デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

ドストエフスキイと愛に生きる

2014-03-11 18:10:20 | 観覧雑記帳
作品名「ドストエフスキイと愛に生きる」(原題 Die Frau mit den 5 Elefanten )
監督バディム・イェンドレイコ 脚本バディム・イェンドレイコ撮影ニール・ボルブリンカーステファン・クティ編集ギーゼラ・カストロナリ=イェンシュ
製作年2009年 スイス・ドイツ合作

魅惑的なタイトルに惹かれ、なんの予備知識もなく見た映画。なかなか見応えがあった。ひとつにはまずドストエフスキイを84になっても訳し続けるという主人公のスヴェトラーナの魅力がある。1923年にキエフで生まれ、終戦間際にドイツに亡命した女性の日常が淡々と描かれる。この女性ときたま目が強い意志をもつときがある。なかなか恐い目になる、それが印象的だった。翻訳についての彼女の考え方にはうーんとうなるところがたくさんあった。ロシア語には持つという動詞がないのよという言葉、テキストは織物と同じ、これもなかなか含蓄のある言葉であった。
もうひとつというか自分にはこっちの方の印象が強かったのだが、彼女が60年以上ぶりにキエフに帰るという後半のシーンのひとつひとつが強い印象として残った。現在のロシアとウクライナをめぐる情勢ということが自分にはひっかかっていたということもあるのかもしれないが、例えばドイツがキエフを占領したとき、市民たちはドイツ軍を歓迎したという回想シーンにはドキッとした。このあとドイツはウクライナのユダヤ人を虐殺していく。
こうした歴史の重みを伝える映像や写真をはさみながら、スヴェトラーナは孫娘と一緒にキエフを歩く。雪の中歩くのもつらいなか歩く。その歩みにはなんともいえない重みが感じられる。
わりと最初の方の場面で彼女が質問に答えるかたちで「ドストエスキイを訳すことは自分にとっては贖罪だ」と言っていたのがとても重く感じられた。監督はこのあとあまり突っ込まなかったので、これに対する答えがこのあとの彼女を追うなかであぶりだされるのかと思ったら、そうでもなかった。あそこでやはり突っ込んで聞いてもらいたかったという気もする。
彼女はたんに文学が好きで、ドストエフスキイが好きで翻訳をしているのではない、彼女が贖罪といった、なにか宿命のようなものがあったのではないだろうか。

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初通しリハ

2014-03-11 08:15:57 | お仕事日誌
今日は3月11日。テレビの馬鹿騒ぎは見たくなかったのでこの日は終日テレビをつけず。一年に一度こうしてふり返ることは大事だとは思う。ただとってつけたようなテレビの三周年の報道は見たくない。
用事があって仙台の実家に電話する。仙台も寒く、いま雪も降っているという。おやじがぽつりと「あの日と同じだ」。
昨日よりは寒さも和らいだ感じはするが相変わらず寒い。
11時から通しリハ。音も入れてのリハ。昨日は場当たりできっかけの確認だけだったので、初めてのようなもの。つなぎもほぼ問題ない。いくつかダメだしをだす。流れ的には問題ない出来、みんな初めてのメンバーばかりなのだが、よくここまでできたと思う。
ランチブレークを入れて、13時半にもう一度通し。リトルの担当の人にも見てもらう。いくつかダメだしをもらう。まだ寒いので、怪我でもされたらということで、今日はここまで。みんなで15時のバスに乗って帰る。バスの中でローマが上機嫌。彼もトゥイチーからリーダーを任されてプレッシャーがあったのかもしれない。今日の出来に手応えを感じたのかもしれない。
夕食のあと、また持ってきた「馬医」のDVDを見てしまう。中国から戻り、いよいよ王様の許しも得て、復活するという、一番きもちのいいところ。涙を流しながら恋人との再会シーンを見る。持ってきたDVDはあと一回分しかない。
そのあといまの懸案のひとつ澤田さんの対談の原稿書き。23時前に突然澤田さんから電話。いままで書いた分の原稿をお渡ししていたのだが、大幅に補筆したいということ。ある程度予想されたこと、出すからには澤田さん自身納得のいくものにしたい。
23時すぎに就寝。

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