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デラシネ日誌

私の本業の仕事ぶりと、日々感じたことをデイリーで紹介します。
毎日に近いかたちで更新をしていくつもりです。

蓑虫放浪

2024-07-28 14:27:14 | 買った本・読んだ本
書名  「蓑虫放浪」
著者  望月昭秀  写真 田附勝  出版社  国書刊行会  出版年 2020

なんとも人を食ったようなおじさんの放浪の足跡を追った本。このおじさん、まず顔が人を食ったような面をしている。絵を描きながら旅していたようで、これで飯を食っていたと思われるのだが、必ずここには蓑虫おじさんの顔がある。この顔がとにかく人を食っている。見るからに怪しいのだが、どこか憎めない愛嬌のようなものもある。この顔がなんとなくこの人の人生を物語っているように思えてならない。

笈が旅の友なのだが、これがいまで言えばテントというかむしろモンゴルのゲルに近い、これを背負って、寝るときに組み立てて寝る、こうした放浪のためのツールをつくっているのが偉い。おかしいのは晩年田舎に引っ込んだとき、竹で家をつくり、それをみんなで運ばせて、イベントにまでしていること。この竹の家すぐに壊れてしまったというのもおかしい。
津軽の亀ヶ岡遺跡の発掘をして、もしかしたらあの有名の斜光土偶を発見したかもしれない、絵を描いて飯を食うだけでなく、どうも庭師のようなこともしていて、あちこちに庭をつくっていた。とにかく面白い人生をおくった人である。そしてなにより旅を生活にしていたうらやましい人であることは間違いない。

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2024-07-27 09:01:26 | 買った本・読んだ本
書名『舟-北方領土で起きた日本人とロシア人の物語』
著者 マイケル・ヤング  翻訳 樫本真奈美  出版社 皓星社   出版年 2024

敗戦直後北方四島の志発島を舞台にした、ロシア人と日本人が確かに共生していたことを、淡々とした語り口で描いたロシア人が書いた小説である。
映画のコンテのように、短いシーンを次々転換させながら、今日ここを去らなくてはいけない日本人と、いろいろ事情を抱えてこの島にやってきたロシア人の物語を紡みながら、その交流を描いていく。映画にしたらとてもいいと思うのだが、読む小説となると、登場人物が少し多すぎたかなという気はした。それだけこの島で生きることになった、あるいはやって来たロシア人たちの秘められたドラマを折り重ねたい、そこに北方四島に生きるロシア人という視点も入れたいという作者の意図も感じることはできる。
小さな箱船に乗って岸を離れてしまい、霧と雨と強風の中漂流したロシア人の子供4名を、いまこの島から出るように命じられ、この機会を逃せばどうなるかわからないと状況の中、助けに出た日本人の漁師が、ロシア人たちと力を合わせて、救助するという実話をもとにした話をただ単なる美談としてだけでなく、島に生きる日本人とロシア人の思いを交錯させながら、ここで共に生きるしかなかった人たちの生が静かに語られている、これが一番心に響いた。
実話をもとにしていること、これはこの小説の重要なファクターである。その意味で小説だけでなく、訳者が元島民たちにインタビューしたその記事が巻末に収められている意義は大きい。特に実際にこの舟に乗っていたガリーナさんの話は、迫真あふれるものになっている。作者のマイケル・ヤング(ペンネーム)は、この舟に乗っていた少女の息子アンドレイからこの話を聞いて、この小説を書くことになった。それは亡くなったアンドレイが、母から言われ探し続けた、母たちを掬ってくれた日本人を見つけようと何度も北海道を訪れていたことを知るなか、その思いを伝えようとしたからに他ならない。息子へ伝えられ、その息子が亡くなった、その思いをこの作者が伝える、そして訳者との出会いがあり、島民たちの思い出が訳者によって伝えられる。語り伝えようという思いがこめられた一冊になった。ここまで伝えられた島民たちの思いを、さらに伝えていかなければならない、そう強く思う。
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韓国映画から見る、激動の韓国近現代史

2024-07-26 17:39:06 | 買った本・読んだ本
書名『韓国映画から見る、激動の韓国近現代史 歴史のダイナミズム、その光と影』   著者 崔盛旭  出版社 書肆侃侃房   出版年 2024

韓国映画狂の妻の影響もあるのだろうが、一年で見る映画の7割近くは韓国映画ではないかと思う。日本映画も年に数回は見るが、みんな軟弱というか、ひとりごとを聞かされるようなばかり、ハリウッド映画などはもうほとんど見ない、間違いなく世界の映画の潮流は韓国映画中心になっている。自分が好きなのは歴史をテーマにしたもの。韓国の近代史には映画のネタになるような話がゴロゴロしている。日本の占領時代からはじまって、独裁時代、民主化運動、そして現代の話でもいくらでもネタはある。そうした日本ではほとんどとりあげられない近現代の歴史をただ扱うのではなく、エンターテイメントとしてつくるところがなによりもすごいといつも感心させられる。本書はそうした歴史を扱った映画44本をとりあげている。韓国のこの歴史ものは、事実(ファクト)と虚構(フィクション)をまじあわせたものということで、「ファクション」と呼ばれているらしい。自分が見たのはこの中の25本だった。映画とその事実となっている歴史的な背景を重ね合わせてくれることによって、もう一度また振りかえることができた。25本のうちにで一番感動した作品といってもいい「共犯者たち」のその後のことがここで語られているのだが、それがかなり衝撃的で、自分には相当ショックだった。
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情報生産者になる

2024-06-07 16:29:59 | 買った本・読んだ本
書名「情報生産者になる」
著者  上野千鶴子   出版社 筑摩書房(ちくま新書)   出版年 2018

大学時代にこういうことを教えてもらいたかった、妻が読み終えたあとつくづく言っていたので、ぱらぱらとページをめくると、確かにそうだなと思いつつ、大学生の間では大変な支持を集めているというが、いまさら自分が読んでも仕方がないとは思った。それでも妻がいやいやそんなことはない、もっと前に行けると強く言うので、読むことにしたが、確かにいまさらながらではあるが、読んで良かったと思う。上野さんの分野は社会学ということで、それといま自分がやっていることとは例えばKJ法を発展させた上野方式が利用できるかというとそうではない。情報をつくる側にあると思っている自分にとっては学ぶことは多々あった。それもゼミでの経験がベースにあるので、具体的な指摘に満ちているのが、とても説得力をもってくる。自分は大学のころゼミの経験がない、これは自分のひとりよがりの学習法にとってかなり影響があるのではとも思ったが、いまさらしかたのないことである。それより最後の方で、出版を依頼するときの最低限の礼儀のようなことが出てくるが、これを読んで恥ずかしくなっ、穴があったら入りたくなった。いままでなんどか(何度もでもないとは思うが・・・)いきなり自分の書いたものを出版社に送りつけたことがある。上野さんが書いているようにこれは最低。もう遅いかも知れないが、出版社にお願いすることはこれからもあるかと思うので、ここで教えてもらったようにしよう。その意味では遅くはなかったか・・・
そんな小手先のことではなく、なによりこの書は、学習のテクニックを身につけることをよびかけたものではない。情報をつくる側になるための啓蒙の書なのである。知識を得るためではなく、いかにして知識を生産するかというメタ知識を得よう、これが一番のメッセージである。知識がスクラップになっても、メタ知識を得ることによって新たな知識をつくることができる、それこそいつでも生き抜いて行ける知恵となるというこのメッセージが、しっかりと伝わる書であった。

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2022年のモスクワで、反戦を訴える

2024-06-04 04:49:59 | 買った本・読んだ本
書名  2022年のモスクワで、反戦を訴える
著者  マリーナ・オフシャンニコワ   訳  武隈喜一・片岡静
出版社  講談社   出版年  2024

ウクライナ侵攻をし、その正当性を国民に徹底的に植えつけるため厳しいメディア統制のもと、プロパガンダを続けるロシアの中で、目に見えるかたちで反旗を翻した、あのNO WARk プラカードを放送中に掲げた女性ジャーナリストの手記。侵攻開始以来もやもやしていた気持ちが、この時はよくぞやったと久しぶりにスッキリしつつ、このあと無事でいられるのか気になっていたが、この後ロシアから脱出できたというニュースにほっとしたものである。手記を読むと、この脱出劇はかなりドラマティックで、危険に満ちたものだったことがわかった。なによりなことだと改めて思う。ただこの手記はあの行動のあとにどのような目にあったか、家族内での分断、脱出に至るまでのドラマチックな物語としてだけ見てはならないだろう。この手記から何を読み取るべきか、それはこの戦争の時代、メディアが恐ろしいほど影響力をもってしまっていることを、厳しく認識することだろう。ロシアのようにプロパガンダの武器としてメディアを徹底的に利用することを、よそ事のように思うほど、この国のメディアのありかたは立派なものではない。本書にも、日本のあるメディアが著者と一緒にロシアにある避難施設の取材を、上から入った電話で、「首がとぶ」と中止するという話が出ている。これが物語っているは、上からの圧力に対して、その前にそれを察して、手をひくことに慣れてしまっているということだ。抵抗は難しいだろう、しかし取材や報道を自らやめる、このことがすっかり身についていることが問題ではないか。プロパガンダに統制されていることも恐ろしいが、その前に自ら規制をかけてしまうこと、それはもっと恐ろしいことではないか。そしてこの国のメディアもすっかりそうしたことに毒されてしまったのではないか。ロシアだけのことではない、そう思わせた一冊であった。
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