布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

フェスタで意布郷、姿を現す!

2007-02-12 | 歴史
平成19年3月3日(土)~4日(日)、我孫子市の生涯学習センター=アビスタ(手賀沼湖畔)で「市民活動フェアinあびこ2007」が開催されますが、そこで、我孫子市史研究センターが、「古代相馬郡の中心・湖北」の展示を2階で行うとのことです。
意布郷は、オフ、オブ、オオなどと発音され、意部郷、於賦駅などとも書かれ、いずれも同じものとされています。郷とは50戸、官道は約16キロに駅を置き、馬を配置してあったのです。古代東海道の下総国府市川市を経ての終着駅は常陸国府石岡市です。
さて、柏市発行の『ふるさとかしわ文化財マップ』NO4.東部地区(旧富勢村)というパンフレットにおいて、奈良時代の戸籍(正倉院文書)に記録された地名と人々として、養老5年(721年)に現在の布施付近と推定される「意布(おふ)郷」に住んでいた家族を紹介しています。私は、これが事実と思っていた時期が一時期あったのです。
しかし、この「意布郷」は、本当に柏市の布施付近なのでしょうか。そして、官道に配置された病人等の看護する機能を備えたお布施屋から布施村という名前をつけたというが、本当に古代東海道が布施を通り、そこに布施屋があったのでしょうか。この長年の胸のつかえも、この3月には解決されそうです。我孫子市史研究センターというのは、昭和50年11月に市民・研究者の団体として設立され、我孫子市の歴史について調査、研究を行い、我孫子市の市史編纂も手伝っている市民団体です。その実績は、先般紹介した「ろうそく屋彦兵衛」を特定し「いほりのちり」を刊行したことをみてもわかると思います。
彼らのフエスタにかける思いを、彼らの言葉で、以下のとおり紹介します。
我孫子市の湖北地区には「相馬郡衙」(ぐんが、正倉)跡、古代東海道の駅家である「於賦駅」を示す「意布郷」の文字の書かれた墨書土器が発掘されています。また、そこに記された「久須波良部」は正倉院文書として知られる「下総国倉麻郡意布郷 養老五年戸籍」に登場する藤原部が改称されたものとされています。今回我孫子市教育委員会の御協力を得て、この墨書土器と正倉院文書の精巧なレプリカを展示する予定です。
(以上)
上記から、湖北地区(正確には日秀西地区)には、間違いなく、相馬郡衙があり、国道356号線の一部が古代東海道の一部と重なっているという考えが見えてきます。この辺の詳しいことは、同センター会報第2号(平成14年3月17日号)を見ると、更に詳しく書かれています。布施界隈を愛する者としては、厳しい事実ですが、受け入れるためにもフエスタには行って、この目で確認するつもりです。
なお、郡とは、律令政治においては、税金の徴収、戸籍の編さんなどをする際の単位で、郡家・郡衙はその中心となる役所のことで、写真はその想像図を撮らせて頂きました。

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