書道家Syuunの忘れ物

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06章/////The Ghoul in Pyjamas その14

2008-02-07 22:52:54 | 日記

06章/////The Ghoul in Pyjamas/パジャマを着たグールお化け

Halley potter and the deathly hallows
その14
彼ら全員が充分こざっぱりしたと見なされた時、彼らは、訪問者を待ち受けるために日当たりの良い裏庭にぞろぞろ列を作って並んだ。.
ハリーは、その場所がそれほど整頓されている様に見えたことは決してなかった。
裏口の階段にいつも乱雑に置かれた、さびた大釜とゴム長靴はなくなっていた。
そこには、大きな植木鉢に入った、ドアの両側には二つの新しい「蝶が舞うような低木」に代えられた。
そよ風がなかったけれども、葉はけだるく揺れ、魅力的なさざ波効果を与えていた。
鶏小屋は既に閉められていた。庭は、既に掃かれていて、近くの庭園は刈込まれ、摘まれ、大方こぎれいになっていた。
もっとも、ハリーにとっては、その伸びすぎた状態が好きだった。
はね回っているいつもの地の精(ノーム)なしでは、むしろわびしく見えたと思った。
彼は、『隠れ穴』には、騎士団と魔法省によってどれだけ多くの防衛魔法が施されていたのかを忘れていた。
この場所に入るのに、誰もが魔法で直接来られることが、もはや可能ではないということを充分知っていた。
従って、ウィーズリー氏は、ポートキーによって到着する筈であった近くの丘の頂上へデラクール家一行迎えに行っていた。
最初に近づいてきた彼らの音は、異常にかん高い笑い声だった。
そして、ウィーズリー氏が来ることが分かった。彼は、ほんの一瞬後に門に現れた。
手荷物はいっぱいになって、長い、木の葉色の緑色のローブの美しいブロンドの女性を導いていた。
彼女は、フラーの母親に間違いなかった。
「ママン!」とフラーは叫び、彼女に抱きつくために前にダッシュした。
「パパ!」ムッシュ・デラクールは、彼の妻ほど全く魅力的ではなかった。
彼は、頭一つ低かった。そして、極めて太っていて、少しの特徴は黒い顎髭(あごひげ)があることだった。
しかしながら、気だてがよいように見えた。
ハイヒールブーツでウィーズリー夫人の方へ跳んできて、彼女を面食らわせたまま、それぞれのほおに二回キスをした。

「あなたには、随分煩わせてしまったね」彼は、深い声で言った。
「フラーは、沢山する仕事があったと私たちに言っていた。」

「おう! そんなことはありません、何もありませんでしたよ!」と声を震わせてウィーズリー夫人は言った。
「全く問題はありません!」
ロンは、その新しい「蝶が舞うような低木」の一つの後ろから、外を見つめていたノームにキックをお見舞いすることによって、憂さを晴らした。

「親愛なる 奥様!」ムッシュ・デラクールは、まだ微笑みと彼の二つふくよかな手でウィーズリー夫人の手を掴みながら言った。

「私たちは、我々二つの家族のもうすぐ実現する合同を、最も名誉に思います。私に、私の妻・アポリーンを紹介させてください。」
マダム・デラクールは、滑るように前に進み、そして同じようにウィーズリー夫人にキスをするまで身をかがめた。

「はじめまして」と彼女は言った。「あなたの丹那様は、大変面白いお話を私たちに話してくれます!」

ウィーズリー夫人は、気の触れたような笑い声を上げた。
ウィーズリー夫人は、彼に一瞥(べつ)を投げかけると、彼は直ぐに静かになった、そして、親友の病床にいるに相応しい表情を装った。

「それと、もちろん私の末娘のガブリエルに会いましたよね。」とムッシュ・デラクールが言った。
ガブリエルは、ミニチュア・フラーだった。
11歳、腰まで長い純シルバープロンドの髪、彼女は、ウィーズリー夫人に目の覚めるように笑みを浮かべ、彼女に抱きついた。それから、ハリーに、まつげをばたつかせながら、熱のこもった眼差しを投げかけた。

ジニーは、やかましく、うがいをした。


日本人の国家意識が薄れた‥‥それ某組合の理想

2008-02-07 18:24:42 | 読み解けば‥‥

日本人の国家感が薄れた。
そのように多く思われる人々というのは、中年以降の世代だろう。
一番ダメというのが、戦後ベビーブームが終わった後、「共通一次」という試験が始まったころの人たちだ。
そう言う人たちが考えるのが、大量消費と使い捨ての精神だろう。
かって、「捨てる技術」とかの本があった。
とにかくその本の内容の凄まじさは、電化製品のマニュアルも全て捨ててしまえという事だ。
マニュアルは、ネット上にあると言うものだが、本当のところは全てあるものではない。
そこに潜むのは、自分ですべ解決するというのではなく、他人任せの感覚だろう。
ネット上にあるマニュアルは、その会社の都合で削除と言うこともあるし、元々そんなものを公開していないところもある。

国家感とは、全ての人が、自分で出来ることは自分ですると言うところに尽きる。
そして、自分で出来ないことは、隣近所で聞いて、それが街、町へと広がって国というレベルまで達する。

それを全て他人がやる‥‥と他人任せにすると、何でも国がやれと言うことになる。
だから、日本ではポランティアが育たない。
しかも、そのボランティアの中心である専業主婦を攻撃して、働け、働けと言うのだから、国家としてお粗末だ。
よくよく見てみると、そのようなことを主張する東大教授は独身で家庭を持っていなかったり、どう見ても国家感を持っていないような人物だった。

今、40歳以降の日本人は、50歳前後の根無し草の様な人たち、そして団塊世代の一部‥功成し遂げた人‥‥に絶望している。
その上、現政権のような、20年も時代を遡ったような人たちには早く引退して欲しいと誰でも思っている。
要するに、日本には老害が蔓延っているのである。

戦後の高度成長というのは、戦争によってこの老害と言われる年寄りが排除され、「新進三等重役」(本来部長止まりの人間が重役になった)と揶揄されながらなしてきたことだった。

考えてみれば、明治維新などには、年寄りはいなかった。そして、官僚的な人間もいなかったというのは、史実だ。