書名 「山羊の歌」
著者 コンスタンチン・ヴァーギレフ 東海晃久訳 出版社 河出書房新社 出版年 2014
このところ「オベリウ」の本がよく翻訳されているような気がする。ロシアアヴァンギャルドの系譜はなかなか深い。
決して読みやすくもなく、また面白くもない本であったのだが、だからと言って読むのをやめようと思わなかった。なにか魅せるものがあったのだと思う。そのひとつは舞台が徹頭徹尾ペテルブルグであったことだ。通りや路地、公園の片隅やアパートの中、集会場など20年代のペテルブルグの街の様相が饒舌に語られている。そしてそうした街で生きるインテリたちが、おそらくやって来るだろう不遇な時代を予見しながら、彷徨い歩き続ける。それはまるで迷路の中を歩いているようでもあった。バフチンがこの作家を評価していたとのことだが、ポリフォニー的なものがぷんぷん感じられるし、饒舌に過剰に知がひとりで祭礼をしている、そしてそれは最後のあがきのような感じさえしてきた。
久しぶりに漢字が多い本を読んだ気がする。これは作者ヴァーギレフの文体となにか関係があるのだろうか。
著者 コンスタンチン・ヴァーギレフ 東海晃久訳 出版社 河出書房新社 出版年 2014
このところ「オベリウ」の本がよく翻訳されているような気がする。ロシアアヴァンギャルドの系譜はなかなか深い。
決して読みやすくもなく、また面白くもない本であったのだが、だからと言って読むのをやめようと思わなかった。なにか魅せるものがあったのだと思う。そのひとつは舞台が徹頭徹尾ペテルブルグであったことだ。通りや路地、公園の片隅やアパートの中、集会場など20年代のペテルブルグの街の様相が饒舌に語られている。そしてそうした街で生きるインテリたちが、おそらくやって来るだろう不遇な時代を予見しながら、彷徨い歩き続ける。それはまるで迷路の中を歩いているようでもあった。バフチンがこの作家を評価していたとのことだが、ポリフォニー的なものがぷんぷん感じられるし、饒舌に過剰に知がひとりで祭礼をしている、そしてそれは最後のあがきのような感じさえしてきた。
久しぶりに漢字が多い本を読んだ気がする。これは作者ヴァーギレフの文体となにか関係があるのだろうか。