白梅や 凛と冷たき 春を立て
中村 梅士 Baishi
昨日は初登城日となった。
干し芋を数枚齧っただけだったが、戦場には十分だ。
紙カイロを握りしめて、登城の馬を走らせた。
専用の席は返上したので、教室で荷ほどきをしてリモー
ト授業に入った。
・札幌オリンピック招致のボトルネック
・スポーツ科学では勝てない理由
・「失われた20年」で日本が失っていたもの
・国家ぐるみナンチャイナ・ドーピングの内部告発
・アンチ・ドーピングの新しい考え方
「常識にとらわれないスポーツ学」がテーマである。
新しい発想、自由な発想がいかに大切かという話である。
IQ優位社会の盲点でもある。
さて、今朝も大いに寝坊した。
気温は5.6℃もあるが、とても冷たい朝である。
老母は済生会病院で大腿骨骨折の骨接ぎ手術をうけるこ
とにしたという。
まずは一安心である。
SNS報道を概観し、国際情勢をぐるっと見回した。
アメリカの共産化が一層進み、カリフォルニア州などは、
富裕層を中心に、保守州に転出する人が急速に増えている
という。
トヨタもカリフォルニアからテキサスに拠点を移した。
身の危険を感じるので、銃は必携だという。
他方、カザフスタンの暴動はロシアの助力により鎮圧さ
れたが、暴動を起こしたのは親中派の軍事的訓練を受けた
組織で、アメリカのBLMなどと同じ共産系のようである。
中国共産党こそは世界共通の敵であり、その危険性と孤
立化が一層はっきりとしてきた。
もう一つ注目されるのは、鹿児島の農業専従者のチャン
ネルである。
農業資材の高騰で離農が加速しているという。
ニ、三年のうちに食料不足問題が起こるだろうという。
対策としては、自給自足的農業が促されていた。
情報源として新聞テレビからは遠ざかって久しいとも。
それで困ることは全くないと。
たしかに、自分も新聞を離れて30年にはなるだろう。
購読の必要は全く感じたことがない。
テレビは見るが、ドラマか映画か音楽に限られる。
それがなくても全く困らない。
必要な情報はなく、フェークニュースの弊害が大きい。
すでにマスコミの権威は地に堕ちているのである。
我那覇さんは新進気鋭の保守ジャーナリストとして、ア
メリカの取材を続け、共産化の危機的状況を伝えている。
メリークリスマスと言えないアメリカの現地レポートは
驚きだった。
日本とアメリカの愛国心の違いという見解も鋭い指摘だ
った。
日本人の保守層の愛国心でさえも漠然としたもので、行
動原理がない。
一般人に至っては、愛国心と言う言葉自体が右翼と言わ
れかねないとしてタブー視されている。
これに対して、アメリカの保守層は軍隊経験を持ってお
り、祖国防衛の意識で戦った情報力や戦い方が日常生活の
一部として共有されているのだという。
映画をみていると、それはよくわかる。
日本人は祖国防衛が憲法で禁止されて久しい。
戦わない愛国心など、あり得ないことである。
ただ、気になったのは、「日本の国体は皇室ではないで
すか」という我那覇さんのくだりである。
かつてはそういう権威が国民に共有されていた時代があ
ったとしても、戦後の皇室に国体としての意義はないとい
うべきである。
素朴な保守の伝統にケチをつけることもないかもしれな
いが、実態とはかけ離れた認識である。
もし、皇室が国体というなら、日本独立革命の旗印とな
るべき立場である。
しかし、実態は、反皇室の男と実質的には駆け落ち婚に
走ったり、皇室の伝統を疎ましく思っている皇后が居たり、
一度として靖国参拝をしていないなど、荒廃している。
これが国体などとはかえって国民への侮辱であろう。
国体とは、建国の精神を言うのである。
建国の英雄が皇統として受け継がれているという象徴性
が皇室の権威だったのだ。
しかし、象徴としての適格が失われたというべきである。
日本の保守の源流は、建国の精神として幸福の科学に育
まれつつあると気づくべきである。
天御祖神の霊言はその証左である。
天照大御神はその頃から仕えていた女神だという。
幸福の科学の時期継承者として指名された総裁の長女が
天照大御神の転生だと明かされてもいる。
直前世は吉田松陰であり、その前はヤン・フスだという。
皇室国体説は、もはや根拠がない過去の遺物である。
建国の精神無くして皇室なし!
三島由紀夫にも異論はあるまい。
日本国独立宣言・神聖・新アジア共栄同盟
New Asia Happiness Party