デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

新・雨月-戊辰戦役朧夜話 

2010-08-14 22:48:24 | 買った本・読んだ本
書名 「新・雨月-戊辰戦役朧夜話」上・下
著者 船戸与一  出版社 徳間書店   出版年 2010

読んだあと、自分にも血がべとつくようについているのではと思えたくらい、夥しい血がこの小説の中で流されている。作者自ら流血譚と書いているように、官軍と反政府軍の間で流れた血の歴史をたどる。完結が待たれる「満洲国演義」と同じように、三人の主人公の目を通じ、複眼的にこの血の歴史を明らかにしていく。まさに壮大な血の絵巻である。
東北・仙台藩の生まれなのに、戊辰戦争についてはいままでまったくと言っていいほど興味がなかった。亡くなった吉村昭さんの晩年の傑作「彰義隊」「暁の旅人」を読んでから、負け戦に命を賭けた人々に興味を持つようになった。最近東北人であることを強く意識するようになっている。その大きな理由は、負けることに挑んだことではないかと思う。
長岡藩の河井継之助に心酔し、河井のために命を賭ける元博徒寅蔵、会津藩の参謀格で、戊辰戦争の推移を実際に見聞しながら戦地の情報を集める会津藩の奥垣右近、さらにはモモという娘を伴い、越後、東北で間諜を働く長州藩の春介という三人のつくりだす出来事をつなぎながら、ときにはそれを交差させるという手法は、「満洲国演義」と同じ。じっくりと舐めるように書きこむ。例えばこうした描写の中で、流血の場となる戦争の実態が克明に浮かびあがる。この戦争での武器は、飛び道具である銃や大砲であったことが、いまさらながらよくわかる。悲惨なのは主人公のひとり右近の妻、義父をはじめ、女、子供、家族の者たちが、自刃して死を選ぶことである。その死骸の山が、この流血譚の無残さを引き立てる。何故これだけの死体の山がつくられるまえに降服しなかったのか、降服しか策はなかったはずなのになどと真面目に思ってしまう。しかも生き残った藩士の重鎮たちは明治の世になっても生き延びていくのである。いったいあそこで流れた血はなんなのだろうと思ってしまうのだ。
時折この三人が雨の中で見る月の幻の描写が効果的であった。まさに雨の中の月、それは不吉なサインだけでなく、いま自分たちが歴史をつくっているというその場にいるという思いを削ぐものではなかったか。その意味でふたりの主人公のあっけない死もそれを物語っている。
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