mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

一期一会のバード・ウォッチング

2021-10-26 08:35:39 | 日記

 奥日光に来ています。昨日(10/25)は、6時10分にうちを出て8時15分に赤沼駐車場につく順調さ。師匠が呼びかけた鳥友も、大谷PAで一緒になるという偶然。

 赤沼駐車場は空いていた。毎年同じように混むわけじゃないのか。そういえば、いろは坂の紅葉は今一つ。中禅寺湖もまだちょっとという感じ。それより標高で百メートル高い戦場ヶ原のカラマツの黄葉が始まって8分程度、見事に緑のもみの木などと色を分けて風景を彩っている。

 日光白根山が雪を付けた山頂部を、手前の山の上に突き出している。直ぐ側の男体山は崩落したところに昨夜来の雪を残して 、どんど居座っている。居並ぶ大真名子山、小真名子山、太郎山、山王帽子山、三ツ岳と輪郭をくっきりとして、曇り空に鎮座する。やっぱり奥日光は、こうした山々に囲まれて落ち着きを取り戻す。

 今年はズミの実が不作だという。そのせいか、鳥も少ない。昨年は、駐車場の脇からマミチャジナイやアトリ、マヒワが歓迎してくれたのに、今年は鳥の姿が、ない。ズミの実の不作を鳥たちはどのようにして知るのだろう。現場に行ってみて、ないと知る現場主義ではなく、もっと高い経験値を用いて、ズミの実が今年はできが良くないと予め知っているかのようである。

 赤沼から北の農場の方へ入る。トビがたくさん山王帽子山の方へ飛んでいく。うんと遠方のカラマツの木にトビが9羽も居並んで止まっているが、果たして何をしているんだろう。1時間ほど後に光徳の上空に20羽くらいのトビが舞い飛びながら上へ上へと上っている。トビ柱だと鳥友は笑うが、タカバシラのように舞上っている。これからどこかへ渡るとでもいうのだろうか。カケスが2羽上空を声もなく飛びすぎる。遠方に小鳥がいるが、何かわからない。アオゲラの声が聞こえる。畑の杭にモズが止まっている。おっ、こちらにもモズがいる。

 2時間余、これと行った鳥を見ることなく、森の中を歩き、三本松駐車場に着く。ここの駐車場も人がいっぱいだ。戦場ヶ原展望台に行くが、鳥影は見えない。光徳入口まで歩いて、北戦場ヶ原の方へ踏み込む。鳥友は皆さん、なかなかの健脚。師匠に木や草の話を聞きながら、歩いている。

 北戦場ヶ原を抜けて、湯の児への木道分岐に向かっていると、小さな鳥がカラマツの木やもみの木に群れている。上空を小鳥の群れが飛び去る。コガラがいた。シジュウカラもいるよと、誰かが言い、見るとそうだ。エナガ、ゴジュウカラ、ヒガラもいる。あっ、キバシリと声が出る。向こうの二股に分れている木の右の方に上っているという。いたいた。入れ代わり立ち代わり、小鳥に群れが飛び交う。飛び交いながらおしゃべりをしているように見える。

 湯滝への木道は「通行禁止」とあって、ロープが張られている。泉門池の方へ向かう。湯川を渡ったところで、泉門池の方には、湯滝から森を抜けた小学生の列が、やってきているのが見える。そうか、修学旅行か。彼らもお昼どきだ。こりゃあ、泉門池でお昼をとるわけにはいかない。ま、ここの木道はこの先が通行禁止になっているから、邪魔にはなるまいと木道に腰掛けてお昼にする。ちょうど12時。結局誰も通る人はなく30分ほどを過ごした。

 泉門池へ向かうときに、向こうからやってくる小学生の列とすれ違った。2本の木道の右側に寄る。それを見て列の先導役が「右に寄れっ」と後ろを向いて声をかける。小学生はすれ違うときに、「こんにちは」「こんにちは」と挨拶をする。ふざけるやつもいる。適当なやつもいる。それがうるさい。

 泉門池はあまり人がいない。いつも見える男体山は雲の中。おっ、なにか、いる。カワガラスだ。こんな流れのないところにいるなんて珍しい。チャポッと潜り、出てきては石や倒木に乗る。鳥友はリュックから望遠レンズを取り出して構える。尾羽根と体の黒色が違うのねと別の鳥友は師匠と話している。小学生の列がやってきては、泉門池に立ち寄らず戦場ヶ原の方へ向かう。あれに追いついちゃあ嫌だなあと思ったが、杞憂であった。彼らの足は速い。声を聞き、草花にかがみこみ、鳥を探して双眼鏡を構えていては、追い越すどころではない。おかげで静かな散策になった。

 青木橋を渡ったところでヒガラに出会った。2年前に取り替えたばかりの木道が随分いたんでいる。行き来する人が多くなった。戦場ヶ原の枯れ草の背が高く、虫を探す鳥は見えない。向こうの枯れ木のてっぺんにノスリが止まっているのを見つけた。こちらに腹を見せて、バンドがよく見える。鳥友カメラマンは背景に山が入るように場所を移動して、シャッターを押す。小学生の列が、また、向こうからやってくる。木道の所々に設えてある幅の広い観覧台によって彼らの通過を待つ。湯川にマガモが何羽もいる。オスばかりでなく、ペアを作っているようなペアが次々と現れる。対岸の藪の中でジェジェとなく声が聞こえる。ウグイスかなミソサザイかなと話している。「ウグイスはさっき見たよ」と一人がいい、落ち着いた。先へ行こうかと思ったが、まだ小学生の列は続いている。川に落ちかかる倒木のうえに何か、いる。そう言うと、鳥友が「あっ、ミソサザイだ」と声を上げる。

 どこどこ?

 ほらっ、向こうの笹の根方。

 ササって、どこもここも笹だらけじゃん。

 あの大きな木の左方・・、

 とやり取りが続く。ようやく皆さんの目にも入る。

 地鳴きの主が両方いたんだと、鳥友の一人は喜んでいる。

 その後また、小鳥の混群を見て、赤沼駐車場についたのは、14時30分。随分な時間、歩いた。1万8千歩あるよと万歩計を読み上げる。あるき過ぎだよとどなたかが嬉しそうな声を上げる。

 雨も落ちず、黄葉の戦場ヶ原を経巡った。私たちは宿へ向かい、他の方々は帰途についた。ところが宿のロビーから外を眺めていると、アトリの群れが、傍らの木にやってきた。すぐ近くだから、はっきりと見える。

 師匠はしかし、紅葉が去年より遅いという。去年は、あの樹のツタウルシが真っ赤だったのに、まだ高揚してないよと話す。なるほどそう言われれば、そうだ。季節の到来が早いのか遅いのかわからないね。

 一夜明けた朝は雨が落ちていたが、今、明るい日差しが差し込んできた。じゃあ、少し湯の湖畔でも散歩して、それから帰ろうかと考えている。


同じ道

2021-10-25 05:40:18 | 日記
 
コロナ対応の宿

 紅葉と小鳥を堪能した奥日光の宿は、コロナウィルス対応をしっかりしているなあと、好印象を持った。何がそう感じさせたのか、記しておきたい。 泊まった宿は休暇村日光湯元。毎年、山歩きや......
 

 これから、去年と同じ宿に泊まり、奥日光の探鳥に出かける。そうか、コロナ対応が気に入っていたのかと振り返っている。師匠の探鳥は、ほとんど時期と場所を、身の習慣のように踏襲して行われる。それが季節をどこかで感知して渡る鳥の習性に見合っていて、「自然に溶け込む」感覚器官を刺激しているのかもしれない。

 鳥友も似たような習性を持っていて、私たちが行くと伝えると、同じところにやってくる。彼らはしかし、泊まらない日帰り。むろん私たちより一回り若い。そういう若い人たちを鳥ともにして付き合っているから、わが師匠は、足腰年齢が一回り若いと、私は勝手に思っている。

 ではでは。行って参ります。


年寄りらしい感懐

2021-10-24 06:25:00 | 日記
 
どうしているか、乞う連絡

 タイに住む私の友人からの連絡が途絶えて、半年になる。 十二指腸の辺りに腫瘍がある。良性か悪性か検査をしたら、このまま様子をみようという医師と手術して除去した方が良いという医師の意......
 

 そうか、一年前かと思っている。その後、年が明けてから、タイにいる友人・Mさんと親しかったytgさんに消息を問い合わせた。まだ現役のytgさんもMさんが癌(?)という診断を受けたと知って、驚いてメールを打ったりしたようで、今年の1月下旬には、Mさんから電話がかかってきたと、私のところへytgさんから知らせがあった。その電話でMさんは、まるで夢の中で道に迷っているような話しぶりで、私とももう5年もやりとりをしていないと話したらしい。

 おや? 耄碌し始めたか。あるいは手術の予後が悪く、未だ苦しんでいるのか。

 そう聞いて、私もメールでなく、手紙を書いて送った。返信が返ってきたが、その文面は「助けてくれ。女房子どもに監禁されている。タイの日本大使館か領事館に連絡を取って救出してほしい」と(読める)たどたどしい文面。ytgさんと相談したものの、身内でもない私たちが「事態不詳」のまま、そんなことを外務省に依頼するわけには行かない。若いytgさんはスカイプとかをつかってか画面通しで姿もみたという。すっかり痩せて、奥さんに介助されている。「痛み止めを処方してもらっているというから、そのために妄想が起こっているのかもしれない」とytgさんは、医療に詳しい専門家の見立てを話す。そうこうして、ほぼ毎週のように私はタイへ手紙を送り、Mさんからノートの切れ端に書き付けた手紙を受けとることになった。

 3月のひな祭りが終わった頃、ytgさんのところへタイのNPOボランティアから3月3日にMさんが亡くなったことを知らせてきた。奥さんが日本語も英語もわからないため、頼まれて送信しているというメール。それには葬儀の写真も添付され、生前、近所の寺院を車椅子に乗って散歩している写真も収められていた。

 その3月の下旬、Mさんの義姉(兄嫁)から手紙を頂戴した。私の送った手紙がMさんの死後に届いたのが(読めない)奥様から送られてきて、「逝去の報告とお礼をいってほしい」と依頼されたと断ってあった。私の方からお知らせへの御礼とMさんと関わったいきさつや消息がわからず困惑したこと、ytgさんの助けを受けて手紙のやりとりができるようになったことを書き送ったのが、ほぼ半年前だ。

 新型コロナのせいで、事実上国交も遮断されていたこともあったが、消息不明のままになってしまわなくて、ほんとうに良かった。一年経ったことを知らされ、Mさんとの46年間の付き合いを振り返り、若かったが勢いがあったなあと年寄りらしい感懐を抱いている。


これは水です

2021-10-23 08:46:53 | 日記

  若いおサカナが二匹、
  仲よく泳いでいる、
  ふとすれちがったのが、
  むこうから泳いできた年上のおサカナで、
  二匹にひょいと会釈をして声をかけた。
  「おはよう、坊や、水はどうだい?」
  
  そして二匹のおサカナは、
  しばらく泳いでから、はっと我に返る。
  一匹が連れに目をやって言った。
  「いったい、水って何のこと?」
  
 こんな詩のようなフレーズからはじまる卒業式の「祝辞」を読んだ。小さな一冊の本になっている。デイビッド・フォスター・ウォレス『THIS IS WATER』(田端書店、2018年)。アメリカでは、出身かどうかに関係なく、著名人を招いて卒業式の祝辞を述べてもらう風習があるようで、これは、オハイオ州で最も古いケニオン・カレッジの2005年度の卒業式に招かれて、行われたもの。
 D.F.ウォレスは1962年生まれのアメリカの作家。2008年に大統領選に出馬するバラク・オバマの立候補演説を依頼されるようなかたであったという(体調不良で引き受けはしなかったが)。
 この「祝辞」の中でウォレスは、人が生きていくということは、生まれ持った感性や感覚、ものの考えかたなどの、「自然に埋め込まれた初期設定」を、無意識に信じ込んで成り行き任せにすると、「退屈で、苛々して、人いきれに喘ぐ、社会人の生活の一面を体験することになる」とみる。そして、意識して組み替えていくことだと力説する。冒頭の詩のようなことばは、「初期設定」を象徴する場面を取り出している。大学で学ぶことというのが、じつは「ものの考え方」であり、でも卒業しても、世の中の「自然に埋め込まれた初期設定」をふだんに見直すコトを続ける必要があるという。それを小さな本で言えば、140ページまでいくつかの事例を引いて述べたのちに、二度繰り返されているフレーズが「これは水です」である。
 卒業式というよりも入学式の「祝辞」にしたい趣があるが、今私たちの孫世代が、どのような「初期設定」に気づき、それを見直して突き崩して組み替えることに臨めるか。
 ウォレスは、しかし、この祝辞を述べた3年後に縊死して46歳の人生を閉じた。双極性障害(躁鬱病)だったと「訳者解説」にあったが、「これは水です」と喜びに満ちて語れる「水」を求めて、苦悶しながらの創作が続けられていたのであろう。ずいぶんたくさんの作品が奥書に記されている。少し手に取ってみようかとおもっている。


学問研究に対する軽視の体質

2021-10-22 11:30:20 | 日記

《ノーベル賞学者の「KAGRA計画」重力波の検出は事実上、不可能に》という見出しに、なんだろうと目をとめた。週刊文春オンラインの記事。
 重力波の検出をアメリカなどと協力して行う計画の「ハイパー・カミオカンデ」KAGRAは、何段階かのグレードアップを重ねて、ノーベル物理学賞受賞者の梶田隆章氏(62=東京大学宇宙線研究所所長)が研究代表者を務めて、研究を牽引してきた。その会議で、梶田氏が、目標としてきた数値を大幅に引き下げ、重力波の検出が不可能になっていると表明したことが、文春砲にすっぱ抜かれたというもの。
 KAGRAの子細メカニズムは承知していないが、重力波でどれほど遠くの宇宙を見ることができるかという望遠鏡。なんでも「25MPc以上で、重力波を観測できる」という。2015年に重力波を観測したLIGOは「60MPc」の能力をもっていて、ハイパーカミオカンデは「25MPc~130MPc」を目標として計画が進められてきたそうだ。
 梶田氏が(オンライン会議で英語で)明らかにした「目標値の引き下げ」は、なんと「1MPc以上」。重力波の検出には1万5千年かかるという。なんだ、KAGRA計画とはなんだったんだ。この十年間で190億円を投入し、文科省主導で推進してきたという。この十年、何をしていたんだ。
 文春オンライン砲も、事実報道だけをしていて、なぜこうなったかを記載していない。だが、梶田氏は「欧米プロジェクトに較べて15年遅れているから」と、淡々と述べているのに、諦めに近い切歯扼腕を感じる。
 文科省の管轄下に行われる科学研究が、これほど頓珍漢になってしまうのは、どうしてか。類推するというよりも、眼にも明らかになっているのは、ここ30年ほどの間の、日本政府の成長狂い。バブルの夢を再度といわんばかりに、「遅れてきた*十年」が叫ばれてきた。経済構造の改革も、グローバル化への対応も、ことごとく外圧によって渋々動くような気配。自ら改革に乗り出すよりは、外から求められて、やむなく応じるという風体。きぎょうも、だからか、用心に用心を重ねて、内部留保を高めることに腐心し、従業員への分配をおろそかにしてきた。輸出入という外部との取引関係に心を砕くが、内側の経済関係が回ることにはさしたる関心を向けなかった。内部需要喚起も、日本の輸出圧力に苦しんだアメリカから要求されて600兆円もの支出を財政から行うという無様さであった。つまり、国民の暮らしそのものがどうなっていくかに心を傾けなかった。そして気がついてみると、先進諸国の所得は、30年前と較べて40%ほど上昇しているのに、日本のそれは5%に満たないという有様。政権党も、今ごろ選挙で分配あってこその成長を言い始めたと思ったら、逆転して成長あってこその分配と言い直し始めた。つまり、旧来勢力のセンスによる圧力が、相変わらず強く作用している証が見える。
 いや、話は科学研究と政治であった。となると、学術会議の新規任命拒否を、説明抜きに続けていることを挙げねばならない。今回のことと学術会議のこととがつながっているとは思わないが、コトの重要さが何処で目詰まりを起こして、こんな事態になっているかを考えるとき、私たちは、包括的なセンスを思い浮かべる。その直感の背景には、一つひとつのこと、たとえば大学院の博士学位を増やしては来たものの、彼ら、彼女らが学位を取ったもののその後どう活躍することへ気を配ったかを考えてみると、後は野となれ山となれ状態。笊で水を汲むような仕掛けをしておいて、顧みない。
 学術研究が、すぐ現実に役立つかどうか、金になるかどうか、そういう近視眼的な見方で予算を組み、成果が(短期間で)上がらなければどんどん優先順位を下げ、予算を削ってしまうやり方が、まかり通ってきた。それを見てきた私たちは、ほら見たことか。ノーベル賞だなんだと喜ぶのは、半世紀も前にバブル経済を迎えて、有り余る金をつぎ込んでいた成果が花開いたのを見ているだけ。いずれだめになるよと思ってきた。それが目の前に現れるようになったのが、今回の「目標の切り下げ」であった。
 なんのための政府なのか。なんのための研究活動なのか。文化って、なんだ? 国家経済って、輸出入のコトばかりなのか? そもそもクニってなんなんだよ。コクミンの暮らしって、政治の局面ではどういう意味を持ってんだよ。単に、選挙の票数にしか見えないのなら、政治家なんてくそ食らえだ! って怒鳴りたくなるよね。