屋宅を厳り幡蓋を懸け歌舞伎楽し酒盛りして諸人集まりて楽を極るを見て此の嗇太郎少し羨ましく思ひ、吾家に還りて銭五文を取り出し二文にては酒を買ひ二文にては麨(むぎこがし)を買ひ一文にて蔥を買ひ酒を瓢箪に盛て腰にかつ著け、麨(むぎこがし)を破子に入れ古き衣片に鹽を包みて持て出て思ふやう、我が宅にては妻子母などあればふるまふも悋し。人のなき處をと思ひ一の樹下に至れば、鳶烏ども多し、次に墓原に往ひて見れば狗多し、深く山の谷に入りて人も鳥獣も無き處にて唯独り彼の麨と蔥を和して肴として酒を飲み、少しばかり飲むに即ち大に酔て曰く、諸人歓楽す我なんぞ楽しまざらん、あら面白やと。立て舞ひ歌て曰く、縦ひ帝釈をして今日歓楽せしむとも尚我に及ばん、況や毘沙門をやと。時に天帝釈、佛の所に詣せんとして其の空を行て此の歌を聞きて安からず思ひ、此の慳貪の愚人独り酒を飲んで諸天を辱しむ。さらば少し悩すべしと思はれ即ち身を変じて盧至長者が形となりて彼が家に至り母と妻とに語りて曰く、我今までは慳貪なりしが今日真言の阿闍梨に逢ふて秘呪を授かりて我が身中の慳貪の鬼を駆出せり。其の鬼の形能く我に似たり。後に来ることありとも必ず門より内へ入らしむべからずとて蔵を開きて上妙の衣服瓔珞を取り出し母と妻と兄弟とに施し眷属にもそれぞれに応じて施し、酒肴を調へて饗応すれば皆大に悦びぬ。又城中の長者居士も是を聞て手を拍て曰く、盧至長者こそ意立改めて施を好むなれと、千万人集会してざはざはする處へ彼の真実の嗇き盧長者酒に酔ひて小唄曲にてひょろつき家に帰りて見れば化人ありて我が室に居し、妻子と座を並べ酒盛りして財宝を費やし奢侈るを見て仰にそって肝を潰し化人に問て曰く「汝は何者ぞ」。帝釈の曰く「汝こそ妖物よ、我は真の盧至長者よ」と云ふ。母も妻子兄弟、分かち知ること能はず。盧長大に恚り歎きをさまざまに言ひののしれば、帝釈、母妻子に語て曰く「只今来たりし者は先ほ申したる嗇太郎為持と云鬼なり。我に能く似たる者なり。我先に真言を誦して是を追い出せるが又慕ひ来れるなり。おそるべし。」と云ふ。時に母も妻子も眷属も俱に心に思ふやう、「寔に二人分かちがたけれども此の慈悲孝厚にて情けある人こそ真の盧至なるべけれ」と思て却って真の盧至をば妖物よとて散々に打擲して門外の堀へ投げて堅く門を閉す。盧至大に啼叫て親類知友の方へ往きて涙に咽び我が顔は昔の顔、我が手足は相違はなきか言語は昔の如くなるかと問ふ。親族の曰く、「昔と異ならず」と。我は実に盧至かと問、皆笑て曰く「實に盧至なり」と。時に啼號て曰く「我が家の中に壮き男あり。形貌まったく我に同じ。何くよりか来たりけん、吾妻子と同座して我が幼少より辛苦して蓄へし財宝を悉く費やし用ゆ。しかのみならず却って我を妖物なりと云て散々に打擲して堀へ投げぬ。嗚呼なんとかせん」と。號咷びける時に親類共の曰く「実に是のごとくならば笑止千万なり。なにとぞ公儀へ訴へて判断を請ふべし」と云ふ。時に盧至親類の方にて白氈一疋を借りて波斯匿王の門に至りて門番に云やう「我今日白氈を献上せんと思うふ。此の儀を大王に申し玉へ」と。門番大に驚き、さても時節もあるものかな、我丗年此の門番を勤むれども此の嗇太郎が銭三文も国王に献上せんことを聞かずと、莞爾として右の趣を大王に白す。大王も大に驚き笑ひ玉ひ、此の盧至長者何の故にか朕に献貢すらんとて即ち召して見玉ふに、盧至両脇に白氈を挟みて拝稽首して彼の白氈を引き抜くに抜けず、力を出して抜いて献れば帝釈の神力の故に変じて草二杷となる。盧至是を見て悲噎して慙じ地に入りて死んとすれどもあたはず。唯泣くより外の事なし。王是を見て哀れみ傍の人に子細を尋ね玉ふに、傍人の曰く、一人の化人あり、盧至が形となって彼が家に住し彼が妻子眷属財宝を奪ひて費し用ゆ。大王願くは慈悲を以て判断し玉へと。王是を聞て即ち彼の化人を喚来して見玉ふに年頃面差言つき衣服立ち振る舞ひまで少しも違なし。朝廷の老臣どもも如何とも云事を知らず。時に波斯匿王化人の問玉はく「盧至は生まれつきの嗇太郎なること國中に隠れなし。汝は孝慈あって恵施を好むと、然らば汝は真の盧至にてはあるべからず」と。化人拝頓首して曰く「実に大王の勅の如し。然ども我佛説を聞くに慳貪の者は未来に餓鬼趣に堕して百千万劫飢渇の苦を受け涕唾膿血の食すら得ることを得ずと。故に我秘呪を授かりて慳鬼を追出し改悔して少しき恵施するのみ。先に大王に訴へしは彼の慳鬼なり」と曰ふ。盧至の曰く「汝こそ妖物よ。我こそ真の盧至よ」と云へば、化人の曰く「汝こそ妖物よ。我は真の盧至よ」と互相に争へども国王諸臣どもは、此の二人いずれか真、いずれか妖物といふことを知らず、依って二人を別の所へ呼び退けて家内の密事・金銀の貸借手形・屋鋪・眷属等の事、乃至妻と閨中の耳語までも委細に尋ね問ひ書き付けしむるに全く同じく筆跡までも少しも違なし。大王大に驚き、屹と思出しさらば母を喚んで問ふとて、母を召して聞き玉はく「此の二人全く同じにて別たれず、汝は母なれば産み落とすより今日まで養育しことなれば身の中に覚へあるべし」とありければ、母が曰く「我に孝ある者は實に吾子なるべし。初めに朝廷に出し者は不孝なれば吾子にてはあるべからず。さりながらわが子には左の脇の下に小豆程の痣あり、是を印とすべし」と云に、帝釈心に思ふやう「設ひ須弥山程の疣ありとも我能く化作すべし、況や小豆顆ばかりの痣をや」と。王勅して左の肩を袒(かたぬ)がしむるに二人俱に同じく痣あり。諸人どっと笑ひて此の上は凡夫の分別に及ばじ、幸に佛祇園精舎に住し玉ふ、往て問奉るべしと。即ち二人の盧至を同じ象に乗せて香華瓔珞を以て百千の眷属と俱に祇園に参り、五体を地に投げて禮し、香華を供養して合掌して佛に問奉る。「此の二人誰か是真の盧至、誰か妖物なる」と。時に一会の大衆黙然として住す。化人は神色怡悦して瓔珞身を飾り、本の盧至は顔色憔悴して極めて憂悩し泣て曰く「世尊の大慈、願わくは我を救玉へ」と。時に帝釈熙怡微笑(きいみしょう)せられければ、佛、百福荘厳の臂を延べて帝釈の頂を撫で告げ玉はく「汝何事をか為すや」と。時に化盧至(盧至に化している)帝釈の形と成りて光明照耀し合掌して佛に白して言く「此の嗇太郎為持只一人山の谷にて酒を飲み銭五文を費し楽しみ戯笑して、帝釈毘沙門にも勝れりとて諸天を軽しめ罵るが故に聊か苦悩せしむ」と。佛の曰「一切衆生皆過罪あり。宜しく放捨すべし」と告げ玉へば、時に盧至長者涕洟を押拭て曰く「あらあら情けなの帝釈殿や、我が辛苦して集め蓄へたる財宝を悉く用ひ盡し玉ふことこそ悲しけれ」と恨みければ、帝釈の曰く「我汝が財宝を一文一厘も取用ひず。家に還りて勘定せよ」と。盧至が曰く「否否、其の様の仰せらるる事は一切合点まひらず。唯佛語のみ實なり」と云ふ。時に佛種々に説法して慳貪の過を説き玉へば、盧至長者仏語を信ずるを以ての故に須陀洹果(しゅだおんか。四果の第一の果で、煩悩を脱して聖者の境地に入った位)を得たり。時に一座の大衆、法を聞て四道果(預流果・一来果・不還果・阿羅漢果)を得、波斯匿王及び群臣眷属疑を断じ信を生ず。盧至長者初果得て後に家に帰りて孝慈あり、恵施を好む事、又、初めの化盧至に同じといへりされば帝釈天は観音の応身なれば「即減長者身而為説法」の利益なり。彼の野狐の妖たるをすら二人分かちがたし。況や帝釈天観自在の加持力をや。六七歳の頃より