キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

今日から出社

2017年01月04日 | Weblog
3日午後は弟一族が2時過ぎにやって来て、6時半まで酒を酌み交わしていた。
義妹の故郷富山の酒「銀嶺」純米大吟醸を一升瓶で持ってきたので、「三井の寿」純米吟醸、小田原メダカ米の「左岸」の後に開けて飲んだ。
「三井の寿」は弟も甘いといって好まなかった。
「左岸」は割と辛口で、奥行やうま味があり、美味かった。
「銀嶺」は富山の酒の特徴なのか、古香のような風味があり、店頭に長くあったのかと思い製造年月日をみてみたら暮れの12月の製造であった。
糠のような風味とも表現できるが、磨きが50%なので、やはり特徴と考えた方が良さそうであった。
飲むほどに気にならなくはなった。

煮〆、叉焼、タイの菓子と大豆のつまみ、栗きんとん、大福豆、酢だこ、蒲鉾などを出していたが、妻が牡蠣海老のフライを揚げて出したら一瞬で無くなり、ロースハムが一本あったのを厚手に切って揚げたら、それも平らげた。
今は家庭で揚げ物をしないから、揚げたてのフライは希少価値があるのだろう。
思えば、夏の天王山、小正月の吾妻山での人寄せでは、母が海老フライを揚げて出していたな、子供には、それとスパゲティミートソースであった。
どれも高カロリーで高橋家の肥満体質に貢献しているものばかりだ。

私は多少煮〆と大福豆を摘まんだ程度で、妻も息子も腹を空かしていたので、牛肉を焼いて食べた。
ここ一二年土曜日にはヤオマサで近所の漁港、大磯、平塚、小田原、二宮で揚がった魚を買って、週末に食べていたので、肉好きであった息子も、肉は飽きるなあと言い出した。
やっぱり魚の種類の多さは、味わいの多様さであり、朝どれの相模湾の魚が手に入る仕組みをヤオマサが作ってくれたのが有り難い。
これは地場スーパーの生き残りの戦略ではあるが、地産地消の取り組みに感謝したい。

さて、後一時間半もしたらベッドから抜け出し、鰻を蒸し器にセットして、風呂に入ってから朝飯だ。
2017年の初出勤だが、最後の初出勤になる。
大きな変化の年に何が起きるのがワクワクしているし、多少の不安もある。
叔父は、私も80過ぎて毎日忙しく働いてるのだから、あなたも働きなさいよと言って、2日に年始にやって来て風のように去っていった。
同じことの繰り返しになるが、4月からはお金を稼ぐために時間に追われて働くことはしない、62年間何をやって来たのかをキチンと振り返り、その上で社会に貢献できることをやって行きたい。

うっかり形態の充電をしてベッドの脇に放り出しておいたら、目覚ましのバイブが聞こえず寝過ごしてしまった。
慌てて風呂に入り髭をそって、歯を磨いてトイレに行き、家を飛び出した。
通勤客は少なく、何時もより一本後の電車であったが、順調に桜木町に着き、左程遅れずに出社できた。
途中、富士を観ようと城山公園手前で車窓から西を眺めたが、生憎霞が掛かっていてぼんやりと輪郭が観えたのみであった。
三が日に続きいい天気だったのに、残念であった。

昼、好天の中、よもやと思い井桁、駒を覗いたがやっておらず、途中生香園があいているのを確認し、かつ半まで歩いたが、ここも明日からであった。
伊勢佐木町を戻り、BOを覗いたが20%offで元旦からやっているせいで、めぼしい本が無かった。
それでも娘に頼まれていた、保坂和志「小説の自由」新潮社 2005年 1,700円があり、押井守「世界の半分を怒らせる」幻冬舎 2005年 1,500円を購入した。
帰りには平塚で途中下車して平塚BOも見てみよう。

伊勢佐木町をそのまま関内方面へ歩き、吉田橋を渡り、馬車道を通って生香園に戻り、初めて今の会社の前身の会社に紹介してもらうのに、県警の叔父貴を訪ねて昼を一緒にしたときに食べた五目焼きそばを、あと何回横浜で食べるのだろうかと思いながら食べた。
去年叔父貴を亡くし、10年前に叔父貴の部下で私を会社に連れて行ってくれたかたを亡くした。
二人とも横浜の匂いがしたなあ、いまその匂いを持っている人は居ない。


コメント
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