書名 「北朝鮮で考えたこと」
著者 テッサ・モーリス-スズキ (訳田代泰子) 出版社 集英社(集英社新書) 出版年 2012
「朝鮮紀行」といえば、イザベラ・バードが有名だが、それから15年後に朝鮮半島を旅したイギリスの女性E.G.ケンプが残した幻の紀行文を手にいれた著者が、そのルートをおよそ100年後にたどった紀行文である。引用されるケンプの文章やスケッチなどを見ていると、まずはこの紀行文をそのまま読んでみたいと思った。時代は日本が朝鮮を併合した直後である、平壌や元山などの街の様子やそこで生きている人たちの様子が生き生きと描かれている。それをたどる現在の著者が見たものは、なかなか普通の人ではみれない北朝鮮の現実である。朝鮮動乱のあと、ケンプが見たはずのさまざまな寺院や建物などはすべて破壊され、そして金体制の中で市民は沈黙を余儀なくされる。この100年という時間の重さが随所に現れる。
著者は板門店を北側から見ているのだが、自分も同じところにいて南の側から見ていた。ケソンの駅のことも思い出す。自分が行ったときはまだ金大中の太陽政策の名残がのこっていたときで、この駅が南北の人たちが使えることがまったくの夢物語ではなかったように思えた。しかしいまとなれば・・・
100年の時間は重い、そしてその重みはまだまだ南北にのしかかっている。
著者 テッサ・モーリス-スズキ (訳田代泰子) 出版社 集英社(集英社新書) 出版年 2012
「朝鮮紀行」といえば、イザベラ・バードが有名だが、それから15年後に朝鮮半島を旅したイギリスの女性E.G.ケンプが残した幻の紀行文を手にいれた著者が、そのルートをおよそ100年後にたどった紀行文である。引用されるケンプの文章やスケッチなどを見ていると、まずはこの紀行文をそのまま読んでみたいと思った。時代は日本が朝鮮を併合した直後である、平壌や元山などの街の様子やそこで生きている人たちの様子が生き生きと描かれている。それをたどる現在の著者が見たものは、なかなか普通の人ではみれない北朝鮮の現実である。朝鮮動乱のあと、ケンプが見たはずのさまざまな寺院や建物などはすべて破壊され、そして金体制の中で市民は沈黙を余儀なくされる。この100年という時間の重さが随所に現れる。
著者は板門店を北側から見ているのだが、自分も同じところにいて南の側から見ていた。ケソンの駅のことも思い出す。自分が行ったときはまだ金大中の太陽政策の名残がのこっていたときで、この駅が南北の人たちが使えることがまったくの夢物語ではなかったように思えた。しかしいまとなれば・・・
100年の時間は重い、そしてその重みはまだまだ南北にのしかかっている。