すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 人も花なれ・・・ 「茶碗の活路」 「神仏を信じず、あの世を信じないなら、左翼のほうがましである」

2010年03月31日 07時30分56秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 


  花ならば  人もたわわの  花ならむ    


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 気温12℃、花冷えというより、真冬に戻ったかのよう気候が一服し

た。

 日本全体がすっぽりと緩やかな高気圧に覆われているが、バルチッ

ク艦隊を迎え撃った日本海戦の海域は一群の雨である。

 いまだに熱気を帯びて雨を降らせているかのようである。

 今日は花道を歩いて通勤するとしよう。

 

 数日前、歯が骨折した。

 虫歯が欠けたのである。

 ああ、また歯の突貫工事が始まる。

 差し歯をすると5,6万円請求される。

 茶碗で作った義歯である。

 

 「ええ、この歯は柿右衛門なんです」なんて自慢できるならまだしも、

いわば衛生陶器でぼったくるのはいかがなものか。

 保険外ということだが、値段はあってないもので、歯医者が言い値

のぼったくり価格なのだそうである。

 それでも協定価格があるらしく、最低でも5万円だという。

 

 薬糞倍花八倍と言われたが、不景気な茶碗業界もマーケティング

次第では花並みの利益がとれるのではないか。

 茶碗業界は不景気だが、有田焼の歯は世界中で売れるかもしれ

い。

 便器を作ったTOTOは有田から追い出されたが、歯ならば茶碗とも

親しむであろう。

 磁器は、衛生、医療資材分野にも活路があるのではないか。 

 もちろん、茶碗型UFOという活路もあるが・・・。

 

 

 

 

  

   

 

 

神仏を信じず、あの世を信じないなら、左翼のほうがましである


 幸福実現党の街頭PR活動で、私は自民党支持だと言った裕福そう

なおばさんが、受け取ったチラシを見て、「私は宗教は嫌いだから!」

と突き返してきたという。

 幸福実現党は、自民党から見れば本家本社筋である。

 何かがおかしい。

 保守とは言っても、どうも変質して虫歯のようになってはいないか。

 

 ヨーロッパに発した社会主義ないし共産主義は、仏神を否定する唯

物論に始まった。

 すなわち、唯物論者とは左翼社会主義に汚染された人間のことであ

る。

 

 ところが、日本には自民党支持者でありながら、宗教を嫌い、仏神を

嫌う保守というのがいる。

 仏神を信じない唯物的人間ならマルクス系かと思っていたが、資本

主義の中には、仏神を信じない拝金主義というのがあるのだった。

 

 そうした唯物論保守という者たちの「自由」とは、金儲けの自由であ

り、私利私欲の自由であり、弱肉強食の自由であろう。

 これでは、社会主義は間違っていると言っても、自分たちも間違っ

ているのである。

 

 仏神を信じないで、どうして人を信じ、愛することができようか。

 仏神とは、魂である人間の根幹に他ならない。

 根っこを見失った魂は、いわば浮遊霊であり、悪霊なのである。

 愛を見失っているからである。

 

 仏神というべき幹を信じない者にとって他人とは異物であり、信じる

べき根拠の乏しい外敵かもしれない存在である。

 まさにサルトルの世界である。

 すなわち、人間はたよりない偶然の産物であり、ちっぽけで孤独な

存在になる。

 偶然同士が出会っても、理解し、信じあえる根拠がない。

 それが他人だということになる。

 

 そのような唯物論の人間にとっての自由とは、他人に対する攻撃防

御であり、支配である。

 愛ではない。

 

 そんなことならば、左翼のほうが正義を感じる。

 平等を掲げ、貧困を救済する国家を構想し、最終的には国家権力か

らの解放を掲げる社会主義、共産主義のほうが私利私欲を離れて

いる分、善良かつ愛に根ざすものだといえるからである。

 

 神も仏も無い自由とは、おぞましい拝金主義であり、弱肉強食の傲

慢と不幸をもたらす偽物の「保守・自由主義」にほかならない。

 

 ところが、社会主義には致命的な自己矛盾がある。

 愛の発露があるに関わらず、それは個人の努力による発展をゆるさ

ない嫉妬に変質してしまうのだ。

 富裕層を排撃し、貧乏の平等を正当化する。

 その結果、悲惨な貧乏生活を国民党員に強いることになる。

 

 嫉妬はもはや愛ではない。

 そこに社会主義の変質がある。

 貧乏の不満を抑圧するために、また、自由を求める個性の発露を抑

圧するために、社会主義政治は恐怖政治とならざるを得ない。

 結局は、自由主義以上に残虐な国家を作ってしまう。

 それが、仏神を否定した結果であり、愛の自己矛盾の結果なのであ

る。

 

 神は愛である。 

 結局、資本主義ないし自由主義も、社会・共産主義も、仏神を否定

した唯物論であるならば、どちらもおぞましい権力支配をもたらすこと

になるのである。

 それが、今日の不況であり、唯物論社会の末路というべき状況で

はないか。

 

 神も仏もある世の中にしない限りは、明るい未来は見えてこない。 

 では、仏神とは何か。

 それを探求するほかはあるまい。

 ならば、幸福の科学に学ぶのが一番分かりやすく、一番奥深い。 

 手に取った本を読んでみよ。

 そこに、現代日本人が気づかなければならない活路がある。

 

 あなたは、嫉妬の社会主義者なのか、それとも私利私欲拝金主義

者なのか、それが問われる。

 いずれもよしとしないならば、弁証法的第三の道は、仏神への自由

主義以外にはないことに気づくであろう。

 潔く悟るべきである。

 

 少なくとも、個性を愛し、異質な他人を愛し、神を軽蔑しない謙虚な

精神を目指すべきなのではないか。

 日本を愛する日本国民に告げたいことである。 

 
 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする