布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

新手賀教会の実像とは

2007-02-16 | 歴史
旧手賀教会跡から更に1キロ位奥に入った崖の上、字右理(みぎり)に、昭和49年に新築された手賀教会はひっそりと佇んでいました。地図を頼りに何度訪ねてもわからなかったので、今回は地元の人に道を聞き聞き訪ねて行ったところ、やっと場所が判明。それは、何回も通った崖の上にあった。そう、上がりきった道路の左を見ればわかったのです。確かに手書きのハリストス教会という小さな案内標識がありましたが、それを初めての人が見つけるのは至難の業です。
ということは、そうです。その建物が一目見て教会の礼拝堂とわかる格好にはなっていなかったのです。ステンドガラスに屋根の上の大きな十字架と、定番の教会イメージを想定していた自分が未熟でした。先般書きましたが、昔、100名以上の信者がおり、それが現在では10名前後ということは事前に調べてわかっていたのですが、こじんまりとはしていても、それなりの風格を期待していたのです。なにせ、明治中期の創設の首都圏最古の木造教会堂をもった程の教会ですからね。旧手賀教会跡地を捨て、新しい地に新しい建物を、それも昭和49年に建設したというのは、単なる建物の老朽化だけではあるまいのに。建物は大きいとは言えない平屋の建物で2棟あり、渡り廊下で繋がれておりました。写真の柏市教育委員会の看板がなかったとしたら、教会とは思えないでしょう。
立て看板によると、礼拝も信者だけに限られ、しかも月1回。私が行った日も、2つの建物の扉は、堅く閉ざされており、訪れる人も誰一人もおりませんでした。昭和5年頃から常駐している神父はいなくなっているが、信者がこまめに世話に来ている形跡がないのはどうしたことでしょう。管理はUさんという方がしているようですが、布教活動とは直接関係ないようだし、隣にも住んでもいないようです。
お墓も旧教会のはす向かいの仏教式の墓地の中に、「キ」の文字の墓があったが、近くにあるパブテスト教会の霊園(鷲野谷)のようにまとまった専用の墓地もない。教会の近くの畑にいた地元の人と少し話した際にも、彼等の対応から、信者でないことは手にとるようにわかるのです。近所の人にも認知されない新手賀教会の存在の意味とは!合併時に作成された柏市文化財マップに大々的にのっている三点のイコン画(非公開)もどんなにか悲しんでいることか、と嘆いても、それは他人の余計なお世話ですよね。
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