mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

鍛えられたのか鈍くなったのか

2019-10-24 16:34:00 | 日記
 
 今日の昼間の最高気温は20℃。最低気温は16℃ほど。涼しくなったが、まだ半袖で通せる。
「寒くないの?」と聞かれ、そう言えば、以前は20℃以下だと長袖を来たかなと思う。
「寒くないね。強くなったのかな」と応じたら、
「鈍くなったんじゃない?」と返されて、そうかもしれないと思っている私がいた。
 
 床屋に行く。私が毎週のように山歩きしていることを知っている。
「どうやって疲れをとるんです?」
「それがね、疲れが出なくなっちゃったんですよ」
「そりゃあ、すごい!」
「いえいえ、そうじゃなくて、疲れを感じられなくなっちゃったんですね」
「どういうこと?」
「若いころは、歩いている途中で筋肉痛が出るほど、回復も早かったのね。還暦を過ぎると、三日遅れの疲れになって、喜寿の今じゃあ、外へ出て来なくなったのよ」
「ってことは、強くなってんじゃない? いいじゃないですか」
「いやいや、そううまくはいかなくて、身体がどんよりと重くなって、いろんなことが面倒になる。弱いところへ祟るようになる」
「ん?」
「歯が痛んだり、胃腸が不調になったり、腰が不安定になったり、ね。いろんなことの、根気がつづかない」
「何日くらい?」
「三日くらいかな、いまのところ」
「そっか。それで次の週には歩けるってわけね」
「そうそう。業みたいなものよ」
 
 めんどくさくなって根気がつづかないのが、このところ如実に現れている。ふと気づいていたことを、つづけて調べてみようという気力がつづかない。そのときに思いついて図書館に、同じ系統の本を何冊か予約する。本がどっと届く。以前なら、それらの目次を見て大体の見当をつけ、1,2冊丁寧に読んでメモを取り、後はパラパラと読み流して、特徴的なことをメモに加えるというふうに、短時日で集中して読んだ。
 
 今回は「社会政策」という分野が、どのように企画され立案され、どう推進されているかが気になって、6冊ほどを予約した。ところが、届いてみたものの、目次を見るだけで意欲を失くしてしまった。以前なら、どうして意欲を失くしてしまったのかを、「目次」のせいにして、わが身の裡をのぞき込みながらひとつ二つ、コメントを書いたものだ。それができない。やる気がわいてこない。とうとう2週間手元に置いておいただけで、全部返却してしまった。「社会政策」に目を付けた動機も、どうでもよくなってしまっている。
 
 一つ思い出した。李御寧『「縮み」志向の日本人』(学生社、1982年)という本の中で、著者が、芭蕉とテニスンと韓国の詩人・尹善道を対比させて、日本とイギリスと韓国の自然との向き合い方を論じている。

 芭蕉は、「よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな」と対象をじっと見る(「縮み」の)視線を謳いこんでいる。
 それに対してテニスンは、「壁の割れ目に花咲けり/割目より汝を引き抜きて/われはここに、汝のすべてを/わが手のうちにぞ持つ……」と謳い、花を引き抜いて手中にする西欧的な感覚であるとする。
 その上で、尹善道の「入り江の霧が霽(は)れ、背後の山に日が映える。/夜の潮は引き、昼の潮が見つる。/江村の花はすべて、遠目にさらによし」をとりあげて、《この詩人はじっと見ないで、ぼんやりと遠くから眺める。そのとき花は最も美しい姿をあらわす。人間の観点をできるだけ排除するとき、自然はそのありのままの姿をあらわします》と評し、《これこそ、西欧人の視線とは異なる東洋の観照的な態度なのです》と断じる。

 著者・李御寧は1934年、日本の植民地の韓国に生まれ、子ども時代に日本語の教育を受け、ソウル大学の教師などを務めた方と「経歴」にある。日本の文典に通暁しているが、この本は日本の国や文化にたいする奥深い「恨み」を行間に秘めながら、日本文化を出汁にして「東洋には(日本以前に)韓国あり」と謳わんとしているものであった。
 
 どうしてそれを思い出したのか。芭蕉のそれは「分節化」した断片を象徴的に取り上げている。尹善道のそれは(自然の)全体をとらえて、讃えている。東洋の特性は、断片を見るのではなく全体をまるごと観照するところにあると、得意然としているのが、いかにも、読まずに返却したわが身の現在に似ていると思えたのだ。つまり、元気がいいときの私は、ものごとを分節化して見て行こうと意欲満々であるが、どうでもよくなっている(現在の)私は、すべてをまるごとのまゝにとらえようとしている、と。
 
 ま、ことほどさように、鈍くなっているというわけです。