mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

魂という容れ物のなかを〈私〉が出入りする

2017-09-22 16:00:05 | 日記
 
 昨日一昨日と二日間、やっと寝床で夜を過ごすことができた。夜中に一度か二度、「痛み」に目を覚ましたが、肩口に薄くジワリと広がる痛みの感触を感じながらもすっかり寝入ってしまった。良くなっているのだ。朝起きると「痛み」も目覚めるが、前夜よりは軽くなっているかなと思える。医者のいう二週間になろうとしている。今日は検診の日。手を上げ下げ動かして、どこまで痛みが和らいでいるかチェックしていた医師が「あれえ、関節炎でも起こしているのかなあ」と、まだ残る痛みに不審を懐く独り言をつぶやく。「痛まない範囲でね……こうして」と腕を前後に振る動作を教わる。リハビリらしい。こうして、「痛むかなと思ったら呑みなさい」という「痛み止め」を十日分、「まだ先が長いからね」と湿布薬を4週分もらって、「一ヶ月後に診せてください」と言われ帰ってきた。
 
 右が利き腕だとはいっても、左手の備えがなければ、物が落ち上げられない。シャツの着脱も、長く伸びるランニングや少し大きめの化繊の半袖なら、ぐ~んと引っ張って頭を通せる。靴下を履くのでも、片手だけでは倍以上の時間がかかる。そういうわけで、この二週間ほどの間、それまで私がやってきていた家事のすべてを、カミサンにやってもらうことになった。片方の手が動かないというのは、文字通り「片輪」だ。不自由この上ない。これは差別用語だというが、実際そうなってみると、語源を実感させる。
 
 昔読んだ何かにケガレというのは「欠落」を指していったとあったことを思い出した。医院への行き来の歩いている途中で網野善彦が思い浮かび、帰宅して『日本の歴史を読みなおす』をぱらぱらとめくると、あった。
 
《……ケガレとは、人間と自然のそれなりに均衡のとれた状態に欠損が生じたり、均衡が崩れたりしたとき、それによって人間社会の内部に起こる畏れ、不安と結びついている、と考えることができるのではないか……》
 
 私の現在は「畏れ、不安と結びついて」いない。「治る」と期待できる。現在の不自由はカミサンがフォローしてくれている。しかしこれが、「治る見込み」もなく独り暮らしであったら、まさしく(当人にとっては)汚らわしくも避けて通りたい出来事に思えるであろう。
 
 私の「畏れ、不安」を解消してくれているのは、医療と日々の暮らしのベースと街を歩いているときにも(左腕を吊具で補助しているだけで)ぶつからないように気遣ってくれる人々の、穏やかな心配りの行き届いた立ち居振る舞いである。つまり〈私〉は、この社会のシステムや規範や堆積してきた文化の融け合ったコトゴトが(その一片として)私の身に宿っている姿なのである。
 
  帰宅して新聞を開くと、「折々のことば」の鷲田清一が、
 
《……臨床心理学を専攻する友人の、「身体こそ魂なのであって、魂という容れ物のなかを〈私〉が出入りする」という謎めいた言葉。……》
 
 と書いている。前後の文脈はちょっとここでは触れないが、(そうだ、そうだよ。「身」というのが、体と魂のひとつになる表現と言ってきたことと一緒なんだよ)と、思わず快哉を叫びそうになった。
 
 「身という容れ物のなかを〈私〉が出入りする」、その瞬間の「痛み」だったなあと、もう振り返る気分になっている。うっ、イテテ。

まるごとの存在を直感する生物的核

2017-09-20 13:32:04 | 日記
 
 今日(9/20)の朝日新聞「折々のことば」に戸井田道三のことばが取り上げられている。
 
《わたしには「生きがいを求める」というのがどうもうさんくさい気がします。いのちを軽んずる心が隠されているからです。》
 
 筆者の鷲田清一は、これにつづけてこう書く。
 
《「単なる生存」ではなくて、人として「意味ある生活」をしたいと考えるのは、いのちというものへの傲慢ではないのかと、能芸の評論家は言う。一つのいのちがここにあること自体が、他のいのちとの共生による一つの達成である。だから人の「生存」を「役に立つとかたたぬとか計ってはいけない」と。》
 
 鷲田は、単に戸井田の一節を解説しているだけにすぎないが、哲学者である彼が、この解説の本旨を展開すれば、ソクラテスが転換を図ったギリシャ哲学と、それを受け継いだヨーロッパ近代哲学の本筋を再転換させるような論展開になるとおもわれる。ソクラテスの転換が「人間主義」を胚胎させた。「ひとはなぜ生きるか」という問いは、世界の中心に位置する「特権」を人間に与えた。もしこの問いが「生きものはなぜ生きるか」という問いであれば、ヒトはその一つの種にすぎないと展開されることになったであろうし、ことばも思索も、ヒトの癖として位置づけられたに違いない。しかし人間を特権化したことによってユダヤ教やキリスト教との親和性のベースがかたちづくられ、ローマ帝国以来の曲折を経て、欧米の近現代へと流れ込んできたのであった。
 
 ヒトの癖である言葉と思索の生み出したソクラテスの問いは、「人の生きる意味」という限定された局面における問いであったにもかかわらず、ヒトの存在を魂と身体に切り分け、前者に高い価値を与えようとするドグマに囚われていることに気づかなかった。それどころか、魂、精神、理性を高みにおいて人間を特権化することによって、世界の統括者としての正統性を手に入れた。ヨーロッパ近代が十九世紀までにつくりあげ、二十世紀に仕上げた醜悪な混沌世界が、その精華であった。十九世紀末には、たとえば「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」というゴーギャンの作品タイトルに象徴されるように、ヨーロッパ近代は行き詰まりをみせ(強くカトリックの影響を受けていたゴーギャンはこの絵を仕上げたのちに自殺を図り、未遂に終わったが)、「まるごとの存在」へ道を拓くことになった象徴的なモチーフと私は受け止めている。
 
 では、分節化は意味がないのかというと、そうではない。「意味がある/ない」という問いがもっている限定性を見失わないことだ。もちろん「意味があるかどうかわからない」という、期待される問いへの答えと異なる回答も含めて抱え込むことによって、分節化がもたらした諸分野における考察や思索は広まり深まった。答えの出ないままに棚上げされてきた分節化の営みも、その営み自体が人の実存であったと受けとめることだ。利益を生むとか成果を上げるとか意味多い振舞いというのは、社会的にはわかりやすいかもしれない。だが、そこから外れる営みもあることによって、人類史は多様性をつくりあげ、その文化をDNAに刻み記してきたのではないか。
 
 戸井田道三の「うさんくさい気がする」というのは、ものごとのとらえ方の視界や位相・次元が固定されてしまって、動態性を失い関係性を忘失していることへの批判的直感が働いていると思う。私たちも、ときどきそうした直感を感じることがある。案外それは、生物的DNAの核が表出しているからではないかと思えて、安堵したりしているのだ。

使わなければ錆びる

2017-09-19 14:46:44 | 日記
 
 昨夜やっと半分、横になって寝ることができた。体を起こしているときはそれほどでもない痛みが、横たえると熱を持ち広がるように思える。半醒半睡の状態で朝を迎える毎日であった。昨夜も同じ予感を抱えて、しかしリクライニングチェアではなく、寝床についた。痛みを強く感じて起き上がったりまた横になったり何度か繰り返して、5時間ほどを過ごした。そのあと夜中に、リビングのソファに横になってタオルケットをかぶってから楽になり、5時間ほど眠った。久々に「寝た」と思った。
 
 「少し軽くなったんじゃない」とカミサンはいう。確かに。午前中は少しだが、本も読むことができた。月末に開かれる「18年前の教え子たちの同窓会に出席できないご挨拶代わりのメッセージ」も片手でタイプして、送信した。溜まっていた、そのほかのメールへも返信をすることができた。
 
 また横になりうとうとと考えたのは、「利き腕が痛くならなくてよかったね」というカミサンのことば。まてよ、それは違うんじゃないか。左肩にカルシュウムが溜まったのは、ひょっとすると左腕を使わなかったからではないのか。以前五十肩になったとき上げ下げすると痛みが走るので動かさないようにして、いつしか治っていた記憶がある。でもそれは痛みが起こってからであった。今考えてみると、ふだん利き腕ばかりを使っていて、そうでない左手は基本的に使わないできた。使わないから錆びる。カルシウムは身体の酸素のようなもの、それが溜まるというのは使わない部分が酸化して錆びつくということではないのか。医者は「なぜそうなるか」をわからないと応えていたが、案外、そのような単純なことのような気がする。
 
 ということは、痛み止めの薬は「錆びを洗い流すクレ556」のようなものか。ひどい錆び部分だから一度や二度では浸透しない。何度も使って浸透させ少しずつ洗い流していく。そんなふうに作用しているのではないか。
 そう考えると、日ごろ使わないところを動かさなくてはならない。毎朝私が新聞を読んでいる間にカミサンがやっているテレビ体操なんかも、わずか10分ほどだが、身体の使わないところをうごかすようにしている。自然(じねん)にするということは、自ずからそうなることに任せるということではなく、利き腕とか利き脚とかバランスとか、己自身の身が持ち来っている「傾き」とそれがもたらす「不作用」をも承知して、動かしてやることかもしれない。すこし心をあらためて我が自然になるほどに朝の体操でもしてみようか。

痛みのかたち

2017-09-17 09:13:52 | 日記
 
 9/15に「化石人間」と軽口を叩いていたのは、医者の注射によって痛みがやわらげられていたせいでした。その日は割とよく寝られたのですが、昨日は一日、痛みに苦しめられていました。痛みばかりか左腕が動かせなくなり、物をつかむこともできなくなりました。衣服の着脱もできません。吊り下げている左腕の筋力が落ちてしまったのかもしれません。夜になると、とても寝床に身を横たえることができず、起きているもならず、書斎のリクライニングチェアに身を預けて一晩を過ごしました。医者はステロイド剤を使っているので注射は一週間おかねばできないと、坦々と話します。
 
 いつであったか、痛風になる恐れがあることを友人の薬剤の研究者にしたところ、「痛風になる人はアルツハイマー型認知症にならない。今は痛み止め医療が発達しているから、良かったね」と言われたことがある。そのときはなるほどと思ったものだが、こうして痛みが走ってみると、アルツハイマー型認知症の方が良かったと思いはじめている。
 
 痛風の痛みは、心拍の鼓動に合わせて、ずんずんと痛みが響く。ところが今回の痛みは、「痛み」というシートを肩口に張り付けたみたいに、ベターっと途切れることなく、痛みがつづく。まるで肩に「痛みザル」が乗っているみたいだ。それが日を追うにしたがって二の腕から手首の方へ薄くなって広がるような気配。身体をどうおいていいものかわからない。何より眠れないのが堪える。
 
 うつらうつらしている合間に、夢をみる。痛みの水脈がある処では急斜面をなし、その辺に湿原をつくっている。葦原のあいだを「痛みの元」を発見した誇らしさを湛えてやってくる人がいる。彼の示しているのはブルーポピー。これが「正体だ」と言っているようだ。いつか中国の多姑娘(山)に登ったとき、お花畑に花をつけていた背の高いきれいな花だ。びっしょりと汗をかいている。また眠ると、今度は似たようなシチュエーションに、アヤメかショウブか、高山植物のそれが「正体」になっている。また汗をびっしょり。なんだろう、この夢は。一時間ごとにこんな夢をみて目を覚ました。
 
 無駄な抵抗をやめろ、というメッセージか。よくわからないが、痛みにかたちがあり、それはそれで散華するときの己の姿だと示しているのかもしれない。
 
 痛いのに、よくこんなことを書いていられるなと思うかもしれない。何かに集中しているときは、痛みを忘れていられる。いろいろなスケジュールが、じつは目白押しだ。でも、山はキャンセルだし、車の運転もとてもできる状態にない。なんとかあと一週間で痛みが引いてくれることを祈るしかない。

化石人間になるか

2017-09-15 20:34:32 | 日記
 
 9/11に医者の診察を受け、痛み止めの薬を呑んできたが、痛みが治まらない。14日にまた診てもらった。今少し強い痛み止めを処方してもらう。午後「ささらほうさら」の月例会。腕の吊具は外していたが、終わって会食に行くときに、手を貸してあげるといい場面で、私は手を出せない。周りの人たちは不思議そうな顔をして私をみている。仕方がない、吊具を出して装備する。こうしてやっと、「どうしたんだ、それ」と訊かれることになった。
 
 その会食でお酒を頂戴したのが影響したのか、夜寝るときになって肩の痛みが強まる。身体を横にしていると酷くなる。とうてい眠っていることができない。痛みをシップのようにして左の肩口から二の腕にピタッと張り付けているようだ。輾転反側すること2時間、とうとう起き上がって書斎のリクライニングチェアに腰を掛けて、身を預ける。いくぶん痛みが和らぐ。本を開いてはみるが、なにも頭に入らない。うとうとと4時間ほどを過ごし、痛みどめを呑む。
 
 気がつくと、5時前。カミサンが起きだしてくる。コーヒーを淹れてもらう。こうして医院の開くのを待ちかねるようにして診てもらった。注射を打つことになり、医者は慎重に患部の皮膚のすぐ下に麻酔をかけ、3ml、2mlと二種を打った。今日一日、痛みを堪え、それが移り変わっていくのを身体感じつづけて、過ごした。
 
 今日は週一回のストレッチ体操の日。私は会計係をしていて、講師への「謝礼」を渡さねばならない。顔だけ見せて帰ろうとしたが、講師がどうしたと聞く。訳を話す。すると軽々と、
 
「石灰化ね。それって五十肩と同じよ。時間が経てば、直ってるわよ。原因はわかってない。加齢ですね」
 
 とおっしゃる。痛みがあるときは、動かさずに養生する。いつか治ってるから・・・。お大事に、と言われ、なんだか身が軽くなった。どうして? 五十肩と同じというのが、たぶん私の経験則にハマったんでしょうね。傍らで聞いていた男が「化石化してさ、いずれ立派な石像になったら、お墓が要らねえやね」と混ぜ返す。そうか、化石人間になるか。