書道家Syuunの忘れ物

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どうせヤミに消える10億円とその使い道

2007-11-16 15:00:43 | 世の中妙な??事ばかり
南足柄市に10億円を現金で寄付と言うのか、写真つきで載っていた。
1000万円の札束が100個、約100kgと言うから驚いたものだ。
これも、その内どこへ行ったのかと雲散霧消になると思うと、馬鹿馬鹿しい気持ちになる。

以前5億円の寄付と言うから15億円の寄付。
米国なら、自分の名前を付けた財団を作って、慈善事業に参入するも精査して厳しく金を使うだろう。

ところが、日本人というのは不思議なことに地方公共団体に寄付したりする人物がたまにいる。
小生などが考えるに、地方自治体などはそんなに信用できるのかというものだ。

確かに、戦前は事業に成功すれば、郷土のためと言って多額の寄付をすることも珍しくなかった。
そして、感謝状の一通をもらうも、その町の歴史にも残らなかったりする。

子孫から見れば、その時は多額の寄付でいい気になったかも知れないが、知っている役人(吏員)が辞めれば、全く「無」だ。
歴史にも残らないし、誰も忘れて気がつかないと言うこともある。
寄付は、そういう意味ではないとはいうものの、理想と現実とは違う。
成功者というものは、必ず自分の名前を残したいというのが理想なのである。
だから、米国にはカーネギー、とかフーバーとか人名の付いた色々な団体がある。
それは、民間の財団が作られて、厳しく管理し維持して行くからである。
国や、地方公共団体に寄付された途端、早い話、寄付はされたものの有効に使われず、その内に無駄遣いで雲散霧消‥‥にでもなったりしたら‥‥目も当てられないものだ。
そして、困ったときに、不思議と冷たい対応がなされると言うのもそういう自治体というものだ。
なぜなら、困ったときの部署と寄付した部署が違えば、雲泥の差だからだ。

たとえ自治体が「〇〇基金」と名前を残しても、知っている吏員が辞めれば、必ず別の名前になる。
役人に金を渡せばそんなものだ。

そして、どんなことになろうと、辞めてしまった吏員は「何も知りません」で押し通すのが通例だ。

昔聞いたことだが、ある資産家が何やら重要な美術品を持っていたことがあった話。
そこの地方都市で美術館を作るのでその収蔵品の一部にしたいとのことで、「寄付」を強要されたことがあったという。
それを担当していた吏員は、あちこちに口をかけて色々集めたと言うから、その資産家には執拗だったとか。
それでも、しらばっくれていたら、その吏員は定年退官。

当然、寄付した篤志家もタダで取られたようなもので、その後の連絡は何もなし。
酷いことに、美術館も財政難から建てられず、そして、タダで集めたらしい美術品もどこへ行ったのやら。
‥‥‥とかく、役所、自治体というものはそんなものだ。
戦後の日本というものは、随分酷いことになっている。