mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

コロナ禍2年の3月を振り返る

2021-04-02 06:41:14 | 日記

 一年の第一四半期が終わった。コロナ、コロナで過ぎて行ったようだったが、それでも3月下旬は県境の越境自粛が解かれ、県外の山へも足を運んだ。
 週1回の山行はしっかり行われて、県内3回、県外2回。奥日光以外は、いずれも(忘れた昔のことを除き)はじめて歩いたルート。そのうち4回は単独行となり、やさしいハイキングルートばかり。そろそろそういうコース選びに傾いているのかもしれない。
 毎日の平地歩きは、相変わらず続いている。今月の歩行総距離は338km、ほぼ11km/日。1月からの歩行総距離が957kmとなった。わが家から高速道を使って走ると四国の山奥にある梼原町のカミサンの実家まで約900km。そこに到達して、さらに宇和島まで抜けてしまったことになる。東海道から中国道を抜けて西へ進むと、山口駅までが954kmであるから、そこまで行ったわけだ。コツコツ歩くマンネリというのも、たいしたものだと思う。歩行が1キロに満たない日が5日ある。家にこもって本を読んでいたか、パソコンに向かっていたか。雨がざあざあ降っていたのかもしれない。週に1日は歩かない日があったというわけだ。
 秋ヶ瀬公園や見沼田んぼのお花見は存分に楽しんだ。
 一昨日と昨日も、思わぬ子ども二人の来客があり、「お花見」をして歩いた。今年高校生になる一人は、1年3カ月前にあったときにはばあちゃんの背と同じくらいの高さだったのに、今年はなんと、私よりも高くなっていた。1年と3カ月で13センチも伸びたという。それだけではない。脱いだ靴を見てごらんとカミサンが言う。大きいサイズの運動靴は27センチもある。まだまだこれから伸びるぞと言っているようだった。
 それで思い出したことがあった。7年前に亡くなった私の末弟は、中学3年まで背が伸びず、いつも整列すると一番前であった。それが高校時代にぐいぐいと延びて、175センチになっていた。「なっていた」というのは、当時私は遠く離れて仕事につき、わがコトに懸命であった。滅多に逢わなかったこともあるが、弟の関心を向けることがさほどなかったからだ。そう言えば、母親が「Jはご飯を食べた後に食パンを1斤もペロリよ」と笑っていた。
 同行してきたもう一人、妹は、今年中学生になる。なかなか観察眼が鋭い。人への関心の向け方も面白いものを持っていて、批評的に感じられる。言葉への反応がきらりと光る。「絶滅危惧種」というのにパッと反応して、覗きこんでいる。花よりも葉の形状に関心を傾けているのも、ちょっと変わったところで、傾きの固有性を表しているように感じた。
 そういう同行者がいる「お花見」も面白く、昨日はお弁当をもち、桜の下にシートを敷いてお昼を摂った。
 そうやって振り返ってみると、案外コロナ禍の自粛というのも、ほぼ日常性に転化してきて、心の習慣が出来つつあるように感じる。こうやって年を取り、年に一回程度の邂逅を愉しみ、知り合いとのやりとりは手紙を介して、ゆっくりしたペースで、一度書き記したことを手直しして封入するという具合に、見返しつつ送信する。海外に暮らす友人の逝去も、遅ればせながらの便りで知らされ、涙しながら謝礼の返信を書き、半世紀近い出会いと別れを揺蕩うように思いめぐらす。友人の死というより、私自身の一部が亡くなったという感触に近い。そんな思いを持つのも、年のせいか。
 こうして、わが身はwithコロナ時代へすでに突入している。となると、蔓延防止だワクチンだと騒ぐ状況に振り回されず、行きたい所へ行きたいときに行こうと心する。
 時は春、日は明日。旅衣を着る頃合いになった。いざ、ゆかん。


胸のつかえが降りた

2021-04-01 16:19:26 | 日記

 先日(3/29)、さいたま日赤で「追加検査」を受けた。とのとき、「気になることがありますので、CTを採りましょう」と言われ、それを受けてきた。手続きはスムーズ。指定時間の少し前に検査室窓口に行き、パジャマのような「検査着」に着替えて、CTをとる態勢に入る。
 検温、血圧の測定、造影剤注入のためのセットをして、呼吸の「練習」をする。息を吸って、止めて、はい15秒待って、ハイいいです、という手順。撮影するのはそれだけなのだが、「練習」をふくめて、30分ほどかかった。
 別に痛くもかゆくもない。ただ、「造影剤を注入します」と言われてから、腕が、胸が身体の中央部が、そして隅々がゆっくりと温まってきている感触が、伝わる。血液がだいたい1分間で体中を駆け巡っていると言われることが、文字通り時間として体で感じることができた。
 終わってから注射器を刺した所の血が止まるまで、小さな絆創膏を押さえていて、血が止まったら、着替えて、老化のソファに座って30分待つ。「副反応」と言われる、発熱や嘔吐感、蕁麻疹が出て来ないかをみているのだそうだ。時間が来ると看護士がやってきて、体温と血圧を測る。そしてご苦労さんだった。
 翌日山へ行く予定にしていたから、行っていいかと聞くと、なんの問題もないという返事だ。大袈裟に「追加検査」というからどんなことをするのかと思ったが、なんてことはない。そして順調に翌日、奥多摩の縦走に出かけたことは、ブログにでご報告の通りだ。
 そして今日(4/1)、CT検査の結果を、医師に聞きに行った。これも、前回同様自転車で行き、予約時刻の10分前には医師の診察を受け、「CTご苦労様でした。大丈夫です。心電図がちょっと、気になったので、検査をやってもらったのですが、どこも悪くありません。」と、お墨付きをもらった。「これこれこういう症状が出たら、医者に相談しろという「兆候」とはどんなことですか」と訊いたが、「そういう心配もいりません」「山歩きも大丈夫です」という返事をもらったから、万全のお墨付きだと言える。
 CT検査の日は3000円なにがしだったのが、診察は330円だった。その十倍の実経費が掛かっているわけだろうが、機器を使った検査費用が結構な額になるのだと思った。かかりつけ医への「返信」は病院からクリニックへ直接郵送するとのこと。その辺の仁義は、きちんと切る手筈がシステム化されているように感じた。
 さてそういうわけで、正月以来の「不整脈」の検査は「問題なし」の診断を得て、ひと段落。さあ、あとはコロナをどう近づけずに、山々を経めぐるか。21世紀2合目の4月へと踏み込む際の、胸のつかえが降りた。


静かな奥山の散歩道――鹿倉山

2021-04-01 06:25:40 | 日記

  今日(3/30)、好天の奥多摩の鹿倉山(ししくらやま)を歩いた。三頭山の西側に位置する。奥多摩町から山梨県の丹波山村への縦走路。下山口に自転車を置き、奥多摩湖の西端の深山橋を渡った登山口の駐車場に車をおいて登り始める。陣屋という蕎麦屋の脇道を入る。サクラとレンギョウが出迎える。すぐに急斜面を登る山道に踏み込む。ここから標高1000mほどの大寺山まで、標高差500mのひたすらな上り。落葉広葉樹の林がつづく。木々の間から奥多摩湖の湖面が朝日を受けてキラキラと輝いている。おお、ミツバツツジが見事な花をつけている。コースタイムは1時間半とあったが、約1時間で登った。山頂には大きな仏舎利塔が建っている。1960年代後半にたてられたというが、まだ新しいもののように真っ白だ。そう言えば、足場が組まれているから、ちょうど化粧直しをしたところかもしれない。
 ここから鹿倉山までは少しばかりのアップダウンの稜線上を辿る。古い道標がこのコースの来歴を表していると思っていたが、「鹿倉山ハイキングコース」と記した金属製の道標は、手書きもあって古いのか新しいのか、よくわからない。ヒノキを育てているという気配が色濃い。よく手入れが施されている。稜線を歩いていると、何処か下の方からチェーンソウの音がする。地理院地図の1178mピークには、道標に「大マトイ山」と手書きしてあった。地元名か。
 その先に落ち葉の降り積もる林道が現れる。その林道の砂利に、コケが生えかかっている。かつて木の伐りだしをしたときにつくられたもののようだ。しばらく進むと林道にネットが書けられ通行止め。その片隅に、左の山道へ上がるよう指示標がおかれ「林業作業道」と手書きされている。山道を行くと左下方からブルドーザーが動くような音が響く。覗くと、下の広場にトラックが止まり、キャタピラ付きの小型重機が走り、ユンボが座っている。その傍らには伐り揃えた丸太が積み上げられていて、運び出すばかりなのか、このまま乾燥させているのかわからないが、たしかに林業作業中であった。その先でまた、林道が現れたが、こちらは、敷いた砂利も白っぽい。その先に「←鹿倉山」の標識が現れ、林道を下にみながら山頂への斜面を上る。
 11時ちょうど、鹿倉山の山頂に着いた。コースタイム3時間15分のところを、2時間15分で来ている。上々。ヒノキに囲まれた小広い山頂。てんでに木に取り付けられた山頂表示が、古い時代のこの山のあしらいであろう。三角点の置かれた1278mという、そこそこの標高だが、関東平野からみると、奥深い。早いがお昼にする。
 少し下ると、先ほどの新しい林道と出会う。山頂をぐるりと巻くようにつくられていて、山道に合流して、林道を辿るようになる。15分ほどさきで「←遊歩道」と小さな標識がある。たぶんこれが、林道をショートカットする登山道なのだろう。だが林道は、地理院地図に記された登山道を辿るようにぐるりと回り込んでいる。それを歩く。予測通りであった。やがて「←大丹波峠」の、壊れかけた道標が現れ、ここで林道とわかれて山道の下山路となる。大きく山体を巻きながら降るルートは、しっかりと踏まれている。やがてこれも、回り込んできた林道と出会って、それを辿り大丹波峠に着く。12時3分。「←丹波山村・小菅村(川久保)→」の峠道だったわけだ。
 ところが丹波山村の方の道には「登山道崩落のためこの先通行禁止」と大きな看板が立てかけてある。ええっ、ここへきてこんな表示では、引き返すわけにもいかないではないか。これも、黒山三滝の登山路同様、行政の「言い訳看板」だろう。進むと緩やかなジグザグの下りとなり、左側の沢に近づいていく。そのうち、何百メートルか沢を歩くようになる。そこが崩れている。一昨年の台風19号のせいだろうか、流されてきた倒木が沢に横たわっている。沢歩きとなるから、踏み跡も怪しげだが、先を見据えて、歩けそうなところを踏んでいくと切り抜けるのに困難はない。
 35分ほどで沢を抜け道に降りる。ここにも「言い訳看板」様のものが置かれている。マリコ川を渡るマリコ橋だ。その先に「サミットの森(小峰山)散策コース」のイラスト看板が掛けられている。スーパーマーケット・サミットの協賛なのであろう。丹波山村が設けたハイキングコースだ。「クラインガルテン」という植栽場や「ジビエ加工場」などが、高いフェンスの上部に電流を通した防止網を施した広い農耕地がある。サル除けなのだろうか。それをふくめて、満開のサクラが目を奪う。
 自転車をおいた下山地点に12時47分着。ほぼ4時間の行動時間。ここから出発点までの10kmが自転車道。最初調べたときは、登山開始地点の標高は520m、下山地点の標高は620m。つまり、100mの標高差を快適に下って戻れると踏んだ。ところが、結構アップダウンがある。8割は下りなのだが、後の2割が上りとなる。車では何でもない上り道が長く続くと、自転車は草臥れる。加えて南東の向かい風は計算外。ときどき押し歩いて40分かかった。
 快適に車で4時には戻っていた。