この近辺の山にある神社としては、東京都の高尾山にある高尾山神社、群馬県の赤城山にある赤城神社、茨城県の筑波山にある筑波山神社と、どれもかなり有名であり、自分も何回か訪れている。茨城県の最高峰である八溝山(1022メートル)にも神社があるという話しを聞いたので、参拝しに先般行ってみました。福島県との県境にあり、「八溝」という地名は、もとこの地に源流を発する川のことで、ヤは接頭語、ミゾは川のことらしい。林道を車で登るが、対抗車線がなく、さらに狭く、上り坂も急なので結構、難儀したが、どうしても、八溝嶺神社と日輪寺がみたかったので、安全運転で八溝山の山頂を目指した。山頂には駐車場といえるほどのものはないが、車を停め、わざわざ少し戻って鳥居があるところから登り参拝することにする。日本武尊が創建したとされる八溝嶺神社には、二つの建物があったが、先に紹介した神社とは比べようもない。なるほど、これだけの本当の山頂の神社としては、やむを得ないかもしてない。その代わり、この神社の隣りは昭和61年に造られた高さ16メートルの展望台があり、入場料大人100円取られるだけ、さすがに展望台としては立派であった。管理人がいるせいか、建物も綺麗に保存されている。この日は、たまたま、晴天だったので、眼下に広がる360度の景色は、これは言葉で言い尽くせないほど感動しました。
実は、この神社が建物が2つ有るというのは、この展望台から下を見て初めて気が付いたのでした。下で参拝した時には、気付かなかったのですが、この神社にもかなり、この辺では有名な例祭があるようです。梵天祭りといい、5月3日に行われているらしい。梵天とは、木に金紙や銀紙を貼った長さ1.5位の鉾を中心に、稲、干瓢、芋幹、餅、麻、布などで飾った御幣のことをいい、祭りは、これを若衆30人ほどでかつぎ、山麓から山頂まで登っていくそうです。多数の餅をつけて飾った梵天は、稲の実りを表わしており、作神である八溝の神に豊かな実りに祈りを捧げる意味があるそうです。そして、どこでもそうですが、昔は、福島、栃木の各山麓の村むらからも梵天が上がり、相当な賑わいであったといいます。また、一年上げれば三年続けて上げる習わしであったというが、現在は地元の上野宮の氏子たちが毎年上げているようです。しかし、この山頂まで、麓から歩いて来るとはーーー、私には出来そうもないですね。
さて、この神社のちょっと下ったところには、天台宗の八溝山日輪寺というお寺があるというので、そこも立ち寄ってみました。いわれは古いそうで、大同年間とも言われていますが、明治13年山火事のため堂塔を焼失したが、ご本尊の十一面観音は難を免れていたので、大正4年に観音堂跡に日輪寺が再建されたそうです。そして、昭和48年には休息所も新築したようです。ここは、ちなみに坂東二十一番の霊場となっております。このお寺の住所は、正式には、茨城県久慈郡大子町上野宮字真名板倉2134で、ご住職もおられますので、安心してこの山岳信仰の聖地に来てみてはいかがでしょうか?
昔は、「八溝知らずの偽坂東」といわれ、麓で遥拝ですましてしまう者がいたほどの坂東札所第一の難所であったようです。『坂東霊場記』には「春夏巡礼のはか、尋常の往来なければ熊笹一面に生茂り、更に道の綾分ち難し」とあるそうです。
実は、この神社が建物が2つ有るというのは、この展望台から下を見て初めて気が付いたのでした。下で参拝した時には、気付かなかったのですが、この神社にもかなり、この辺では有名な例祭があるようです。梵天祭りといい、5月3日に行われているらしい。梵天とは、木に金紙や銀紙を貼った長さ1.5位の鉾を中心に、稲、干瓢、芋幹、餅、麻、布などで飾った御幣のことをいい、祭りは、これを若衆30人ほどでかつぎ、山麓から山頂まで登っていくそうです。多数の餅をつけて飾った梵天は、稲の実りを表わしており、作神である八溝の神に豊かな実りに祈りを捧げる意味があるそうです。そして、どこでもそうですが、昔は、福島、栃木の各山麓の村むらからも梵天が上がり、相当な賑わいであったといいます。また、一年上げれば三年続けて上げる習わしであったというが、現在は地元の上野宮の氏子たちが毎年上げているようです。しかし、この山頂まで、麓から歩いて来るとはーーー、私には出来そうもないですね。
さて、この神社のちょっと下ったところには、天台宗の八溝山日輪寺というお寺があるというので、そこも立ち寄ってみました。いわれは古いそうで、大同年間とも言われていますが、明治13年山火事のため堂塔を焼失したが、ご本尊の十一面観音は難を免れていたので、大正4年に観音堂跡に日輪寺が再建されたそうです。そして、昭和48年には休息所も新築したようです。ここは、ちなみに坂東二十一番の霊場となっております。このお寺の住所は、正式には、茨城県久慈郡大子町上野宮字真名板倉2134で、ご住職もおられますので、安心してこの山岳信仰の聖地に来てみてはいかがでしょうか?
昔は、「八溝知らずの偽坂東」といわれ、麓で遥拝ですましてしまう者がいたほどの坂東札所第一の難所であったようです。『坂東霊場記』には「春夏巡礼のはか、尋常の往来なければ熊笹一面に生茂り、更に道の綾分ち難し」とあるそうです。