布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

4月にヘンデルの「メサイア」演奏会(全曲)

2008-02-29 | その他
宗教的作品といえども、名曲というのは人のこころを打ちますよね。クリチャンでない私でさえ、ヘンデルのメサイアやバッハのマタイ受難曲やヨハネ受難曲などは知っています。じゃ、全曲、きちんと聴いたかと言われればノーです。まあ、そんな程度なんですが、でも、メサイアを全曲聴けるチャンスが、教会でなく柏市の公共施設であるというではありませんか。これは、紹介せざるをえない。
メサイアとは、「メシア」(救世主)の英語読みに由来。ヘンデル(1685年~1759年)は、ドイツのハレで生まれ、母は牧師の娘であったため、ヘンデルは幼時から聖書を読み・祈るという環境の中で育ちます。ヘンデルは教会オルガニストとして青年期を過ごし、更にイギリスに滞在している時には英国国教会の音楽を作るようになり、その後このメサイアを生み出しました。メサイアは、聖書から歌詞を取り、イエス・キリストの生涯を題材とした独唱曲・重唱曲・合唱曲で構成されています。
この名曲『メサイア』を地元の教会で!の願いのもと、1998年にスタートした柏メサイア・クワイアも、早いもので10年が経過したそうです。今回の11回目の演奏会は、会場を柏市民文化会館ホ-ルに移し、全曲演奏を行うそうです。「メサイアを歌ったことのある人もない人も、合唱経験の長い人も初めての人も、クリスチャンの人もそうでない人も、みんなで声と心を合わせて歌いませんか。」と、主催の柏メサイア・クワイアは呼びかけています。以下で、その演奏会の概要を紹介します。
開催日時    2008年4月29日(火)14:00~17:00
開催場所    柏市民文化会館 大ホール
          所在地: 柏市柏下107番地 TEL: 04-7164-9141
演奏曲目    ヘンデル「メサイア」(全曲)
出   演    ソプラノ  江田雅子
          アルト   谷地畝晶子
          テノール  横山和彦
          バス    渡辺祐介

          指揮   中川郁太郎(東京芸術大学音楽学部卒、青山学院初等部教諭)
          管弦楽   K.M.C.管弦楽団(チェンバロ 堤ゆり)
          合唱     K.M.C.合唱団
対   象    どなたでも
費   用    1,500円 全自由席
主   催    K.M.C.(柏メサイア・クワイア)
問い合せ    松尾 TEL: 04-7149-4774

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小林一茶の講演会と流山みりん展

2008-02-28 | 歴史
流山にある一茶双樹記念館は、こじんまりとしているが、それなりに昔の雰囲気を醸し出している記念館なので、1回行ってから気に入っているところなのです。
さて、小林一茶(1763-1827)といえば、江戸時代を代表する俳諧師なので知らない人はいないと思います。なぜ、一茶が、この千葉県の北西部によく来たかというと、一茶自身も当初は悠々自適の境地を楽しもうという、俳人山口素堂の一派である “葛飾派”の俳人であり、この地方には、この葛飾派の俳人が結構いたかららしいのです。それ縁で、馬橋で油屋を営む俳人大川立砂や流山の秋元三左衛門(俳号:双樹)と知りあったと思われます。以降、この地方は、一茶にとっては第二のふるさととなり、流山の双樹のもとには、 50回以上も来訪しています。秋元双樹は、流山で醸造業を営み、味醂(みりん)の開発者のひとりと言われている、秋元家5代目三左衛門(1757~1812)。三左衛門は家業の傍ら俳句をたしなみ、俳号を双樹と号し、「伊勢派撰集」(1780)に入選する程の腕前だったといわれております。この「一茶と秋元双樹」について、この地方の一茶研究の第一人者ともいわれる伊藤晃氏が、ここ一茶双樹記念館で講演を開催しますので、その概要を以下に紹介します。
開催日時     平成20年3月16日(日)受付10時半から、開始午前11時~
開催場所     一茶双樹記念館
〒 270-0164千葉県流山市流山6丁目670番地の1
TEL 04-7150-5750
演   題     『一茶と秋元双樹』
講   師     伊藤 晃氏
(このほど、小説「信濃の一茶のいる風景」を出版された流山在住の作家)
特別参加     秋元智城(秋元家現当主)、 秋元美沙江(同夫人)
対   象     どなたでも
定   員     50名程度
参加費      無料(入館料は別途、入館料は大人100円)
申込み先     要申込で、電話は04-7150-5750です。
なお、3月1日(土)より30日(日)まで、同一茶双樹記念館において、「流山とみりん」という企画展を開催します。流山のみりんは、江戸時代後半、万上みりんの堀切紋次郎(二代目)と天晴みりんの秋元三左衛門(五代目)により始まったと言われております。この企画展では、
○みりんの流山発展と秋元三左衛門の功績などのパネル展
○天晴みりんを始めとした当時のラベル(複製)の展示
○その他、明治前後の醸造に関連する資料や関連展示 等
が展示されるそうです。
また、関連展示として、隣接する「杜のアトリエ黎明」では、「再発見!流山の名所と流山ふるさと産品」を3月1日(土)から30日(日)まで行うそうです。内容としては、社寺や古い街並みなどの文化、自然や川、公園などをご紹介するとともに、流山の自然・歴史・文化を背景に生み出された、       みりんや酒をはじめ、和菓子、せんべい、漬物などの産品を展示・販売するそうです。
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寺コンの大洞院の壁画は健在だった!

2008-02-27 | 歴史
市内花野井に、本堂でコンサート等を開催するお寺として有名な曹洞宗の花井山(かせいざん)大洞院(だいどういん)があります。昨年の11月にも芹沢洋子コンサートを本堂で開催したことは、本ブログでも紹介しましたし、市内でも幹周りが1番か2番の大いちょうがあることでも有名で、以前にも、また、紹介しております。
ここの前住職さんの木村さんは、何回かお会いし、お教えをいただいたことがありますが、木村さんは昨年、新しい任地先にて火事にあい、急に他界されてしまいました。この木村氏の住職時代(2004年の12月頃)に同院の墓地の塀、約20メートルに渡って、市内在住の洋画家長縄えい子さんに壁画を書いてもらいました。その壁画が、現在、どうなっているだろうかとふと思い出し、先日、確認に行ってきました。同院のホームページには、その写真は掲載されているには知ってましたが、この眼でみたかったのです。
その壁画は、同院の入口の左右にある墓地の右側の塀に、それは今も、なお、確かに往時のままに残されておりました。見て安堵しました。色鮮やかな色調で、墓地の壁画に描かれるというので、当時、結構、話題になりましたね。マスコミにも取り上げられたり、もちろん、ミニコミにも。しかし、見に来ている人は誰もいません。しばらくいましたが、誰もきません。
壁画の一部ですが、写真の壁画は、子どもが無邪気に元気に遊べる社会を願って、天女や赤鬼、子どもたちが極楽で遊んでいるところらしいです。宗教画というより、実に、描かれている人物もおおらかなで明るいトーンなので、観ているものに、ここが墓地の中だということを忘れさせます絵です。なにか、登場人物が宗教関係で泣ければ、ガード下に書かれた絵と変わりないです。(念のため、)うまい・へたといういみではありませんよ。)
なにか、厳粛な感じを醸し出さない点が、逆に私はいいのかなーと感じるのです。
次に、同院の寺コン以外の特色ともいえるのが、ボランティア活動として、「ハンカチの木」(カンボジア初等教育支援の会)の名前で、カンボジアの教育復興支援を行っていることです。実は、この活動の一環として、寺コンとして有名をはせた、講演、コンサート等々を実施しているということをあとで知ったのです。このハンカチの木は、日本を代表するNGOの一つ「シャンティ国際ボランティア会(SVA)」の理念と活動である『国家や民族、宗教、言語、文化、性の違いを超えて《共に生き、共に学ぶ》ような地域市民社会の構築を目指し..』に賛同し、特にカンボジアの初等教育を支援するために前の木村住職夫妻が発足させたようです。このハンカチの木の活動は、新桜井住職になってもきちんと、大洞院の活動のひとつとして受け継がれておりました。具体的にどんな活動かというと、カンボジアの子ども達のために、SVAと共同して、
・絵本を送る運動
・SVAが行う教員養成研修への支援
・教育補助教材の提供
を行っているのです。
なお、同院では、寺本来の活動として、自由坐禅会(朝課)、方丈亭、写経教室、彫刻教室、法話サロン(茶話会)、お花の会等も行っていますので、ご関心のある方は行かれてみてはいかがでしょうか。
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市柏高校吹奏楽部OB, OGのベルツのコンサート

2008-02-26 | その他
一昨年の秋、あけぼの山農業公園内果樹林で行われた布施の八朔相撲の昼休みタイムに見事な演奏をしてくれたBELL’Z(ベルツ)が、4月に6周年記念のライブを開催します。BELL’Z(ベルツ)は、2002年12月に市立柏高校吹奏楽部OB, OGを中心に結成されたBIGBANDで、学生から社会人まで幅広い年齢のメンバーが集っています。聞き手と一緒に楽しめるステージ作りを目標に、グレンミラー楽団やカウントベイシーオーケストラのナンバーからラテン、ファンク、歌謡曲までその時々の演奏目的に合わせ幅広いレパートリーを演奏しています。
今年で、6年目を迎え、その記念コンサートを「BELL’Z 6th LIVE」と題して開催するようです。以下にその概要を紹介します。
開催日時     2008年4月6日(日)開場 14:15  開演 15:00
開催場所     柏市民文化会館 大ホール
           所在地: 柏市柏下107 TEL: 04-7164-9141
演奏曲目     パンフレットに記載なし
対   象     どなたでも可
費   用     800円 全席自由
チケット売場   チケットは、ローソンチケットにて販売中 Lコード「34029」
           (コンビニエンスストア「ローソン」でもお求めいただけます。)
主   催     BELL’S
問い合せ     染谷 TEL: 090-7214-2960

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過去の布施弁天との決別、新しい布施弁天の行き先は?

2008-02-25 | 歴史
現在、柏市内にある関東三弁天の一つと言われている布施弁天に境内拡幅工事が行われていることは、私も何回かこのブログ紹介していますし、多くの方は自分の目で見て、ご存知のことかと思います。しかし、この布施弁天の境内拡幅の意味が、檀家でない私にはよくわかりませんでした。境内の一部が崩れそうだったので、それを補強しているだけかと、単純に思っていました。
しかし、日曜日(2月24日)にたまたま訪ねたところ、そんなもんではないと言うことを大変強く感じることがありました。志賀直哉の「雪の遠足」でも出てくる眼薬の池は、もう完全に土砂の下で、もう、2度と見ることは出来ないでしょう。まあ、それはそれでよく、どうのこうのいうつもりはありません。が、昨日行ったら、例の崖下にあった龍穴の紅い鳥居が、写真のように道路を隔てた隣の山(弁天古墳がある山)に打ち捨てられてあり、その元あった場所にはなにも残っておりませんでした。
これは自分にはかなりショックでした。弁天信仰に若干なりとも関係があると過去において説明されていたものがなくなるということは、正直、この目で見ても信じ難かった。ご住職と檀家さんたちが、これまでの紅龍の森という神秘性より、確実に人が呼べる布施弁天様にしたいという意志がいかに強かったと言うことなのでしょうね。外野の自分が、これを、どうのこうのと言える権利はないでしょう。願わくは、2月3日の布施弁天の福豆まきで、氏子のGさんが挨拶の中で言った本土寺に負けないような「あじさいともみじ」のお寺にするんだという意気込みに期待する以外ありません。
なお、もう一つ不思議なことがあります。それは、トマトハウスの前にあった弁天様の駐車場は、一部が駐車場として昨日の段階で砂利で整備されていましたが、弁天古墳に沿ったところは、土砂が盛られておりました。それは、それで構わないのですが、隣との畑の間に約2mくらいの道路が造られているのです。柏市の公衆便所のところから、どうやら、トマトハウスの前の市道に繋がるように造ってあります。これは、なにを意味するかわからないのですが、確かに以前聞いたところによると、この弁天古墳の森に沿って赤道(昔の国道?)があったと言われています。ですから、その付け替え工事なのかもしれませんね。これが出来れば、市の公衆便所がある日本庭園の隣の駐車場に車をおいて、弁天茶屋の方を廻らないで、トマトハウスに行けるとしたら、これは若干便利になりますね。トマトハウス内の駐車場は狭く、車をそんなにおけない。また、うしろの臨時駐車場は土で雨の時の駐車は遠慮したいですよね。
いずれにしても、布施弁天は、2008年の1200年祭を前にしたこの時期、いや1200年際を契機として、大きく変わろうとしているのは確かのようです。これまでのイメージを一新することが、吉とでるかどうかは、少なくとも10年くらいたたないと誰もわからないかもしれませんね。
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千葉県勝浦のビックひなまつりと朝市

2008-02-24 | 歴史
南房総のかつうらのビックひな祭りは、昨日、2月23日(土)から始まったが、自分がひな祭り会場一帯を訪れたのは、その準備を街あげて行っている最中でした。
勝浦港の前にある市民会館には、まだ、外から見えるところしかひな飾りが飾ってない。会館内も、隣の建物にも、まだ飾られていなかった。
しかし、朝市の会場となる商店街の一帯の電柱にはビックひな祭りのフラッグがはためき、このひな祭りの雰囲気を盛り上げている。このひな祭り、市民会館や遠見岬神社の階段の雛飾りがクローズアップされるが、この界隈すべてが、このビックひなまつりを支えているのだということを、行ってみて、初めて体で実感した。
そこで、ちょっとこのひな祭りについて調べてみました。このひな祭りは、全国勝浦ネットワーク交流に伴い、徳島県勝浦町で行われる「ビッグひな祭り」と同時に開催されるようです。市民会館に7,000体、遠見岬神社に1,200体等、各地区の会場、観光施設等に合計10,000体以上ののひな人形で埋め尽くされます。
主な開催場所としては、
①勝浦市民会館(毎日9時~17時)・・・メインロビー飾り付け日本最大の享保雛展示(市民会館ホール) 
②遠見岬神社(毎日8時~19 時)・・・60段の石段に約1200体の人形が飾られ、夕方からライトアップされます。(雨天中止)
③覚翁寺山門前(毎日8時~19時)・・・10段の特設雛壇に約400体の人形が飾られ、夕方からライトアップされます。(雨天中止)
④図書館2階(毎日9時~17時)・・・「榎本コレクション」全国22県60数種類の郷土雛人形と段飾り雛。
⑤「勝浦市墨名」交差点(毎日8時~19時)・・・ライトアップあり。(雨天中止)
⑥上本町特設雛壇(山五鮮魚店となり)・・・町内有志による手作り雛壇&クマちゃん雛の展示
準備中の各商店や旅館では、店先や駐車場や店内のあいているところに、ひな段飾りだけではなく、つるしびなをも飾ってあるところもありました。大体がひとつ、2つでなく、結構まとまった段飾りや古い珍しいお雛様等、外からみるだけでしたけれども、その工夫がみてとれました。しかし、自衛隊のイージス艦と勝浦漁港の漁船との衝突により、パレードや踊り等は中止、また、音量も小さくしたようですが、ビックひな祭り自体は、3月3日まで開催されるようです。
また、面白いのは、この一帯は朝市の会場でもあるのです。商店街の両側に魚介類や野菜類の商品がところ狭ましと並べられている。買い物客は、観光バスでくるツアー客が中心で、その中に、地元の人たちを見受けられる。年間20万人が訪れるという。
この勝浦の朝市は開設されて今年で400年以上たっているらしい。その伝統と生業(なりわい)は脈脈と受け継がれ、何代にもわたり朝市に並ぶ店も少なく、地元の人々の台所としても親しまれているようです。この歴史と文化をずっしりと感じる勝浦の朝市は、石川県の輪島・岐阜県の高山と並ぶ「日本三大朝市」の一つと言われているそうです。
そして、この界隈には、千葉県指定天然記念物の乳公孫樹(ちちいちょう)といわれる樹齢1000年(?)の公孫樹の木がある高照寺や、その寺の前に建つ朝市発祥の地という記念碑、ちょっと離れたところには市指定の文化財の釈迦堂前にたつ日蓮の銅像がある本行寺、そして、神社の階段の参道にビックひな祭りの際にお雛様を飾る遠見岬神社があり、歴史散策にも実に適しておりました。
自分が行ったときには、この神社の階段にお雛様が飾ってなかったので、この急な階段を上り、さらに続く階段・坂道を登り、遠見岬神社の社殿に参拝してきました。よく見ると、この拝殿の中にも写真のようにおひな様が飾ってあるのです。さすがというのか、素晴らしい。この林に囲まれた境内には、手をすすぐところはあったのですが、どうやら、雨水を貯めたものらしかったので、手をあらわず、参拝してしまったのが、心残りです。
この神社、江戸時代までは富大明神と称し、はじめ八幡岬突端富貴島にあったといわれていますが、慶長6年(1601年)の津波で流され、宮ノ谷に再建。更に万治2年(1659年)現在の場所に建立。明治4年新政府の社格制度の発令で天富命(あめのとみのみこと)を祭神とし郷社に選定される。現在の社殿は嘉永2年(1849年)に造営されたものです。なお、この遠見岬神社を建立した勝占麻植の名が「勝浦」の地名の由来といわている。
この境内の鳥居の前から、下を見下ろすと、かつうらの市内が一望でき、海と山並みが大変マッチし、実に美しい町並みを演出していました。しばし見とれていました。本番前であったが、かつうらを訪れてよかったと、しみじみ思いました。
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南房総でのいちご狩り

2008-02-23 | その他
先日、南房総に行きましたが、その目的のひとつがいちご狩りです。館山城を見学した後、国道128号で鴨川方面にちょっと行く、急に車が混雑するところがある。それは、JAの館山いちご狩りセンター(館山市山本)に向かうべく、右折するための車の列だった。信号がないので、係員の指示で右折して入ったところが農協の駐車場。ここは、いちご狩りするための入場券を買う場所だったのだ。そう、ここで、いちご狩りができるわけではないのです。もちろん、売っていますので買うことはできますが、もぎりとることは、できません。話しによると、シーズン中は約10万人が訪れる県下最大の規模を誇るいちご園とのこと。混雑状況によって入場制限を行うこともあるというから、すごいですね。
さて、いちご狩りのお値段ですが、この辺では、この時期、大人(6歳以上)は、1,500円で30分の食べ放題となっている。本当は、前に行ったことがあるローズマリー公園のそばのいちご狩りにするかどうか迷ったが、初めてのところが良いというので、ここにしたのである。が、時期が4月に向かうと、下記のようにもぎとり価格がだんだん安くなって行んですね、これも初めてしりました。開園時間は午前9時~午後3時で、開演期間中は無休だそうです。なお、2歳以下は無料とのこと。
      平成20年      大人(6才以上)    3才~5才
1月   2日~1月10日   1,600円        1,400円
1月  11日~2月29日   1,500円        1,300円
3月   1日~3月31日   1,400円        1,200円
4月   1日~5月 6日   1,000円          800円
また、いちごの種類も下記のようにあるが、私には、どれも同じように見えてしまう。多分それは、自分が、普段食べなれていないからですね。
主な作付品種は、紅ほっぺ(新しい品種)、章姫(酸味が低く実が柔らか)、さちのか(香りはとよのかより弱いが糖度が安定して高い)、とちおとめ(果肉は密で食味は極めて良い)らしいが、聞いたことがある名前は、とちおとめくらいだ。
さて、チケットを買ったら、車に乗れという。向かうところは、私たちは7号ハウス。係員の指示に従い、右折した128号をまっすぐに横切り100メートルを行かないうちに目的のいちご狩りのビニールハウスに到着。
早速、中に入るが、入口で渡されたのは、半分にミルクが入れてあって、あとの半分にへたをいれろというプラスチックのいれもの。チケットと交換で、これを受け取る。
順番に列を決められ、そこに入ってもぎとり開始だ。
さあ、問題はここからです。いちご狩りにはそれぞれスタイルがあるでしょうが、私の場合は2つしかありません。ミルクをつけ、取立てのいちごをひとつひとつじっくり味わいながら、食べるのも一つの方法。もう一つは、元を取ろうというせこい考えで食べる。私は当然、後者のせこいほうですね。
よって、まず、もぎ取っての一番最初のいちごはミルクをつけずに、ほうばる。そして、そのいちごのへたをミルクの中に入れてしまう。これで、もう、いちごにミルクを付けたくなくなる。3から4個までは、味がなく、旨いとは思わない。ただ、生のもぎとりの新鮮ないちごの味はしますよ。それは、町場で買って食べるのとはもちろん、違う味です。このようにして、食べていると、しばらくすると、この食べ方になれてくる。
こうなると、いちごは、何個でも食べられる。太陽が当たっているほうのいちごは、生ぬるくおいしくないので取らず、陽が当たっていない冷たいほうで赤く熟したいちごに狙いをつけ、口の中にほうばって行く。次々に放うばる。
すると、瞬く間に、ミルクが入っていた器のほうがへたで満杯となる。そこで、今度は、じっくりと腰を下ろして、あいている器のほうに、いちごをもぎ取って、ほうばる。少しずつ、へたの山ができていくと同時に、お腹のほうがきつくなってくる。ついには、ミルクが入っていない、本来のへた入れも満杯となるが、その頃には、ゲップがでて、もう食べられない状態となる。これで満足して、家内のほうを見たら、家内は顔を背け「いじやしい!」との怒り顔。これにはさすがにしゅんとなりました。私の場合は、10分くらい時間を残し、退散することにする。入口の係員に渡すと、まじまじと顔を見られた。
皆さんは、こんなことをしないで、家内のようにじっくりと、取立ての新鮮な房総のいちごを味わって下さいね。このつけが、当然、このあとまわってきた。つまり、いちごって、大半が水分だったのを私は忘れていたのでした。
でも、いちご狩りで、こんなに食べたのは、後にも先にもないでしょうね。100個以上は食べたでしょうね。良い記念となりました。
ここの問い合わせ先は、0470ー22-3466か0470-22-3173。
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フレンドシップタイム講座 中東シリーズ第4弾

2008-02-22 | 歴史
またも石油(?)に関する話題です。今、石油をめぐり、中東問題は政治・経済の火種となっており、私たちの生活に直接影響を与え、無関心ではいられなくなっています。中東問題を理解する一つのキーワードは、いわずと知れた宗教問題で、これの理解なくして中東問題は語れないとまで言われております。
今日の世界の五大宗教と言われるイスラム教が、なぜこの地、中東で生まれ、世界の主要宗教になったのか?同じ中東で生まれたユダヤ教、キリスト教とイスラム教とは、その誕生においてどのように影響を及ぼしあってきたのか?そして、なぜ、抗争がやまないのか?繰り返すのか?宗教の原典から中近東の歴史を見つめ直すことは、現在の中東問題の本質を見抜く観点を与えてくれると思うのです。
この観点からの講演会が、柏市国際交流協会(KIRA)主催で開催されますので、紹介してみます。その前に、この協会について少し紹介してみます。1992年、それまでの民間国際交流組織として活動を続けてきた「柏市・トーランス市姉妹都市委員会」「柏市・承徳市友好都市交流委員会」「柏市・グアム友好都市交流準備委員会」を統合し、設立されたのが、この柏市国際交流協会なのです。更に、2004年には事務局の柏市からの独立したKIRAは、2005年4月1日に、沼南町国際交流協会(SIFA)と合併し、現在に至っているようです。
目的は、言うまでもなく、姉妹都市、友好都市との交流を一層促進していくとともに地域社会、市民生活の国際化にも寄与することだそうです。
そくで、このKIRAが、中東シリーズに取り組み、「世界宗教を生んだ中東という文明風土」なる講演会を柏市役所隣の教育福祉会館内(写真)の柏市中央公民館で開催するそうです。以下に、その概要を紹介します。
開催日時      平成2008年3月8日(土)開場13:30 開演14:00 (終了16:00)
開催場所      柏市中央公民館 4階集会室(柏市役所隣り、教育福祉会館内)
演   題      世界宗教を生んだ中東という文明風土
講   師      山本健寿氏(モラロジー研究所)
定   員      70名
費   用      200円(資料代として)
締切日        3月5日(火)
主   催      柏市国際交流協会
申込み・問合せ   柏市国際交流協会
            TEL: 04-7144-1300 FAX: 04-7144-3020
            Email: kirakira@tohkatsu.or.jp
最後に、独立した柏市国際交流協会の所在地は、柏市旭町1-4-18 後藤ビルⅢ・3階・4階で、開館時間は、月・火・木・金・土の 9:00~17:00(日・水・祝日休館)となっております。

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麗澤大学でバイオマスの利活用を考えるシンポ

2008-02-21 | その他
石油の高値や枯渇が騒がれている今日、バイオマスという言葉を聞いてことはありますか。定義は生態学上、きちんとあるようですが、私には難しくてよく説明できない。簡単にいうと、生物由来の資源を指すことがあり、バイオマスを用いた燃料は、バイオ燃料(biofuel)またはエコ燃料(ecofuel)と呼ばれている。つまり、主なバイオマス資源としては、廃棄物系バイオマスとして、紙、家畜排泄物、食品廃棄物、建設発生木材、黒液、下水汚泥、屎尿汚泥等があり、未利用バイオマス として、稲わら、麦わら、籾殻、林地残材(間伐材・被害木など)、資源作物、飼料作物、でんぷん系作物等があるようですね。
要は、石油資源以外のこうした資源を利活用として、明るい未来を築いていけるのではないかということを考えるシンポジウムが麗澤大学書生涯学習センター(写真)で開催されるようです。そのタイトル名は、バイオマスシンポジウム「かしわの未来をスケッチしよう」である。なかなか、言うは易く、行うは難しで、自分たちも自動車を捨てることは出来ないし、ガソリン以外の燃料で走れと言われても、現段階では、金銭面を考えると腰が引ける。もちろん、車だけの問題でないこともわかるし、確かに、真剣に考えなければならない時期に来ているかも知れませんね。では、かしわ環境ステーション運営協議会が設けてくれたこのシンポジウムの概要を以下で紹介します。
開催日時     2008年3月8日(土)13:30~16:30
開催場所     麗澤大学生涯教育プラザ 1階プラザホール
           所在地: 柏市光ケ丘2-1-1(南柏駅より バス5分 or 徒歩15分)
プログラム     1.開会の挨拶 かしわ環境ステーション会長 小野宏哉
            2.講演「バイオマスの利活用に向けた千葉県の取り組み」
             講師:御園生 博 氏(千葉県環境生活部資源循環推進課
                       バイオマスプロジェクトチーム主幹)
            3.講演「国内外の食糧以外のバイオマス活用事例」
             講師:鹿毛 剛 氏(かしわ環境ステーション環境研究部会会員、
                       バイオマス産業社会ネットワーク会員)
            4.講演「CO2排出の観点から見た都市園芸の意義」
             講師:大山克己 氏(千葉大学環境健康フィールド科学センター
                        特任准教授)
            5.講演「白井市のバイオマス構想」
             講師:金森 隆 氏(千葉県バイオマスタウン市町村・
                        白井市環境建設部環境課)
            6.講演「柏市内のバイオマスリサイクル事業(山本産業株式会社)」
             講師:発表者未定
           7.パネルディスカッション
             コーディネーター:大山克己 氏(千葉大学環境健康フィールド
                                科学センター 特任准教授)
対   象    どなたでも
定   員    100人(当日受付あり)
費   用    無料
主   催    かしわ環境ステーション運営協議会
後   援    千葉大学環境健康フィールド科学センター,千葉大学サステイナビリティ学アソ
         シエーション(CARSS),麗澤大学,千葉県,白井市(予定)
申し込み    かしわ環境ステーション(13:00-17:00、日曜、月曜休館)
          TEL:04-7170-7090
問い合せ     同上
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国立競技場に翻った布施弁天の庇護者本多家の家紋立葵

2008-02-20 | 歴史
先般、春を求め、房総路を旅したが、その目的のひとつが、柏に代官所を2つ置き、布施弁天のよき庇護者であった駿河田中藩本多家、最後の城である長尾城跡をみたかったからです。
明治政府は、慶応4年(1868年)、徳川宗家の家達をこれまでの領地より切り離して、駿河府中に藩換えにより入封させる。そのため、もともと、そこにいた駿河の藩主たちはあおりを受け、上総、安房に移封され、駿河田中城主であった布施弁天の庇護者の本多家も安房の長尾藩主(4万石)とさせられたのである。初代の藩主は本多正納で、そのための居城を、今は南房総市となっているが、旧白浜町長尾に築くことになる。柏市内に2つあった本多家の船戸代官と藤心代官に勤めていた家来たちも明治2年(1869年)までに移転して行ったと思われる。
この長尾城は、旧里見氏の城があった白浜城跡の隣に作られることになる。しかし、この長尾城は築城途中に台風により倒壊し、築城をあきらめざるを得なかった。そこで、本多家は、水野氏が文政年間に構えた北条村の陣屋を再興して、しのいだのである。明治3年(1870年)12月に正納は隠居し、甥の本多正憲があとを継ぐ。だが、それも翌年(1871年)7月、廃藩置県により長尾藩は廃藩となって、長尾県となり、免官されてしまうのである。同年9月には正憲は東京に戻ってしまう。さらに、同年11月には、この長尾県すらも木更津県に編入され、最後には千葉県に組み込まれてしまうことになるのである。
背後を長尾川で守られていた天然の要塞ともいえるこの未完成の長尾城跡は、現在、森となり、その当時を物語る建物は一切残っていない。石碑等も、私は見かけなかった。里見城跡のはあったが。しかし、専門家によると、長尾城の腰曲輪や郭の跡は残っているようだが、素人にもわかるような土塁や空堀などの構築物等は見受けられない。
実に、約200年の長きにわたって布施弁天の庇護者であった本多氏の消息も、この正憲を最後に私には、皆目わからなくなってしまうのである。わかっているのは、正憲は後に子爵、そして貴族院議員となるが、大正15年(1926年)7月に隠居し、昭和12年(1937年)5月に89歳で死去したということだけである。
本多家は、布施弁天があった布施村に何を残したのだろうか、そして、最後の地の長尾には何を残したのだろうか。この両方を見たものにとっては、世の中は、暖かい春に向かっているというのに、単なる領主と領民という関係にしかすぎなかったかと思うと、歴史の無常しか感じられなかった。
だが、である、旧船戸代官所があった船戸地域の船戸会館で江戸時代から恒例的に行われている船戸おびしゃに、静岡県藤枝市の田中城史跡案内ボランティアの人たちが、近年、招待されたという話を聞いたことがあります。このように市民レベルの交流が今も続いていることは、素晴らしく、嬉しいことだと思っていたら、今年、それ以上の交流(?)があったようですね。
そう、記憶にも新しいと思いますが、1月14日、東京の国立競技場で行われた第86回全国高校サッカー選手権大会の決勝で流通大学付属柏高校と対決したが、領主本多家の地元の藤枝市の藤枝東高校でしたよね。
その際、この国立競技場の電光掲示板横に本多家の家紋である立葵の旗が掲げられたことを、何人の柏市民の方は気がついたでしょうか?この旗は、縦1.1m、横1.8mで、スタンド最上部に掲げられ、両校の健闘を見守っていたそうです。そして、この旗を制作したのが、田中城史跡案内ボランティアグループだそうです。
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防災体験学習施設見学ウォーキング

2008-02-19 | その他
日曜日は3万人もが東京都心を走った2回目の東京マラソンで盛り上がりましたね。長寿と健康への関心は年々増すばかりです。こちらは,お馴染みのウォーキングですが、今回はちょっと行く先が変わっています。普通、ウォーキングと言えば、歴史的施設や自然的環境巡りが多いのですが、今回のウォーキングは標題の通り、防災体験学習施設見学ウォークなのです。主催者は、お馴染みのゆうゆうクラブなので、ウォーキングの指導は万全で、安心して任せられます。
コースとしては、20世紀梨誕生の地を訪ねた後に、自然災害等から身を守るための体験学習が出来る千葉県の西部防災センターを見学するそうです。この見学には、定員があるようで、先着72名の、事前予約が必要とのこと。もちろん、最後は、定番の歴史的施設である戸定が丘歴史公園で解散だそうです。では、このウォーキングの概要を以下に紹介します。
開催日時     平成20年3月13日(木)※小雨決行
集合場所     松戸駅上野方面側連絡通路
集合時間     午前9時(※時間厳守)
           9時集合後、松戸中央公園へ移動、出発式。
解散場所     戸定が丘歴史公園(最寄り駅:松戸駅徒歩10分)
解散時間     午後3時予定
コース案内    松戸駅(スタート)~松戸中央公園:出発式(WC)~和名ケ谷クリー
           ンセンター(WC)~20世紀梨誕生の地~千葉県西部防災センター
           (見学・昼食)~戸定が丘歴史公園(ゴール)
参加費        初参加者200円、ゆうゆうクラブ会員100円
持ち物        お弁当、飲み物、敷物、雨具ほか
主 催       ゆうゆうクラブ
申込み       事前申込み。定員の72名になったら締切りなので、下記の電話番号へ
           お早めにお申し込み下さい。
           (電話)04-7143-5340  大神智恵子
問い合せ      同上の電話番号へ
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館山自動車道で春の房総路へ

2008-02-18 | 歴史
先日、昨年開通した館山自動車道に乗りたくて、早春の房総路に行ってきました。多分、この時期は、水仙や菜の花は、終わりに近づいているので、梅や桜を見たくて出かけてみることにしました。
館山自動車道は、途中、まだ対面通行のところもあるが、大体が2車線で山の中を通り、快適な運転ができます。柏から目的地のひとつである館山城までは、2時間もかからないで着きました。
この館山城があるところは、約70メートルの小高い丘の上にあるので、ひょっとすると早咲きの桜が咲いているかもしれないと思って行ってみたのですが。
孔雀園の廻りには、白梅と紅梅が満開でとても綺麗でしたが、いかんせん数が少ない。更に、坂道を頂上目指し登っていく。途中には紅梅は咲いていたが、桜の花は見あたらない。日本庭園・茶室までに行くと,そめいよしのの桜の老木があったが、蕾は堅く閉じたままだ。これで、桜の花はあきらめた。
頂上の広場に着くと、館山城が、優雅に私たちを迎えてくれた。早速、居合わせたお城のボランティアさんに記念写真を2枚撮って貰う。この日の天候は良く、晴れ渡り、真っ青な青空であったが、なにせ、風が強く寒かったので、外での散策はほどほどにしてお城の中に入る。
入ってみて初めてわかったのですが、この城は、昔、武士が住んでいた城ではないようです。昭和57年に館山市の博物館分館として建築されたものです。そう、南総里見八犬伝の資料館になっておりました。滝沢馬琴の八犬伝ファンにはこたえられないでしょう。
三層四階建ての鉄筋コンクリート造りの各階の展示物を大雑把に見終わると、楽しみにしていた、模擬天守閣に登る。ここからの四方の眺めは見事で、素晴らしい。東京湾の向こうには、日本一の山、富士山も見られるし、眼下には館山市の市街がまさに一望出来る。
本来、里見氏が、ここ根古屋山(城山)に城を築城したのは、9代当主義康で、天正16年(1591年)頃で、根古屋城ともいわれていたらしい。そして、天正19年(1591年)、それまでの里見氏の居城であった岡本城からここ館山城へ移ったようである。ところが、慶長19年(1614年)に10代里見忠義は、徳川幕府により、伯耆国(鳥取県)3万石に転封されてしまう。この館山城はその年の9月に取り壊されてしまうのです。また、鳥取の倉吉に行った忠義が、元和8年(1622年)29歳の若さで病死し、里見氏十代170年の歴史は幕を閉じてしまうのです。なお、江戸時代の後期には旗本の稲葉氏が1万石を与えら、お城ではなく陣屋を構えたそうですが、稲葉氏も5代で明治維新を迎えることになる。
実に悲しい運命の里見氏ですね。滝沢馬琴は、これをもとに八犬伝を書いたのではないかともいわれています。
さて、このお城は、先にも書いたように館山市の博物館の分館です。本館は、麓にありますので、この博物館の利用案内を下記に紹介してみます。建物の中に入らなければ、散策はもちろん無料。
利用時間  午前9時から午後4時30分
休   日  ●月曜日(月曜日が休日の場合はその翌日)及び休日の翌日
        ●年末年始(12月26日~1月4日)
問い合せ   ●館山市教育委員会生涯学習課博物館グループ
         TEL: 0470-23-5212
なお、博物館の入場料金は、高校生以上の大人が300円で、2つの施設を1枚の共通券で見ることができます。残念ながら、梅は見れたが桜は見れなかったので、更なる春を求め、今度は市内のイチゴ狩りを目指したのでした。
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混声合唱団による定期演奏会の案内

2008-02-17 | その他
東葛混声合唱団は、平成2年(1990年)に柏・松戸を中心に、東京、埼玉、茨城等の各地から40名近い人が集まって結成され、現在、メンバーは約60名とのこと。団員の年齢も、20代から70代までの男女と幅広いが、違和感なく楽しく活動しているとのこと。練習は、結団当初は月に2回土曜日の夜でしたが、現在は3回になり、柏豊四季台団地集会所、柏市豊四季台近隣センター、松戸市民会館等で練習。そして、柏・松戸地区の合唱祭や催事等にも参加しているそうです。
現在、東葛混声合唱団では随時団員を募集中で、見学ご希望なども、連絡を下さいとのこと。これから、定期演奏会に向けて、新しい曲をやりはじめる今が、入団のチャンスと宣伝しています。練習場所・時間の目安は、松戸戸市民会館音楽室 18:00~21:00、柏豊四季団地集会所 18:00~21:00となっています。費用としては、入団費が、1,000円で、会費が3,000円(但、学生1,000円)だそうです。
では、早速、以下に東葛混声合唱団による第5回演奏会の概要を紹介します。
開催日時     2008年3月9日(日)開演 14:00  開場 13:30
開催場所     柏市民文化会館 大ホール
           所在地: 柏市柏下107番地 TEL: 04-7164-9141
プログラム    ・「思い出すために」
           ・『富山に伝わる三つの民謡』より「越中おわら」「むぎや」
           ・『北へ』より「大漁唄い込み」「俵積み歌」
           ・女声合唱「さびしいカシの木」
           ・男声合唱『富士山』より
           ・混声合唱『唱歌の四季』より
           ・「ウエストサイドストーリー」 
出   演     指 揮:高宮恭子
           ピアノ:川井敬子・大野さなえ
対   象     どなたでも
費   用     999円 全席自由
主   催     東葛混声合唱団
後   援     柏市教育委員会 松戸市教育委員会
           柏市合唱連盟 松戸市合唱連盟 松戸市音楽協会
問い合せ     熊井 TEL: 04-7139-3553
なお、第1回定期演奏会は1992年4月に松戸市民会館にて開催し、「水のいのち」「武満徹作品集」などを演奏、2000年9月24日には、「第3回定期演奏会」~創立10周年記念~と題して、曲目:心の四季・Gloria・オペラ曲集他を披露しています。どうやら、定期演奏会は、毎年している訳ではないようですね。合唱好きな方は、このような数少ない定期演奏会の機会を、見逃さずに行かれてみてはいかがでしょうかね。
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茅葺屋根の旧手賀教会堂のお化粧直し

2008-02-16 | 歴史
昨年の今頃、本ブログで初めて旧手賀教会堂を紹介しましたが、その旧教会堂の茅葺屋根差し茅改修工事が、どうやら予定より早く2月8日に無事に終了し、2月9日(土)より、見学が再開されたようです。当初の工事期間は、平成20年1月16日(水)から2月15日(金)までで、この期間中は、敷地内での見学はできなかったのですが、これから暖かくなる時期に、早めに終りよかったです。でも、今年は屋根の南側半分だけの改修で、また、来年は北側半分を改修するようですね。しかし、見学は、毎週水曜日と土曜日の午前9時から午後3時まで大丈夫になりました。問い合せは、文化課文化財担当(℡04-7191-7414)へ。
この旧旧手賀教会堂は、旧沼南地域の手賀沼が臨める手賀442という小高いところににひっそりと建っております。どっから見ても、ぱっと見ただけでは、単なる茅葺き屋根の古い民家にしかみえません。屋根の上に十字架が立っているわけでもないし、ステンドガラスや洋風のいかにも教会風な建物でもありません。古い民家を移築して教会として使っただけだからです。しかも、現在は教会として使われておりません。新しく建てた教会は別のところにあります。外見から教会らしいと思われるのは、写真のゴシック様式の半円アーチをかたちどった窓ぐらいですね。
この建物の場所を特定するのは、柏市の指定文化財(史跡)の立看板があるので、多分すぐ分かると思いますが、念のため、この建物の前には車を停めるスペースはありません。道路は大変狭いです。また、建物の反対側にはお墓があり、仏教とキリスト教が入り混じったなんとも奇妙な墓地となっております。
さて、この旧教会堂は、首都圏に残っている古いほうの教会堂と言われておりますので、その由緒を市の文化課のホームページより引用・紹介します。
正式名称を日本ハリストス手賀教会(手賀使徒伊望正教会 )といい、ギリシャ正教の教会です。現存する首都圏内の教会堂としては最古のものです。明治6年、信教の自由が交付されるとともに、ニコライ大司教により日本ハリストス正教会の布教活動が北海道函館より始まりました。 千葉県には明治8年法典(船橋市)、同10年大森・船穂(印西市)、布佐(我孫子市)にそれぞれ教会が設置されました。
大森教会での布教を知った手賀、布瀬地区の人々は、明治12年に教会を創立し活動をはじめ、同16年に教会堂を設置しました。 これが現在の旧手賀教会堂で、明治30年頃聖堂部分が増築されたといわれています。ここまでが、引用です。
そして、その後の諸般の事情で、手賀教会堂は、この建物をそのままにして、昭和40年代に他所といっても同じ手賀区域に移転します。現在のこの旧建物は柏市の所有らしい。移転先の新手賀教会堂には、茨城県笠間市出身の明治期の女流作家として高い評価を受ける山下りんの描いたイコン画といわれものが3点、掲げられておりますが、通常は拝観できません。聖画は日本ハリストス正教会でイコンと呼ばれるもので、主全能者(キリスト)、至聖生神女(マリア)、機密の晩餐の3点で、これらは、柏市指定文化財(有形文化財)となっております。
なぜ、この地区に、決して都会といえないこのような地域に、明治の古い時代からギリシャ正教が布教されたかを知りたくて、以前ちょっと調べ、それを昨年の今頃のブログに載せてありますので、ご関心のある方から、ご意見を賜りたいと存じます。よろしくお願いいたします。
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中央学院大学における三遊亭小円楽独演会

2008-02-15 | その他
今年の正月の箱根駅伝での中央学院大学は凄かったですね。往路5位、復路2位で総合3位の成績を収め、次回のシード権を獲得。復路9区では篠藤淳(しのとう じゅん 主将・商学部4年)が37秒も更新する区間新記録で区間賞を受賞、更には今大会の最優秀選手賞(MVP)に輝きましたからね。これまでの最高順位が9位だったんですからね。今年はそれを大幅に破り、堂々の総合3位、すばらしいの一言ですね。その学院生が、大学のグランドで練習している姿をたまに我孫子の久寺家方面に出かけた時に見かけることがあるので、親近感を持って、出場する際にはテレビにかじりついて見ています。応援しています。今年も、同大学のグランドの裏側にある鷲神社に、元旦に行って箱根駅伝の必勝を祈願させていただきました。その甲斐あってか(??)、今年はこんなうれしいことになりました。今後は、是非、優勝目指して頑張って下さい。
さて、同大学には、大学と地域社会との関わりを真摯に考える活動機関として中央学院大学アクティブセンターというのがあります。具体的になにをしているかというと、次代に向けた「異世代文化の交流基地」として、「オープンカレジ」の開講、出版・学生ボランティアの支援などを行っています。
このセンターの活動の一つに、1994年から、盲導犬普及活動を同大学の学生と共に行っています。地元のイベントへの参加や福祉施設への協力も積極的に行っています。これから紹介します三遊亭小円楽独演会も、実は、その盲導犬普及活動チャリティイベントして開催されるのです。ですから、頂いた入場料は盲導犬育成資金として、栃木盲導犬センターに寄付するらしいです。
大学と盲導犬普及活動の組合わせが珍しいので、以下にその概要を紹介します。
開催日時     平成20年3月1日(土)13:00~
開催場所     中央学院大学611教室
              我孫子市久寺家451(電話04-7183-6529)
内  容      三遊亭小円楽(さんゆうていこえんらく)独演会
費  用      500円
定  員      200人
主   催     中央学院大学アクティブセンター
申し込み      ハガキに(1)イベント名(2)郵便番号(3)住所(4)
           氏名(ふりがな)(5)電話番号(6)申込人数をご記入
           の上、主催のアクティブセンターまで申し込んで下さ
           い。FAX・Eメール可、後日、案内を送付。
              FAX 04-7183-650
              E-mail a-center@cc.cgu.ac.jp
問い合せ     中央学院大学アクティブセンター(電話 04-7183-6529)
最後に、三遊亭小円楽のプロフィールの紹介を芸歴中心にしてみます。昭和55年12月三遊亭円楽に入門。前座名は ”かつお”。昭和58年10月二ツ目昇進。昭和63年3月真打昇進小円楽に改名。なお、平成3年7月に国立演芸場若手花形演芸会銀賞受賞している。
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