こ忙しい師走の中旬の木曜日に、群馬県富岡市にある世界遺産である富岡製糸場を見てきました。人づてによると、来年(2015年)4月から、入場料が500円から1,000円に上がると言う。それなら、早く言った方が良いと思ったからです。
そこで、同工場のホームページのスケジュール表を見ると、12月も超混雑のマークがずらりと並んでいる。これも、人づてだが、木曜日は比較的混雑度が低いと言うので、木曜日にしました。
家から、高速道路を使い約2時間。午前8時30分前には富岡製糸場前についてしまいました。同場の正門前までは、広くはない道路がまっすぐ伸びている。だが、正門付近には駐車場がない。左側は行きどまり。右側にも駐車場はない。
そこで、1本道をUターンして、コインパーキングへ。そこには、コインパーキングがいっぱいあり、20分100円。この駐車場からは、同場の正門まで直線距離で約220メートルとのこと。
9時に開館なので、それまで、この同場の周りをブラブラと歩いてみることにしました。直線道路の両側はお土産屋。同場に突き当たっての左側には、お寺と同場の関係者の駐車場が。下には鏑川が流れている。
右側はというと、なんと沢山の飲み屋街が広がっている。左右とも路地はせまいが、特に右側は狭い。軽自動車もはいれない道があちらこちらに張りめぐらされている。
なぜ、飲み屋がたくさんあるのだろう。聞くと、この辺一帯は、かっては、遊郭だったという。もちろん、女工相手ではなく、生糸関係者の男性相手だそうだ。そして、昔は宿屋も結構あったそうだが、今はない。まさか、こんなところで、昔の製糸工場の栄華盛衰を垣間見るとは。
そして、9時ちょっと前に正門に並んだら、2番目の受付。あとからは、団体客がぞろぞろくるはくるは。そう、どうやら混雑の原因は、この団体客みたいだ。個人の見学客は平日は少ないらしい。特に木曜日は。
チケットを買い、ボランティアガイドが説明してくれると言うので、その待ち合わせ場所へ。東繭倉庫の後ろ側にテントがはってあり、そこへ行く。途中、今年の2月の大雪で押しつぶされた乾燥場の無残な姿を目撃。
テントには橙色のジャンパーを着たボランティアガイドがおり、時間毎に無料で案内してくれる。私の場合は9時30分からだった。約10名の個人見学客が集ったら、案内開始。ボランティアガイドによる説明時間は、約40分とのこと。
でも、建物内に入って、説明を受けたのは、繰糸場のみ。後は、みんな外。外は上州名物の空っ風が吹き荒れ、体のしんまで冷やされたのには、参った。
そこでの説明で印象に残っているひとつは、蚕の繭をゆでて、糸を取り出す時に、中のさなぎも取り出すが、その時それをおやつ代わりに食べた言う話。もちろん、同場内でなく、一般農家の家での話らしい。どうやら、甘いらしい。そして、今でも長野の方面ではそれがビンづめで売られているとのこと。私は、食べろといわれても遠慮するが。
もうひとつは、給料のこと。4クラスある工女(ここでは女工とはいわないそうだ)の月給で一番いい人でも1円75銭。でも、外国から招いた同工場の長は700円とのこと。これを聞いたら愕然。今も昔もかわりないですな。
解散場所は旧蚕種(さんしゅ)製造所前(今は関係者の駐車場)。前には寄宿舎と、脇の崖下には鏑川が流れているところ。
ここで、案内説明が終わったので、あとはめいめいで行動。そこで、私たちは正面入り口前にある東繭倉庫1階のガイダンス展示とお土産売り場へ。本当に体のしんまで冷えていてから、建物内に入った時は実にほっとした。
ここで、ボランティアガイドが説明してくれた内容と同じようなことが、パネルで展示され、しかも、大きなスクリーンで映像まで流されていた。それなりに、同工場の歴史と業績については、頭に詰めたので、ここでちょっと書いてみます。富岡製糸場は明治5年(1872年)、明治政府が日本の近代化 のために最初に設置した模範器械製糸場です。
江戸時代末期に鎖国政策を変えた日本は外国と貿易を始めた。当時最大の輸出品は生糸でした。輸出の急増によって需要が高まった結果、質の悪い生糸が大量につくられる粗製濫造問題がおき、日本の生糸の評判が下がってしまう。
明治維新後、政府は日本を外国と対等な立場にするため、産業や科学技術の近代化を進め、そのための資金を集める方法として、生糸の輸出が一番効果的だと考えた。そこで政府は生糸の品質改善・生産向上と、技術指導者を育成するため、洋式の繰糸器械を備えた模範工場をつくることにしたそうです。それが、この富岡製糸工場とのこと。
このように、この展示場を心行くまで、観賞した私たちは、最後にお土産屋へと。絹のネッカチーフも売られていたが、値段をみたらとても。
こうして、約1時間30分にわたる見学後、同工場をさったわけです。世界遺産の「富岡製糸場と絹産業遺産群」のうち、私たちが見たのは富岡製糸場のみで、絹産業遺産群は今回は見ずじまい。今度は、機会があったら、それを見に行きたいと思っています。