書道家Syuunの忘れ物

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嘱託教員の民間感覚からの遊離

2008-02-09 14:05:55 | 世の中妙な??事ばかり

国旗、国歌について妙な判決があった。
それは、嘱託教員として不採用とした定年退職した教員の感覚だろう。
本来、定年退職したのだから、その後嘱託で採用しようがしまいと、採用者側の勝手と思うのが民間感覚だ。
それを、採用されるのが当たり前だと考えているのは、何やら特権意識が見え隠れする。

昔から、定年退職した「教師」「警察官」というのは使い道がないと言われる。
昔逢ったことがある警察官は、それを充分承知だったから、毎年資格試験に挑戦して定年後に備えていた。
それは、警察の捜査に有効だから、勉強していたのだろうが、教師という威張って子供をあごで使っていた商売だからね‥‥
教師で、趣味がある教師は別として、老後に備えて‥など聞いたことがない。

だから東京などで定年退職した教師など、何の役にも立たないのだろう。
教師は教師以外何もやれないというわけだ。

それで、現役時代、「親方日の丸」で好き勝手なことをして、首にも懲戒にもならず、定年退職した。
その上、公務員だから年金が出るのも早いし、退職金も多い、そして尚もその美味しい教師という「王様の商売」を続けたいなど虫が良すぎるというものだ。

そして、裁判官というのはどう見ても「非常識」というか、ものを知らなすぎる人物が多い。
以前、裁判官夫婦の話が新聞に出ていて、自ら「裁判官は世間知らずと言われることが多いが」、私たちも子供のPTAには出でいますというのがあった。
ちょっと待てよ、‥‥‥と小生は思った。
PTAに出て行ったり、授業参観に出て行くなど普通のことではないか、益してPTAの役員をやったなどとは書いていないのだ。
最近、小学校では街の中心では、一クラス、二クラスというのが多い。
そんな少人数の学校だと、6年間で必ず役員が回ってくる。
裁判官は、転勤が多いから、そんなことに係わらずに転勤して行くというのだろう。
どんなに弁明しても、世間知らずは変わらないわけだ。

そして、その裁判官が犯す大きな間違いは、特に民事では、
「公的立場の人は間違いは起こさない」
「教師は、聖人で誤りを犯さない」
「一見弱いひと(本当はそうでない)の見方」
‥‥などの潜入観念があって、そう言う人の訴えは認め、逆の立場では全く無視されると言うことがあると言うことだ。
そして、それに付随する都合の良い共産主義的理想主義というのがある。

そんな裁判官にかかると、世間一般におかしいことでもまかり通るから不思議だ。
そして、10年に一度の裁判官の国民審査も形骸化して、何も情報が国民に知らされないという裁判所の不誠実がある。

その上、判明したのは、10年に一度の国民審判の名簿に裁判官の名前を載せないと言う手があったことだ。
しかし、これは多分超法規的なことではないだろうか。
田中角栄のロッキード裁判の嘱託尋問調書。
こんな超法規、すなわち違法なことを最高裁が認めるというのは法治国家としてあるまじきものだった。

何やら崩れゆく日本というのは、所謂学校秀才という人物によってより崩されて行くと思うこの頃である。