mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

ステイ・ホームズの大冒険

2021-09-25 08:54:35 | 日記

 ご近所のストレッチ仲間との月齢飲み会は、コロナウィルス禍のせいで1年以上も中絶したまま。ワクチン接種が2回終わり、そうだ、家でやらないかという独り暮らしの男やもめのお誘いもあって、昨夜飲み会を催した。準備から片付けまで全部、この方にお引き受けいただいて、4人ほどのお客は、手ぶらで身柄を持って行くだけ。軽費は割り勘ということにしたが、主催家のおもてなしに、甘えっぱなし。主催家は経費負担なしにでもすればよかったかなと、朝目が覚めてからかんがえている。悪かった。
 当初2時間と限っていたのに、話が弾んで延長戦をさらに2時間近く行ってしまった。これで、誰かコロナに感染でもしようものなら、馬鹿な年寄りが・・・と嗤われてしまうが、公民館の体育室でストレッチ体操をしてのちの振る舞いであるから、飲み会が感染クラスターになるわけではない。公民館にクラスター発生ともなると、飲み助たちのモンダイではなく活動のモンダイということになる。ま、お酒の提供が感染を広げるわけではないという社会実験ではある。もちろん、どうだモンダイないだろうと証明したいわけ。
 今日はこのあと、新橋に出る。36会の第二期大13回のseminarが行われる。これも、実施するかどうか、悩んだわけだ。感染が収まりつつあるというが、なぜ収まりつつあるのか、わからない。専門家は、次の第6波を心配して、用心せよと言うばかり。もちろん用心してるわいと思うが、政府は(選挙を意識してか)緊急事態宣言解除後の甘い話ばかりに重心を移しつつある。メディアも、すっかり総裁選の浮かれていて、総裁が替われば日本の政治ががらりと変わるような幻想をまき散らしている。政府の甘言に踊らされているように受け取られるのは片腹痛いが、自助、共助。公助は知らんわいとうそぶいて出かけることにしている。こちらは、7月に自前の社会実験をして(安全を確認して)いるから、怖くはない。
「コロナ時代の年寄りの社会行動」をテーマに、話をまとめてみようか。それとも、別様の、長年手入れもせずに使いに使った身体が不調となって、故障が続出する事態になるやもしれない。「社会行動」というより、「自助の行方」でもまとめた方がいいかもしれないよと、もう一人の「わたし」が呟いている。
 そうだねえ。そういう歳になったよね。


英雄か敵か? 歴史だ! 虫けらだ。

2021-09-24 07:36:26 | 日記

 劉慈欣『三体』(早川書房、2019年)が届いた。いつ図書館に予約したかも忘れてしまっていた。刊行から3年待ったことになる。どうしてそれほど評判なのか,今は忘れてしまったが、読み始めて思ったのは、文化大革命のことが起点になっていること。でも私のはやとちり。文革は、この物語全体の展開のきっかけに過ぎない。
 早川書房だからSFだとは思っていたが、基礎科学自体を疑わせる格好で物語が進行する。いわば壮大な陰謀論的な仕掛けが読み進める推力になる。
 こう考えてみると、文化大革命は壮大な陰謀論、そのものであった。どこに帰着点をおいていたのか、毛沢東の心中はわからないが、ただひとつ言えることは、動態的陰謀論。行き着く先は、行ってみなければ分からない。ただ「現状ではだめだ」ということだけは分かっている。革命を指導してきた最高指導者の(こんなはずではなかった)という思いが、「近代」世界の大逆転イメージさせた。国家・社会の大逆転を図らねばならない、私利私欲ではなく民草が幸せに過ごすことができるような「共産社会」を再構築すること。それも「社会関係」を根こそぎ切り替えるには、人々の胸中の根柢から転換させねばならない。つまり「文化大革命」だと考え田ものであろう。
 国家権力は握ったものの、膨大な人口を抱え、人々はそれぞれの身を置いている社会関係とそれぞれの欲望に遵って、懸命に生きようと振る舞う。社会の指導的な立場に立つ「前衛」をわずか7%とみても、1億人近い数になる。それだけの数の国家、社会の指導的立場に位置するものたちを、中国共産党が「統制・指導」できるのか。当時、対岸にいて「文化大革命」の狼煙火を見ていた私も、いよいよ中国も国家権力を握る「革命」から、もっと根っこからの「文化革命」に乗り出したと、毛沢東の「革命構想」の壮大さに驚いていたのであった。
 それが単なる「権力闘争」にすぎないと分かるのは、社会の維持に欠かせない食料の確保にさえ頓着しない「革命」の進行であり、反科学、反近代の、打ち壊し運動に終始していたからであった。その結果、数え切れないほどの餓死者を出すことになり、中国社会そのものがすっかり原始社会に戻るような事態を招いたのであった。
 この『三体』物語の起点にある「文化大革命」とは、その社会運動によって翻弄された物理学者の子どもが、絶望のあまり怨嗟を募らせて地球外の生命体に「力を借りようとする」こと。つまり「文革」と相似形の力の作用を期待して「三体」との関わりが始まるところに、この小説を読み進めるモチーフが形づくられる。
 ひとつ印象深い場面の描き方をしている。文革の時に紅衛兵として物理学者の殺害に手を下した人たちが集められ、この物理学者の子どもから懺悔を求められる場面。「だれも懺悔しない」と題されたこの節の終わりの方で、「あの時代の一人の紅衛兵の墓の前に」たたずむ大人と子どもが交わす言葉がある。
「この人たちは英雄だったの?」と子どもが訊ねる。大人は
「いや、違う」と応える。
「敵だったの?」と子どもが訊ねると,大人はまた首を振る。
「だったら、この人たちはなんだったの?」と訊かれて、大人はこう答える。
「歴史だ」
 そうなんだね。庶民は「懺悔」さえ価値を持たない。「英雄/敵」にすら値しない。単なる「歴史」として、生きて死ぬしかないのだね。そういう達観が本書を貫いているといえるかどうかわからないが、著者の劉慈欣は、それを大宇宙の中に地球をおくことによって人類というものを「達観」して「虫けら」と呼ばせている。陰謀論的な仕掛けは別として、その著者の心持ちだけは、読むに値すると思った。


秋分の日

2021-09-23 10:25:13 | 日記

 今日は秋分の日。これから一日ごとに、夜時間が長くなる。近頃の気ままな祝日の変更を腹立たしく思っていたから、こういう自然時間の「祝日」が好ましい。暑さ寒さも彼岸までというのが嘘のように、今日も暑くなりそうな気配。だがもし、山でテントを張るような遊びをしているなら分かるが、確実に冷え込んでくる。テントに焚き火台をおいて木を燃やすのが、急に頼もしく感じられる季節の到来である。
 事故があってまもなく半年。山もテントも、まだちょっと先のことに思える日々を過ごしていると、遅々として進まない恢復に、気がもめる。あとしばらく。冬になる頃には、テント泊は無理としても、山歩きはできるかもしれないという感触を,リハビリに感じている。ま、半年はおとなしく医師の言うとおりに恢復努力を続けようと考えている次第。
 昨日は、北本自然観察公園を2時間ほど散歩した。気温も上がり、日差しに出ると汗ばむほどだが、公園内は樹陰が多く、風の快適さが感じられるほどであった。水彩画を描いているグループがあり、これはこれでいい楽しみですねと思う。でも、絵を描くという行為とグループというのが、どうもうまくマッチしない。絵が別件逮捕のように利用されているような気もするのだが、ま、いいか。他人様のことだ。
 じつは来週、この公園で「植物観察ガイド」をする師匠の下見に付き合った。むろん私は、師匠のチェックを聞くだけの受容装置。この装置はもう古びていて、右から左へ聞くそばから通り抜けていく。写真を撮って、あとで確認しようと心掛けは悪くないが、後処理がきちんとできない。原発を非難するなんてもんじゃないね。自分の後始末もできない。
 原発と違うのは、技術的な始末方法が分からないからではない。それは分かっているのだが、丹念にそれに取りかかる気性が培われなかった。ずぼらなのだ。でも原発も、安全措置を施す事を怠っていたなんて聞くと、案外、私のずぼらといい勝負。つまり、そもそもヒトが行うことに論理的な道が開けたからといって、それを鵜呑みにしてはいけないってことか。
 西欧発の概念導入と同じで、モノゴトを純粋化して受け取り、ヒトの粗忽さやズボラさを算入しないで、実行過程を設計してしまう。どうも、そういう悪いクセが私たちにはありそうな気がしている。
 欧米人は、どうこういっても,そう簡単にヒトの悪いクセを抜きにして社会設計をしない。というか、社会設計するときには、ヒトの悪いクセを取り込んだ設計をするという風に、設計思想の次元を編み上げる。それを日本では、性善説なのか性悪説なのかと二元論的に振り分けて、「問題点」をぼかしてしまう。
 じつはそうじゃない。欧米の社会論的展開は、そもそもヒトである自分を信用しないことから立案が始まる。性悪説というより、神ではないヒト=不完全な自分という哲学を組み込んでいるのだ。ところが性善説という「わたしたち」は、自身を大自然の子、即ち無垢に生まれ、邪悪な心持ちを外から持ち込まれなければ悪心を抱かないで育つと、信じている。現実はそうではなく、いつの間にやら,取り囲む親や世間の色に染められてこそ「育つ」。育ってみると、性善とか性悪と一筋縄でくくれるように分けられない。当の本人すら、何で己がこうなってこんなコトをしているのか、わからないことに取り囲まれている。自分の身につけてきた感性や感覚、言葉のことごとくが、出所も根拠も不明のことばかり。となると、まずわが身を疑うことから、世界と向き合うことがはじまる必要がある。
 ズボラな私が、何をきっかけに、自己吟味のようなことを身につけるに至ったのか。たぶん、一つ思い当たるのは、自分に自信がなかったからだ。周りに言説明晰、判断明快、行動果敢、自信過剰な人がたくさんいたのが、東京での大学生活であった。それに比して私は、思っていることが言葉にならない。でも口にすると、反射的に打ち据えられる。相手の言うことを聞いていると、なるほどそれもそうだと半分得心する。じゃあ残りの半分は違うと言えばいいようなものだが、その根拠が分からない。オレはこう思ってるんだと断言するような力強さが生まれてこない。結論先取り的に聞こえるかもしれないが、そこまでズボラなのだと我がことを感じてはいた。
 そんな私が、どうしてこの年までのほほんとやってくることができたのか。それはそれで考えて見ると紆余曲折のある面白いテーマにはなる。また、そのテーマを私の人生の浮き沈みに押し広げてみると、季節的な分岐点(つまり春分の日や秋分の日)がどのあたりにあったかも、わからないではない。人には言えないことも含めて、わが身の裡には心当たりもあるように感じる(どうして他人様に言えないのだろうと考えると、それがまたそれで、一つの論題となる)。
 いずれ機会があれば、わが身から引き剥がして、記すこともあろう。これから夜の長い日がやってくるから、焚き火を囲んで、思い出したことを書き止めていく。そう考えるだけでも、何かの転換点・メルクマールを得たような気がしている。


過激思想と宗教と世直し

2021-09-22 08:07:11 | 日記

 アフガン支配のタリバン復活にともなって、ふたたびイスラム原理主義の宗教支配がテロとあわせて取り沙汰されているが、私のイスラム・イメージはこれとは全くの反対側にあった。井筒俊彦のいつくつかの著作を読んだだけであったが、コーランには苦しい現実を生き抜く人々への社会批判的な言葉が連ねられている印象を持ってきた。
 それが、イスラムとテロとが同一視して用いられるようになったのは、やはり9・11からであったろうか。それからのアフガンやイラクのアメリカとの関係については,もうご承知の通りである。だがタリバンの復活にあたって、女子教育のことがどうなるか注視していたが、やはり女子を学校から排除する方向が打ち出されているらしく、それだけでほとんどテロと同一視する視線は,変わりそうもない。
 藤原聖子『宗教と過激思想ー現代の信仰と社会に何が起きているか』(中公新書、2021年)を読むと、テロに及ぶ過激思想がまとっているイスラム原理主義についても、その過激な言葉を帝国主義との相関で解きほぐし、宗教教義から直に過激な言葉が導き出されているわけではなく、現実世界の展開が深く関係していると述べている。つまり、別様にいえば、テロ組織はその自らの行動の正統性を宗教教義においているように言葉を繰り出しているだけと位置づけて、モンダイの在処を捉えるには次元の異なる世界イメージが必要とみている。
 藤原聖子は,イスラムだけではなく、キリスト教も仏教もヒンドゥ教や神道系過激思想も取り上げて追いながら、異端と過激思想とを区別する。そうして昔ほど「異端」が問題にされなくなったのは、宗教そのものが「個人化・多様化し、正統そのものが消滅したため」と明快である。ではどうして、「過激」は宗教をまとって正統性を保つ必要があるのか。その指摘が面白い。
《宗教的過激思想の目標は「世直し」なのである》
 つまり、まるごとの世界を変えようとする主張は、宗教の「基礎付け」を得なければならないと言えそうだ。「社会体制」を転換させようとするには、総力戦が必要となる。その総力というのは、社会も文化も経済も政治も、ことごとくの相関関係をまるごとまとめて転換を図らなければ、「革命」は成就しない。それには存在の根底に関わる「裏付け」がなくてはならない。そう考えるところに、「反逆の正統性」が宿るように思える。もっとも藤原聖子は《……だから過激思想はよいものだというのが本書のいいたいことではない》と、( )に括って付け加えている。
 ところが、本書の文中には、明らかに、この「宗教的」から逸脱する「過激」暴力行動が噴出しているとみている。つまり「世直し」とはいうものの、その実行部隊となる人々には、日頃の抑圧や差別・格差の鬱屈を晴らす思いが先走ることがしばしば見られる。その人たちにとっては、まるごとの「世直し」はタテマエ、鬱憤晴らしがホンネという振る舞いが実行に移されている。テロ集団の統制などというものではない。あるいは、集団まるごとが鬱憤晴らしになって、ISとして女子生徒を誘拐し、強制結婚させるという奴隷まがいの扱いをする。アフガンのタリバンに、その様相はあるのかないのか。あっても、それを統制できるのかできないのか。となると、タリバンの内部統制をぐらつかせるよりは、外部に向けた「原理主義」を貫徹する姿勢の方が、当面重要とされて、ますます「原理主義的に」過激になると思われる。
 面白い解析であった。そしてまた、イスラムだけもキリスト教・ユダヤ教という一神教だけではなく、多神教でさえも、過激思想が噴出する「世直し」に関心を持つひとたちが出来しつつある時代相に、今私たちは直面している。だって私でさえ、今の日本には「世直し」が必要だと感じているのだから。


ものぐさになる

2021-09-21 11:26:52 | 日記

《人とはぬ庭もわが身もあかつきて苔むしけりなものくさの庵》(徳和歌後万載集)
 と川柳に詠われた「ものぐさ」は、その235年後の私のようでもある。
 さすがに苔むすほどの風格のある古民家暮らしではない。だが「ものくさ」は若い頃からの気性とあって、歳をとるにつれてますます昂進し、なにもかもめんどくさい。カミサンという同居者がいるから、ちょっとはあかつきないように習慣化した生活の型が保たれているが、そういう他者の目がなければ、ほぼ間違いなく生活習慣は崩壊する。
 TVの番組を観ていると、東京から北海道の「山の中の一軒家」に40代で移住し、自らの手でリフォームして暮らしている夫婦が登場する。その二人の気ままでスマートな暮らし方を支えているのは、何事もめんどくさがらずに手を掛けて取り組む姿勢。山羊を飼い、いずれ馬を飼って幼い頃に親しんだ乗馬を楽しみたいと連れ合いが望み、馬の住処まで準備するご亭主。微笑ましいだけでなく、その姿自体が現代の都会ぐらし批判に通じている。田舎育ちの我がカミサンも、若ければねえ、と寄る年波を感に堪えぬ面持ちで振り返る。
 そうした暮らしは、私の「自然観」もあって、好ましく感じる。だが、仮令40年ほど若くても無理だったろうなと自答している。何より私は、ものぐさだ。5人兄弟の三番目に生まれ、上二人の兄を見ながら育ったものの、とうてい二人のまめまめしいモノゴトに対する向き合い方にはかなわないと感じつつ、我が振る舞いの限界を見極めて自律してきた。何より努力するということが身に合わない。自然体と口にはするが、要するに必要に迫られて、致し方なく身につけることは身につける、覚えなければ過ごせないことは何とか覚えるという為体。英語なども、学校の試験に必要だから覚えはしたが、普段遣う暮らしがなければとんと忘れて、おぼつかない。海外旅行も、中学英語で事足りると分かってからは、それ以上の精進を望まない。
 今でもそうだ。健康維持のために歩くということは、本末転倒ではないかと思うから、やらない。だが、リハビリに通うとなると、片道5㌔でも歩くのはいとわない。今もそうやって往復10㌔ほどを歩いてきたばかりだ。
 この私の自然観というのが、ケセラセラ。なるようになる、なるようにしかならない。「であることとすること」とかつて近代政治学者が日本社会の人の習性を無責任の体系と批判したが、意志的に「する」ことが、社会関係をぶち壊す大東亜戦争というのを目の当たりにしたせいか、嫌いであった。「なる」のは厭わない。では、どのような環境がもたらす「自然」を「なること」として受け入れるのか。どのような社会関係の要求する「ならい」を「なること」と認めるのかとなると、じつはなかなか煩わしい解析が必要になる。なにしろ、日本の社会そのものが、「じねん」ということを良しとして、意図的に人を操作するように動かすことを嫌うから、それって「なること」と同じじゃないかと,別の「わたし」が呟くからだ。「なる」という「じねん」も、仮令私ごととして考えても、社会関係との動態的な概念なのだ。
 そうなんだよね。結局、どこからが「私の自然/じねん」なのか、その都度吟味しなくちゃならない。それはそれでめんどくさい。ただひとつ、わが身を振り返るってことだけはさほどめんどくさいと思わない生活習慣を習いにしてきた。つまり「心の習慣」にしてきたから、自問自答の積み重ねは(多分、歳をとったせいだと思うけれども)、面白いと感じている。その一点で、近代政治学者のいう無責任の体系から外れていると思う。
 ものつくりということは、ものぐさの対極にある。習慣化すれば何ほどのこともないとは思うけれども、この年になって今更とも思うから、ものつくりに対する私の敬意は、いや増しに増す。
 断捨離とか、片付けということも、ものつくりに類する精神に起源を持つ。苦手も苦手、結局いろんな身辺の雑事を残したまんま、ケセラセラとなるような気がする。
《人とはぬ庭もわが身もコロナ禍にステイホームのものくさの今》