大寒の 氷雨を跳ねて 走りけり
中村 梅士 Baishi
今日は登城日、気心の知れた学生との初ゼミだった。
リモート授業だが、気心が知れているからリアルに対話
ができる。
まずは、名桜大学の合格談義から始まった。
家族みんなが喜んでくれたという。
自分もやっと救われた気分だった。
出題を担当した教授とも話ができたという。
ここ三年ほどは合格者が居なかったという。
納得できる論文が書けていれば合格を出すのだけれど、
と話していたという。
「君のはしっかりと書けていましたよ」と合格の理由を
話してくれたという。
ゼミも決めて、四月からぴかぴかの一年生のような三年
生になる。
サッカー部とも合流するという。
まあ、わがことのようにうれしい話である。
答練ゼミは、論文講評のはずが、質問されるままにさま
ざまな論点に飛んだ。
どのようにインテリジェンスを蒐集するかという、情報
源の話もした。
大紀元、長陽チャンネル、及川チャンネル、我那覇チャ
ンネルなどの信頼できる国際政治情勢のメディアを教えた。
楽しいゼミだった。
アスリートに期待すること。
日本でも一人くらい、北京オリンピックに出ることは潔
しとしないと言えるアスリートが居てほしいものだ。
ジェノサイド問題も、共産コロナ戦争問題も、IOC買収
問題も、中共のドーピング問題も、知らないままに競技に
専念してきたのかもしれない。
しかし、それではアスリートとは言えない。
アスリートとは、運動競技で勝ち負けを競う人なのでは
ない。
もののふと言うべき、ノブレスオブリージの自覚を持つ
リーダー人材を言うのだ。
これを育てるのがスポーツ教育である。
教育としてのスポーツがコアとなって、健康スポーツ、
娯楽スポーツ、見せるスポーツ、スポーツ観光、スポーツ
産業などの花が咲くのである。
「先生、それほどの人類の危機が切迫しているのだった
ら、スポーツどころではないのではないですか」と質問さ
れた。
こういう時だからこそ、スポーツマンはリーダーとして
の発言をして世の中を動かす責任があるのだと答えた。
それだけの影響力を持つのがアスリートなのだと。
残念ながら実態はまるで違うのではあるが。
教育の荒廃である。
なぜ、組織の頂点から腐るのか。
買収されるのか。
信仰がないからである。
眼に見えない尊いもののために生きるという人生観がな
いから腐敗するのである。
信仰が欠けているからスポーツも欲得勝利主義に堕落し、
腐敗するのである。
まあ、人気のないブログのことである。
これくらいにしておこう。
日本国独立宣言
立憲女王国・神聖日出るやまとの国
New Asia Happiness Party