デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

2020年を振り返る

2020-12-31 21:18:27 | デラシネ日誌
歩き納めの今日は、いままで歩いていないコースを選び、さらに今年いちばん距離を歩くことになった。いつもよりも早く6時10分すぎに家を出る。家から夜明け前の風景を展望する。夜明け前っていいなあ。もしかしたら日の出よりもいいかもしれない。いま人類は夜明け前に立ち会っているのではないだろうか、なんて思ってしまう。日の出じゃなくて、夜明け前。
富士山もすっかり、雪を被るようになっていた。
昨日は満月だったらしい。夜見たよりは大きな満月を見る。
走っていたころ月に一回走っていたコース、能見台経由コースを歩く。ここを通るのは3年ぶりぐらいになるかもしれない。およそ8キロを歩いた。今年の最長不倒距離となった。
2020年コロナに尽きる年だった。8月孫が誕生、しかも娘が里帰り出産してくれたおかげで、最初の孫の時のように離ればなれではなかったので、正味2カ月ちかく孫との時間が過ごせたのはなによりだった。
長女が里帰りして、出産するというので、7月から緊急事態宣言が我が家で発令され、ほぼ外出することはなくなった。月二度の図書館通いだけが外出できるときだった。
孫はかわいかった。生きるというエネルギーを感じた。理由はない、とにかく生きなくてはというからだ全体から発するものを感じ取れた。
コロナのなか何ができるかということを考えていたつもりだが、結局何もできなかった。コロナ怖しと、腰もひけていた。
孫が生まれてから、ひとつの決意をした。コロナなんかに負けたくない。8月末から日本の道化師についての原稿を書き始めた。負けないことと原稿を書く行為がどう結びつくのか、よくわからなかったが、とにかく書き続けた。
11月はじめには書き終えた。5月の岡部さん、11月のヤマちゃんの死はつらかった。ふたりともクラウンをこよなく愛していた。道化師の本を書いていたこともあったが、クラウンとは何か、なんのためにいるのかということとずっと向き合うことになった一年だった。
コロナ、いつか終わるだろうということではダメなのだ。たぶん終わることはない。いまやれることを、これからできることを自分で切り拓いていかなくてはならい。終わったらなにかするというのではなく、この状態でなにができるのかということを真剣に考えていかないといけない。
いままでのような旅はしばらくはできない、これはしかたがない、ただ旅を続けることはできるはずだ。目的があればその旅を可能にする方法を考えること、それがこれから大切になるのではないか。
対面授業も、桑野塾も漂流民の会の総会もいままでのようにはしばらくはできないだろう。オンラインという方法を突き詰めることが大事だろう。飲み会もしばらくはできないだろう。これもあきらめるしかない。でもひとりだったり、親しい人とランチとか楽しむことはできるのではないか。
娘や孫たちともしばらくは会えないだろう。しかたがない、でも交流は可能だ。ラインとかで状況をこまめに連絡することで、ある程度は状況はわかる。それは仙台の両親たちにも言える。しばらくは会えないだろう。こまめに電話で状況をしるしかない。
ひとつだけ言えることは、終わってからなにかやろうというのではダメだということだ。いまの状態でなにができるかを考えていくこと、これが大事になるのではないか。
腹をくくって、いまの状態のなかでなにができるのか考えること、これが大事になっていくような気がする。
東京ではついに感染者が千人越え、しかもいきなり1300人以上。これからますます増えるのはまちがいない。これが現実なのだ。
2020年まもなく終わる。
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