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+ 木蓮の空・・・ 感情とは何か  現成の仏陀教団・幸福の科学、三宝帰依のすすめ 

2010年03月13日 12時52分07秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 

  木蓮の  花散っており  空の下  


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 外気温14℃、曇り時々雨の土曜である。

 さて、木蓮の花である。

 青空に大胆に咲く花であるが、春の嵐を呼ぶ花でもある。

 先日の大風で満身創痍、すっかり大振りの花を落としてしまった。

 

 それに代わって、今はコブシの花が満開である。

 コブシの花は、卒業式の季節に咲く。

 節目の花である。

 港を出航する白帆のように、旅立ちの花を風に膨らませているので

ある。

 

 

 

 

 

  

 

  天空の  万の舟よ  コブシ花  


     梅士 Baishi

 

 

 

 

 「天気晴朗なれども波高し」。

 今年もまた、多くの舟が帆を揚げて旅立ってゆく。 

 

 

 

 

 

 

 

感情とは何か


 人間を不幸にするものについて幸福の科学では心の三毒、五毒と

いう教示がある。

 再誕の仏陀の直説金口の教えである。

 

 貪瞋癡慢疑という感情の毒である。

 貪りという限りない自己保存の欲望、感情的怒り、邪見に犯された

愚かな心、慢心する無教養、愛のない疑心暗鬼である。

 仏弟子といえでも、そこから解放されているわけではあるまい。

 まして無頼の在野にとって、心の毒素はまさに獅子身中の虫であ

る。

 

 自分にとって最大の毒虫は、怒りの心である。

 裁き心である。

 他人の違法、不条理、怠慢に接すると激しい怒りが炸裂する。

 怒りがよくないのは、そこに愛がないからである。

 売り言葉に買い言葉という報復も同様であろう。

 

 それも理屈では分かっていても、別原理で動くのが感情であろう。

 かといって、感情が無いと、機械的になる。

 そもそも感情とは何なのか。

 心の表面のざわめきだというが、自分に関わってくる悪や敵対に対し

てどう対処するべきなのか。

 是が問題である。

 

 感情とはいわば大衆というべきかもしれない。

 そのリーダーというべきが理性であり、さらにその根源にあるのが仏

性というべきものかもしれない。

 感情の統制が取れないというのは、大衆騒乱の状態で、リーダー

の統率力が足りないということなのであろう。

 

 では、リーダーというべき理性とは何かという問題である。

 いわば、大衆的感情に対する外務大臣であり、大統領である。

 敵対する外国に対して、いきなり大統領が戦争を仕掛けたのでは政

治にならない。

 

 感情とは即時的であって、そこに手続きというものがない。

 裁き心というものは、やはり、手続きを踏まなければ正当とはいえ

ない。

 手続きとは、相手に不意打ちを与えず、感情ではなく理性に訴える

べきものであろう。

 感情はいわば現象であり、相手の感情現象を直接抑制しようとすれ

ば力ずくでということになる。

 

 話し合いの相手もまた感情であってはならない。

 それは内政干渉に近くなる。

 管轄違いである。

 話し合いの相手は、やはり相手方の理性であろう。

 同様に、相手と交渉する窓口も感情であってはならない。

 やはり理性でなければならない。

 

 理性とは、紳士的であり、マナーを重んじ、忍耐強い。

 しかし、理性は、覚悟を決めたら戦争も辞さない正義を持つ。

 いわば、武士道精神というべきものが、理性に求められる。

 

 相手の攻撃的な感情に対しては、悪天候のように耐えるほか無いの

だろうか。

 やはり、感情はよく教育されなければならない。

 裁いてはならないのである。

 裁きは、仏神の許しが必要である。

 そのように教育すべきである。

 

 市民警察が必要である。

 市民警察とは市民の市民による市民のための警察である。

 民間警察への権限委譲ができる部分があるはずだ。

 ボランティア警察でもよい。

 資格試験と権限とを与えると良い。

 

 

 

 

 

 

現成の仏陀教団・幸福の科学、三宝帰依のすすめ


 幸福の科学の正会員になるということは、キリスト教でいえば洗礼

にあたる。

 信仰が問われる。

 三宝帰依が仏弟子の誓いとして求められる。

 三宝とは、仏、法、僧である。

 僧帰依というのは難しい。

 現状の仏陀の下で、帰依を受けるべき僧とは何か、問われているこ

とであろう。

 信仰は命がけであり、死に甲斐である。

 決死の覚悟で仏を護り、手足となって働いている者が僧というべき

であろう。

 

 仏弟子と認められたら、正心法語という根本経典を拝受することがで

きる。 

 真理の言葉、菩提心の言葉、智慧の言葉、目覚めの言葉、解脱の

言葉、無限の言葉、正義の言葉という奇跡の法が言霊として許され

るのである。

 そのほかにも、祈願文という祈りの言葉が授けられる。

 その中には、病気平癒祈願や悪霊撃退の祈り、守護指導霊への祈

り、結婚のための祈りなどもある。

 これほど力強い法剣はない。

 

 しかし、幸福の科学はご利益信仰ではない。

 仏に護られ、仏と共に新文明を起こそうとする奇跡のサンガであるか

らこそ与えられた祈りである。

 仏に帰依し、使命に生きる修行者として、一定の法力を伴う祈りや

修法を与えられているのである。

 

 私のように、支部組織に帰属しないへそ曲がりの在野的人間もいる

が、現成の仏陀をいただき、そのことに気づくということがいかに誇ら

しいことか。

 日ごろは草のようにしているが、「いざ鎌倉」を心に決めている。

 魂には金の羽で書かれた金の文字が刻まれている。

 

 その仏陀に敵対することのなんと罪深いことか。

 敵対せずといえども、これを信じず、気づきもしないということの何と

いう慙愧であろうことか。

 感情も理性も仏性も総動員してこの奇跡の事実に気づいてほしいこ

ものである。 

 そして、日本という、仏陀をいただいた聖なる国の国難を克服し、愛

と正義と繁栄を実現する日本の使命を果たそうではないか。

 

 人は全員死亡する。

 故に、死に甲斐こそは人の安心立命であり、喜びである。

 

 経営者よ、幸福の科学に集え。

 学生よ、幸福の科学に集え。

 老境の人よ、幸福の科学に集え。

 

 日本神道の氏子らよ、幸福の科学に集え。

 僧侶よ、幸福の科学に集え。

 キリスト教徒よ、幸福の科学に集え。

 

 神の国九州のクニタミよ、幸福の科学を支えよ!

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi

 


 

 

 

 

 

 

 

 

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