布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

夫婦銀杏がある古刹の弘誓院

2007-02-17 | 歴史
銀杏の木と言えば、名戸ケ谷の法林寺の幹周り約5㍍の大銀杏が有名だが、合併した旧沼南町地域にも有名な銀杏の木がある。柳戸の観音様で地元の人にはなじみ深い蓬莱山福満寺弘誓院(ぐぜいん)に、それはある。雄の木は幹周り4.2㍍、雌の木は幹周り4.4㍍もある一対の夫婦銀杏の大木のことである。そして、写真でわかりづらいかも知れませんが、雌の木には、幹から女性の乳房のような乳柱がいくつも垂れ下がっているのです。言い伝えによると、母乳の少ない女性がこれを削り、煎じて飲むと母乳に恵まれるといわれています。そういえば、本土寺の銀杏の木にも、似たようないわれがありましたよね。長い歴史を寄り添うようにそそり立つ夫婦の銀杏の木をみていたら、自然と笑みがこぼれてきました。
一方、本堂の中には、暗い感じをさせる絵馬があります。そう、昔、貧しさ故に横行していた子どもの間引きの現状に対し、手賀村などの村人が弘化4年(1847年)に奉納した「間引きの絵馬」のことです。これは逆説で、間引きをなくしたいという村人の願いを込めた絵馬だと解釈されておりますがーー。この夫婦銀杏があって、この「間引き絵馬」、なにか因縁を感じます。
さて、弘誓院の歴史について少しふれてみますが、弘誓院は、木造の聖観世音菩薩像(伝・行基菩薩作)をご本尊とした真言宗豊山派のお寺で、最初に書いたように下総新四国観音霊場三十三番の第三十三番札所にもなっています。開山は9世紀ごろで、行基が開いたといわれています。不思議なのは、民家や寺のお墓や鐘楼等などは高いところにあるのに、お寺が低いところにあるのはどうしてでしょう。
高く長い階段を登ったところにつるされてある鐘は、染谷一族等により大正期に鋳造されたものだそうですが、昭和45年には、それより古い鐘が、東京の工事現場から発見されたそうです。それが今、どこにあるか、私にはわかりませんが、その鐘には、平胤弘の名と下総国南相馬郡泉郷柳渡福満寺の名と文正二年(1467年)の年号が彫られていたそうです。
それから、境内を歩いてみてたら、平成になってからたてられた弁才天がありましたが、この弁天様のきらびやさは、古刹のこの寺とはミスマッチかなー。なお、弘誓院には、千葉県の指定を受けた文化財として、妙法蓮華経板木と上記に書いた木造聖観世音菩薩坐像の二つもあることもご紹介しておきます。盆地の底にわざとあるようなこのお寺を眺めていると、これまで、自分が訪れた寺院では、感じ得なかった、何か独特のものを感じるのですが、言葉ではうまく表現できません。普通のお寺というのは、高いところや一等地にあるのにね。
コメント (1)
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