mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

21世紀2合目の2月の自粛

2021-02-28 11:08:04 | 日記

 早いものだ。もう2月が終わる。今月は埼玉県内の山、三座をうろついた。うち二座は同行者がいた。ありがたいことだ。三座とも、軽いハイキング。春模様の暖かい陽ざしの中を、気持ちよく歩く。アプローチに車をつかうのが2時間以内というので考えると、三峰口の先まで足を延ばすのはムツカシイ。すると、たいていの山は二度目、三度目ということになる。そういうわけで、「奥武蔵・秩父」の地図を傍らにおいて、さて来週は何処へ行こうかと思案する。ま、これも楽しみのうちだし、幸か不幸か、むかし登ったルートはほぼ忘れているし、季節も違うだろうし、歩いている途中の関心の向け方も変わってくるから、新鮮さは変わらずについてくる。
 山には(健康上の理由で)登れない私の友人が、「(今登る山の)テーマは何?」尋ねたことがある。そうか、日本百名山踏破とか、二百名山とか、山梨百名山とか、栃木百名山とか、群馬百名山というのも、それぞれの県の観光協会か何かが設定しているようだから、それを制覇するっていうのも、テーマになるかもしれない(埼玉百名山というのは、なぜか、ネット検索をしても、ない)。ただ単に、目標設定を社会的な評判に基づいて行おうとする気分にすぎない。もちろん社会的評判は、それなりに踏破することの困難さなどの評価がついていたりする。つまり外的な価値づけに、わが身を合わせて「○○百名山を踏破した」とか「○○山を何百回登った」という上着を被りたいのかもしれない。しかし後期高齢者になっては、そんな外套は、もう、いらない。
 そういう山歩きを「ピークハンター」と名づけたりもする。しかしそれは、たいてい蔑称というか、山歩きの邪道だと私は受け止めている。次元を変えて、山歩きをする衝動の本筋をみると、山歩きそのものがある種の「瞑想」気分に誘うところにある。それが、病みつきになって、ついつい毎週のように登らないと落ち着かない気分が湧いてくる。別様にいえば、生活習慣病である。この心の習慣が、齢をとってみると、健康であることと結びついていてご推奨ってことになり、「お元気ですね」と周りもちやほやするから、ますます調子に乗って家を出ていくってことになる。ああそうか、周りの目がわが身の在り様を定めてくれるというのも、外套のようなものか。
 例えば三浦雄一郎さん。80歳でエベレストに挑戦したときには、いろんな評価が飛び交った。そのお歳でチャレンジ精神が凄いというのもあれば、援助・介助の人たちがずいぶんいて、お金も掛けている。あれは迷惑登山だと批判的な声もあった。いいじゃないか、あれがあの人の山歩きなんだよと、批判的な意見を言う山友に、私は私見を述べたこともあった。だが最近、井戸端週刊誌の見出しに、「三浦雄一郎91歳でエベレストに意欲」とあったのを目にしたとき、ああ、この人はエベレスト病に取付かれて、山歩きの本質が見えなくなっていると思った。つまり外套に気をとられて、自身の内側の声を聴きとれないのだ。というか、自分の内側まで外套が覆ってしまっていると言おうか。ま、それほどにヒトというのは、外套に目をくらまされやすいとも言えようか。
 散歩のように毎日歩くには、山里に本拠を置いておくのがよいが、そうは自在に暮らせない。おのずと、山に入らない日は、住宅街をうろつくしかなくなる。ところがさいたま市の場合、関東平野のほぼ真ん中。高低差はせいぜい20メートルもあればいい方だ。そこへもってきて、いたるところが舗装され、階段が整備され、橋が掛けられて、歩くのに障りにならないように「社会的整備」がなされている。道路管理者が、事故が起こらないように、障碍者が通行するのに不自由がないようにと至れり尽くせりの手当てをするから、足元に気を集中し、地面の起伏や傾き、木の根や岩のごつごつが体の傾きを支えるのに、どう作用するか、そこを通過するわが体の重心移動がどう運びつつあるか、そういうことに夢中になるあまり、「瞑想」が起こることが、ない。つまり平地の住宅街を歩くのは、いかに長時間歩いても、山歩きとは次元が違う。それほどに、現代の都市生活はヒトを手名付けて体を根底から変えてしまっていっている。
 いや、ヒトがそう変わることを良いとか悪いとか言っているのではない。だが、山歩きの「瞑想気分」を平地の街歩きで味わおうということはできない。そう言いたいのだが、かといって山さとに引っ越すほど暮らし方を変える元気がない。私が味わえなかった暮らし方を、山さと暮らしの方々は日々味わっているのだと、うらやむばかりである。
 21世紀の2合目がはじまって二月が過ぎた。2月というのが、この後何回私にあるのかわからないが、果たして3合目までたどり着けるかどうか。カミサンは「外套も着てみると悪くないわよ」と、日本百名山を8つほど残す私を、けしかけている。私の体力が、残る百名山に適応できるかどうか推し測っているのかもしれない。自粛ばかりではなくなれば、コロナ感染に用心して、県外へ出かけてみたいという気分にもなっている。ぼちぼち、今年の4月から11月ころまでの山計画でもたてるか。