布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

寺コンで有名になった大洞院

2007-02-25 | 歴史
花野井の曹洞宗大洞院は、古くは平将門が建てたという言い伝えがあるが、曹洞宗なら全く時代が合わないから話にならない。しかし、最初の場所が今の場所ではなく、花野井の弁天山というところに大洞院があったといわれる。だが、その場所を特定できないし、宗派がなんであったかもわからない。大洞院が、歴史上はっきりと現れたのは、慶長元年(1596年)に鷹山舜嶽悦大和尚が開山(万松寺文書)した時である。もちろん、曹洞宗のお寺としてです。
しかし、その後目立った動きはなく、宝永年間に薬師不動の支配をめぐり争うとか、宝暦元年(1751年)堂宇が再建されたぐらいで、それ以降は全く歴史に現れず、近年まで見向きもされなかった寺です。
この寺がクローズアップされたのは、昭和59年、木村誠治・瞳夫妻が住職として赴任されてからです。それまでは、無住職の寺であり、檀家も72軒に過ぎなかった。木村住職夫妻は、寺の宗教活動以外の寺コン活動(本堂で行なう各種のコンサート・文化活動)や「ハンカチの木」(カンボジアに学校を送る会)活動等々、地域に開かれた寺を目指して努力した結果、檀家数も現在450軒となっている。木村住職は昨年の9月に退任されたが、これらの多くは、これまた、若い桜井新住職が引き継いでいる。今後の動向が注目されている市内でもユニークな寺ですが、残念ながらまだホームページが更新されていませんので、本当のところはどうなのか、わかりません。
また、この寺にも銀杏の大木(写真)がある。幹周りが5㍍以上で高さが20㍍を越えている立派な木であるが、樹齢は不詳である。市内では、法林寺の銀杏についで、2番目に大きく、法林寺と同じく雌の木なのだそうです。なお、イチョウは、公孫樹、鴨脚樹とも書き、銀杏と書かれるようになったのは足利時代からだそうです。
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