布施弁天の本堂の外陣(ガラスで仕切られた外側。内陣とは弁天像が置いてある所)の四方の壁にびっしりと絵馬が飾られていることは多くの方はご存じだと思いますが、今回はその絵馬を文字で順不同に紹介させて頂きます。まず、写真で紹介したのは、「児島高徳桜樹に志を標すの図」の絵馬です。他の絵馬は、是非本堂でご覧頂きますれば幸いです。なお、文字コードは最大で見ないと読みづらいです。
<馬関係の絵馬>
・馬の図―――元禄11年(1698年) 本多正永の奉納。作者は狩野派の絵師。目つぶしの馬(静)。
・馬の図―――宝永2年(1705年) 本多正永の奉納。作者は狩野派の絵師。目つぶしの馬(動)。
・牽き馬の図―――享保10年(1725年) 本多正珍の奉納。狩衣をまとった2人の神人が飾りつけた神馬を牽いている図。
<祈願・成就関係の絵馬>
・高砂の図―――安政4年(1857年)東扇亭政次画。
<歴史・絵馬・武者関係の図>
・児島高徳桜樹に志を標すの図―――享保5年(1720年)
児島高徳が隠岐ノ島へ流された後醍醐天皇を救出しようとして失敗。この時、桜 の樹を削り「耐えて下さい」という歌を掘った。
・北条氏と弁天の図――――年代不明。
これが有名な絵馬で、一説に、平将門が布施弁天に必勝祈願をしている図と言う 人もいる。しかし、この絵馬には後北条氏の紋である「三鱗」をつけた武将が描 かれているので、残念ながら、将門ではない。一虎斎芳萬画。
<寺社参拝関係の絵馬>
・伊勢神宮参拝の図―――明治33年(1900年)向榮画。
・伊勢神宮参拝の図―――大正4年(1915年)
・伊勢神宮参拝の図―――昭和11年(1936年)
<芸能関係の絵馬>
・太々神楽の図―――明治29年(1896年)
<生業関係の絵馬>
・鳥猟の図―――明治35年(1902年)先般書いた和田沼の鴨猟の様子の図。
・酒造りの図―――宝暦13年(1763年)酒造りの工程の図。藤原朝信画。
<その他の絵馬>
・般若心経額―――安政5年(1858年)
・桜に琴袋――――大正7年(1918年)蕉馨画。
桜の枝に琴を包む袋がかかっている図。
・鬼面の図――――大正5年(1916年)
・繁盛祈願の額――――昭和17年(1942年)
・御手長酒造講――――明治3年(1870年)
・二業組合・芸妓組合―――年代不明
・東京繁盛講―――――昭和4年)(1929年)
等々、これだけの絵馬が飾られているが、この記述にあたっては、昭和60年に柏市教育委員会が発行した「柏の絵馬」から多くを引用させて頂きましたことをお断り致します。
<馬関係の絵馬>
・馬の図―――元禄11年(1698年) 本多正永の奉納。作者は狩野派の絵師。目つぶしの馬(静)。
・馬の図―――宝永2年(1705年) 本多正永の奉納。作者は狩野派の絵師。目つぶしの馬(動)。
・牽き馬の図―――享保10年(1725年) 本多正珍の奉納。狩衣をまとった2人の神人が飾りつけた神馬を牽いている図。
<祈願・成就関係の絵馬>
・高砂の図―――安政4年(1857年)東扇亭政次画。
<歴史・絵馬・武者関係の図>
・児島高徳桜樹に志を標すの図―――享保5年(1720年)
児島高徳が隠岐ノ島へ流された後醍醐天皇を救出しようとして失敗。この時、桜 の樹を削り「耐えて下さい」という歌を掘った。
・北条氏と弁天の図――――年代不明。
これが有名な絵馬で、一説に、平将門が布施弁天に必勝祈願をしている図と言う 人もいる。しかし、この絵馬には後北条氏の紋である「三鱗」をつけた武将が描 かれているので、残念ながら、将門ではない。一虎斎芳萬画。
<寺社参拝関係の絵馬>
・伊勢神宮参拝の図―――明治33年(1900年)向榮画。
・伊勢神宮参拝の図―――大正4年(1915年)
・伊勢神宮参拝の図―――昭和11年(1936年)
<芸能関係の絵馬>
・太々神楽の図―――明治29年(1896年)
<生業関係の絵馬>
・鳥猟の図―――明治35年(1902年)先般書いた和田沼の鴨猟の様子の図。
・酒造りの図―――宝暦13年(1763年)酒造りの工程の図。藤原朝信画。
<その他の絵馬>
・般若心経額―――安政5年(1858年)
・桜に琴袋――――大正7年(1918年)蕉馨画。
桜の枝に琴を包む袋がかかっている図。
・鬼面の図――――大正5年(1916年)
・繁盛祈願の額――――昭和17年(1942年)
・御手長酒造講――――明治3年(1870年)
・二業組合・芸妓組合―――年代不明
・東京繁盛講―――――昭和4年)(1929年)
等々、これだけの絵馬が飾られているが、この記述にあたっては、昭和60年に柏市教育委員会が発行した「柏の絵馬」から多くを引用させて頂きましたことをお断り致します。