布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

相馬一族の北斗信仰と北星神社

2007-02-04 | 歴史
我孫子市台田にある北星神社も我孫子の柴崎神社の宮司(湯下一族)が管理し、妙見信仰をもったこの地方の中世の支配者の相馬氏とゆかりのある神社とされる。富勢村と合併する(明治22年)前は、根戸村の村社であり、敷地は約500坪あったが、昭和29年に、我孫子市と合併し、この敷地は今、我孫子市になっている。
北星神社は、柴崎神社と同じように狛犬が亀になっているが、この亀像(手前の一対ではなく奥の壊れている亀)は、大変古そうですが、制作年月日は不詳です。確かに、神社に狛犬などが祀られるのは、江戸時代になってからですよね。
妙見菩薩というのは、北斗七星や北極星という自然が神の姿になったもので、亀に乗って空を飛びまわり、 平良文の子孫の相馬一族が、守護神として妙見菩薩を祀ったといわれる。妙見菩薩の乗り物が亀であったため、北星神社は狛犬だけではなく亀も一緒に神社を守るようです。つまり、境内の石彫の亀は、高松塚古墳壁画に見られた北斗を示す玄武(蛇と亀を表す)の亀と同じといえます。
明治9年までは、妙見宮だったが、あの廃仏毀釈で、祭神は天御中主命となり、明治41年には、吾妻・天神・稲荷など数社が合祀され、北星神社と改められてしまうのである。ただ、元ご本尊であった妙見菩薩はどうなったか、ーーー。
この妙見宮についても2説の流れがある。ひとつは、相馬一族に関わる城(この付近の例では、根戸城、若しくは布施城)には、必ず妙見菩薩を祀る宮があったから、その流れといわれる説。もう一つは、当神社の駐車場に建てられている案内看板には、近くの田から妙見菩薩像が出土し、それが現在地に祀られたと、書かれている。しかし、それも言い伝えで、創立年月日は不詳である。記録として古いものは、文政7年(1824年)に、祭礼や奉謝を行なった記録がある。現在の社殿は、昭和58年(1984年)に再建されたものです。
 その他の施設として、廃仏毀釈の色をこく残しているものが多数あり、この地域の伝統なものの扱いは、少なからず、素直な形では継承されていないのは、寂しいといか言いようがない。なお、ここの桜は、結構きれいで、開花が待ち遠しい。
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