横浜そごう美術館にて「円空・木喰展」が行われています。
江戸時代前期に各地に留まりながら膨大な仏を掘った二人の僧、円空と木喰。円空のほうが少し早い時期に生きていますが、60代で亡くなった円空の20年後ぐらいに生まれた木喰は、時代の流れのせいか神や仏のデフォルメにも人に近い具象性の強さを感じます。
円空さんは、今で言えば、基礎を学び、それを体得した上での抽象的な表現と云う事が正しいのかは解りませんが、仏の全体像を与えられた木や木片を利用し、その材料に魂を入れこんでいく様な強さのある仏を次々と制作していきます。
国立東京博物館、通称「東博」での数年前の円空展では、比較的大きな仏が展示されましたが、今回の円空さんは、手の中に納められる大きさのものから人の背丈ぐらいのものまでを展示しています。
各地の寺や個人から拝借した多くの仏は、どれも愛らしく、そして円空の制作情動を強く感じます。
この展覧会のキュレーションにも好感を持ちました。
各地から拝借した仏達をそれぞれ出会わせ、設置した様は、なかなか面白く、時空を超えて一挙に揃った円空同窓会のような楽しさも感じます。
縄文あたりから重なってきた古層の響きが蓄積され、本質的な日本人の情報がそこに納まっているようにも感じました。
明治以降、無理やりに作られた仮想的な廃仏希釈において排他された仏様の叫びの様なものも聴こえ、「よくぞ御無事で。。。」という仏達の交わす言葉まで聞こえてくるのでした。
歴史を重ね、時を重ねて湧いてくる人の情動は消し去ることはできないのだ、と、観覧者の私までもが円空仏のように背を糺して展示会場を後にしたのでありました。
合掌
東大寺二月堂のお水取り、いよいよです。。。これもまた魂の連鎖です。松明の炎に見る先祖の魂を自分自身と重ね合わせる貴重な機会でもあるかもしれません。命の連鎖は頼もしいものであり、生きている者の希望でもある事を改めて意識する期間でもありそうです。
☆☆ ☆☆
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円空さんは、今で言えば、基礎を学び、それを体得した上での抽象的な表現と云う事が正しいのかは解りませんが、仏の全体像を与えられた木や木片を利用し、その材料に魂を入れこんでいく様な強さのある仏を次々と制作していきます。
国立東京博物館、通称「東博」での数年前の円空展では、比較的大きな仏が展示されましたが、今回の円空さんは、手の中に納められる大きさのものから人の背丈ぐらいのものまでを展示しています。
各地の寺や個人から拝借した多くの仏は、どれも愛らしく、そして円空の制作情動を強く感じます。
この展覧会のキュレーションにも好感を持ちました。
各地から拝借した仏達をそれぞれ出会わせ、設置した様は、なかなか面白く、時空を超えて一挙に揃った円空同窓会のような楽しさも感じます。
縄文あたりから重なってきた古層の響きが蓄積され、本質的な日本人の情報がそこに納まっているようにも感じました。
明治以降、無理やりに作られた仮想的な廃仏希釈において排他された仏様の叫びの様なものも聴こえ、「よくぞ御無事で。。。」という仏達の交わす言葉まで聞こえてくるのでした。
歴史を重ね、時を重ねて湧いてくる人の情動は消し去ることはできないのだ、と、観覧者の私までもが円空仏のように背を糺して展示会場を後にしたのでありました。
合掌
東大寺二月堂のお水取り、いよいよです。。。これもまた魂の連鎖です。松明の炎に見る先祖の魂を自分自身と重ね合わせる貴重な機会でもあるかもしれません。命の連鎖は頼もしいものであり、生きている者の希望でもある事を改めて意識する期間でもありそうです。
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