書道家Syuunの忘れ物

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続・三丁目の夕日の頃の日本

2007-11-24 23:21:58 | 映画鑑賞関係
続・三丁目の夕日の頃を懐かしむと言うのも、団塊の世代のジジィにとっては良いことかも知れない。
しかし、昭和30年代初頭は、今の日本とは違い税の安い軽負担国家だった。
それは、社会保障の充実していないと言う事と表裏一体であった。
老人福祉も医療も戦前の大家族主義が意識の上で残っていたために、「自己責任」だった。
土地は、安くどこでも家を建てられたのは、都市計画法(昭和44年)という農地と宅地を区別する法律がなかったせいだ。
土地の供給が多ければ、土地の値段は上がらない。
これは、経済の原則「需要と供給」の関係だ。ところが、世の中不思議なもので「マル経」というマルクス経済に嵌った官僚は、これを無視する。
土地の供給が止まり、土地が上がりはじめる。但し、本当に上がりはじめるのは40年代。
日本人が、昔から資産として持っているものは、土地と多少の現金。
ほとんどの資産は不動産で持つ。だから、土地持ちには、相続税がかかるが、不動産が安かった頃はほとんどかからなかった。
‥‥と言う事は、中小企業は相続対策をしなくても容易に息子に継がせられた時代だった。

昭和30年代というのは、日本が社会主義化されない「よき時代だった」。
しかし、今日本の国を見てみれば、政府は自らの金の無駄使いを止めずに、国民から金を取りあげる算段ばかり。
消費税の値上げ、配偶者控除の廃止、相続税の値上げ。
みんな30年代には無かったことだ。
消費税の値上げは、消費社会を放棄するに等しく、国を滅ぼす。
配偶者控除の廃止は、母親が自らの手で子供を育てたいという願望を突き崩す。
識者は、子供は国家が育てる、老人は国家が面倒を見る。これはオカシイ。
相続税の値上げは、中小企業の息子への継続を難しくする。
自宅の土地へは控除があると言っても、工場は自宅ではないし、会社の株は関係なし。
30年代より、より社会主義化してきた日本。
こんな日本には、やはり夢がない。
続・三丁目の夕日の時代とは、全く違った世の中になったというのは、やはりオカシイ。

24日朝日新聞社説「金融危機10年―再生への道は、なお半ば」と日本の金融に関して述べている。
景気を牽引(けんいん)する企業部門は、銀行からの借金に頼らず、輸出収益による自己資金で設備投資を賄う姿勢を崩していない。結果として、従業員の賃金が抑えられ、個人消費は盛り上がらず、景気の足腰は弱いままだ。
要するに、ゼロ金利にもかかわらず、大企業は銀行から融資をあまり受けていない。
一方、中小企業は高金利にあえいでいる。
年金、保険などの運用は、ゼロ金利でリスクの大きい投資先につぎ込み大損。
結局、周りに廻って税金で補填という悪循環をしている。
やはり、ゼロ金利政策はもう限界だろう。

続・三丁目の夕日の頃、昭和31年。
丁度、団塊に世代が小学校に上がって、一悶着している頃だ。
クラス55人、60人など言うことも珍しくなかった。
だから、最大の小学校全校児童1500人なんて言うことも‥‥
そして、教師は戦争帰りだったり、戦前は師範学校の生徒だったという教師ばかり。
特攻隊帰りで、「俺はいっぺん死んだ」と常々叫ぶ教師がいたりして、まだまだ戦争の雰囲気は多く残っていた。

学校の教科書は、分厚く、ゆとり教育どころか「勉強しないと」どこの学校へも行けないと教師が毎回叫ぶ、詰め込み教育が盛んになる。
教科書も、今で言う反日教科書など存在しなかった。
なぜなら、60年前の戦争はまだ「歴史」ではなかった。
そして、嘘を書こうにも誰でもその嘘を見破る「真実」を知っていた。
だから、どんな荒唐無稽なことも「嘘」と見破られて誰も相手にしない。
大江健三郎が言う様な「日本人に対する嫌悪」や、「ねつ造の事実」など誰も言い出さなかった。
しかし、大江(72歳昭和10年1)、福田首相のように昭和一桁時代は、占領中のマック洗脳教育だから特殊なんだなとつくづく思う。
東京の街は都電が走ってたが、地方の路面電車は廃止されていった。
牛乳は確か10円(180ml)。
配達してもらって、誰かが飲む。ヨーグルトになると15円か20円。

朝、豆腐屋の「トーフー」というラッパと共に豆腐屋。街角には、納豆屋。
納豆は、三角の形になって5円。
その後10円→15円→と見る間に上がった。

そして、どこのうちでも「鶏」を2-3羽買っていた。当然、卵を取るためだ。
えさは、時々庭に生えているタンポポや食べ残しの「飯」など。

卵がスーハーで売られる様になってからはどこでも飼うと言うことはなくなった。

ついてに言うと、子供の小遣い週20-30円、一ヶ月100円程度か‥‥
大体駄菓子に消えるか、模型屋の工作を買うというのが多かった。
木製の模型、35円から55円。
考えてみると、あめ玉1円。100円というのは結構大きな金額だった。


講演会「種谷扇舟の人と書」千葉県立美術館

2007-11-24 11:30:19 | ちまたの噂・雑記事

今日は、朝から千葉県立美術館へ出かけた。
何かと言えば、「田宮文平」氏による講演会「種谷扇舟の人と書」、そしてその種谷扇舟の遺墨展が千葉県立美術館の企画展で行われた。
ついでに言えば、祝賀のレセプションがホテルで行われたから、帰ってきたのは夜中の11時(23時)だ。
以前、千葉くらいだから車で行こうと思っていたが、遅くなるので
JRにした。
京葉線から見たら、湾岸道路は大渋滞だった。
浜ではTDLへ行くために車内がガラガラになったほどだ。
考えてみれば、今日は3連休の初日だった。
さて、故種谷扇舟先生の遺墨展‥‥
千葉県立美術館企画展「種谷扇舟」の内覧会で見てきた。
書道評論家の田宮文平氏によれば、公的な美術館の企画展に書道家が出るのは非常に珍しいのだそうな。
そして、意義があることで、美術史にかならず残ると大絶賛だった。
考えてみれば、美術館主催の企画展(入館料がいる)に書家の作品展があるというのは現代作家ではほとんどいないと言うのが本当だろう。
事実、小生の郷土に、どんなに偉大な作家がいたとしても「企画展」で行われたことがない。
千葉では、故種谷扇舟先生という書家が如何に偉大で、その上観覧者が多く訪れるとの予想の元にしか行われないものだろう。


一方群馬の県立近代美術館で有名な絵画の「画家」の企画展が行われても、結構閑古鳥が鳴いていることもあるから、そんなのだったら書家の方もやれ、と言いたくなる。
「種谷扇舟」展の作品は、ほとんど晩年の作だ。
だから、大方1990年代後半の作と言っていいかも知れない。
臨書作品の展示はあまりなく、見て分かる臨書作品などは驚嘆に値するが、晩年の作は何やら「感謝」とかが多くてどうも我々にはなじまない感じがする。
毎日書道展の時の金子鴎亭先生の書作展くらい、もう少し、若い頃からの作をとも思ったが、そんなことをするなら新国立美術館のフロア半分くらい必要だろう。
展示する作品を選ぶ選者の苦労が忍ばれることがひしひしと感じられるものだった。
書作品の他、愛用の品々の展示もあり、雅印があった。
中に、二世中村蘭台(日本芸術院賞)作のものがあったのには驚いた。

その他、良く使用された黒光りしていた竹根印も彫りが深くて、素晴らしかった。
近年、雅印は日展系の面白くもないものが多くて、こういう素晴らしいものを見ると何やらホットするものである。

書が判らなくても、印だけでも必見の遺墨展だった。