守護霊と 青き地球の 星を見ぬ
中村 梅士 Baishi
毎晩、寝床の中で守護霊との対話が続いている。
なかなか届かない太平洋上での「大海原の瞑想」だった
が、今夜は太平洋にようやく届き、さらに富士山頂で天の
御祖神の霊流を引いて、愛の星地球が見える宇宙空間から
プレアデス2番星まで届いて帰るというイメージだった。
守護霊との新年会議では、毎日少しづつ議案を検討して
いるが、今夜の会議では愛の星・地球を宇宙空間から眺め
つつ、本ブログの看板の架け替えをしようと言うことにな
った。
「九州やまとの国」では、日本の表記としては誤解され
るので、七州にしようかという案が出た。
しかし、結局日本限定のイメージでは狭いと思われた。
そこで、大東亜共栄圏を現代感覚で表現したものとして
『新アジア共栄同盟』と表記することにした。
同盟であるから、信仰を大切にする独立国家の協力関係
というイメージである。
エル・カンターレは地球規模の危機を克服して新文明を
築く救世事業を背負っているが、日本はまずは日本国の独
立と、さらにはアジアの繁栄について責任がある。
そういう趣旨を新しい看板に込めてみた。
今のところは遊び心というレベルだが、本気で取り組ん
でみたい着想である。
我那覇チャンネルで、昨年末のアメリカのクリスマスの
異変について現地からレポートしていた。
アメリカ社会で、クリスマスは一大行事である。
ところが、今年は物流が滞り、クリスマスプレゼントが
買えないということが問題だと言われていた。
しかし、本当に問題なのは、“Merry Christmas" とは言
えない社会になっている状況にあるというのだ。
「言葉狩り・メリークリスマスが消えた」とタイトルし
て全体主義的文化革命の実態を伝えている。
メリークリスマスに代わって、Happy holidays という言
葉に変えられているのである。
→ https://www.youtube.com/watch?v=gKOPA0sUmY0
参考図書として、福田ますみ著『ポリコレの正体』が紹
介されていた。
アメリカだけではない。
日本でも陰湿な民間警察を含んだ監視社会が出来上がっ
ているのだ。
コロナ問題で一層、弾圧的に出来上がった監視社会であ
る。
国民の自由のために自由を制限するというのだ。
守るべき自由とは、感染可能性を抑制することである。
果たして、これが自由権と言えるのか。
基本的人権よりも重い法益だと言えるのか。
制限されるべき自由とは、人が接見交通するもっとも基
本的な人権である。
信仰の自由にせよ、集会の自由にせよ、人が命がけで守
ろうとしてきた基本的人権である。
国会ではこういうことが議論されないのである。
議論されるのは、なんぼ銭をばら撒くかという党利党略
を巡る駆け引きである。
もはや、民主主義でも立憲主義でもない。
立憲主義とは、国民の基本的自由を国家権力から守るた
めの基本法で国家を運営するという自由主義を目的とする
民主的立法主義である。
それが利権優先で形骸化されているわけである。
中共では、「くまのぷーさん万歳」とか言ったら殺され
るだろう。
それが民主国家でないことは明らかであり、自由な言論
が保障された国でないことも明らかである。
オミクロン株というコロナ名も、本来、シージーピンの
Θ株と言うべきところを避けた結果だという。
世界が中共に脅迫され、恐れているのは異常だろう。
自分もメリークリスマスとは言わないが、言葉狩りのせ
いではない。
キリスト教的交流が無くなったからである。
「あんたはもうキリスト教徒ではないから聖餐式に出る
資格はない」と母に言われたがことがあった。
今では、その母もキリスト教会を見限った。
サラリーマン牧師に嫌気がさしたようである。
キリスト教の排他主義、差別主義は不愉快である。
偽善的牧師よりも、共産主義だった渋谷の山手教会の牧
師の方がよほど誠実だったと思う。
ただ、思想選択を誤った責任は重いということだ。
自分は今でも聖餐式に出席する資格がある。
聖歌隊で歌う資格もある。
キリスト教徒よりは信仰上位にある幸福の科学の信者だ
からである。
現代を指導するイエス・キリストの言葉を聴く者だから
である。
今では主エル・カンターレを信仰しているが、イエス・
キリストが救世主でなくなったわけではない。
幸福の科学の指導神として近くにある。
キリスト教徒はイエス・キリストの指導を受けるほどの
信仰を見失っているのだ。
アメリカのクリスマスの形骸化の原因もそこにあるので
はないか。
日本国独立宣言・神聖・新アジア共栄同盟
New Asia Happiness Party