書道家Syuunの忘れ物

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産経「やばいぞ日本」AFSの本質を知らないお寒い議論

2007-11-17 11:58:26 | 読み解けば‥‥

アメリカン・フィールト・サービス(American Field Service)については、もう30年以上前から不要論が叫ばれてきた。
その理由は、AFSに参加した学生がある意味で無駄だった、不必要だった、勧めないと言うことにつきる。
又、行きたい場所、学校、その他全て希望できないと言うだけではなく、「ボランティア活動」という部分が強調されて、学業、国際感覚とは一切無関係だからだ。
そもそも米国側の受け入れ体制も、「アジアの貧しい子供」を米国に受け入れて米国の良さを体験させるという学業とは一切関係ないことだ。
1992年(平成4年)10月17日、あの
ハロウィンパーティーに出かけ、間違った家の前で、マグナム44で至近距離から射殺された奨学生・服部剛丈(16歳)君は、AFSの学生だった。
そして、賠償金が
65万3000ドル(700万円弱)だったことを考えれば、米国社会での受け入れ感覚は変わらないことが明白だろう。

AFSから帰ってきた学生は、1学年遅れると言うこともある。
そして、その昔ならともかく、大方希望の大学にも進学できず、社会からドロップアウトしてしまう人物も多いことを記憶すべきだろう。
論者が指摘するミュージシャンの
竹内まりやは確か慶応大学文学部だったはずだが、結局大学の風土になじめず中退した。
ミュージシャンとしての活動が中心となって、いつの間にか学校に行かなくなってしまったとは、本人がラジオ番組で語ったことだが、本来希望する大学へ行けなかったことも影響があるかも知れない。

実は、小生の同級生にもAFSで留学した人物がいた。
NHKのオーディションに合格して、かってのスタジオ101メンバーにもなったし、NHKの英会話番組にレギュラー出演していたこともあった。
彼は、大学受験に失敗して結局希望の大学に行けず、道は逸れてしまった。
高校卒業から10年して、代々木の駅で何度か会ったことがあったが、いつも外人の英語講師と一緒だった。
その後どうしているか知らない。
今や、大学教授や医師といった肩書きが並ぶ、高校卒業名簿の職業欄はいつも空欄だ。
AFSがその人の人生設計を変えてしまう。
だから、高校の校長がAFS留学を反対するのは、教育者として一つの見解だろう。

どんなことでも、自らの経験だけを思い描いて、それを実行しようとするのは、かっての「ゆとり教育」推進者と同じだ。
少し古い感覚が、常に通用しないことに気がつかないというのは、役人出身の共通の欠陥だ。