この連休は、私が関わる学校の文化祭があり、私が訪れた昨日の日曜日は、雨にも関わらず大盛況でした。保護者の皆様との触れ合いもでき、卒業生との再会も果たせたりと、私自身も大いに楽しませていただきました。
ありがとうございます。
さて、今日は「私」と「あなた」という関係における、「私」について、考えてみます。
特に女性の場合、自分と比べて何かの違いを感じた時、「〇〇さんのようにはなれないわ~」と、ふと口に出ることがあります。
「〇〇さんのようにはなれないわ~」
この言葉は、案外、言われた相手やその言葉を聞いた第三者にとっては刃になりかねないかな、と思います。
つまり、
単に賞賛しているのか?
それとも、自分と比べて、自分よりで秀いでていると感じた時に感じる嫉妬の裏返しの表現なのか?
もしくは、自分と比べて、自分よりも劣っていると感じた時に感じる侮蔑の表現なのか?
ついつい、人の発する言葉を聴くという仕事をしていると、その言葉の裏側にあるその人の感情に焦点を当てたくなります。
はてさて、
「他者と自分を比べる」ことを、どの程度まで口に出すか…、ということも、この学びの修業のひとつであるかもしれません。
「他者の話を聴く」、つまり「傾聴する立場」になった時、
という行為の状況下において、「既に自分以外の意外な世界に足を突っ込んでいる」ということを忘れてはならないことを意識化しておく必要がありそうです。
〇〇さんのようになれないことは、当たり前のことなのですから…。
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ありがとうございます。
さて、今日は「私」と「あなた」という関係における、「私」について、考えてみます。
特に女性の場合、自分と比べて何かの違いを感じた時、「〇〇さんのようにはなれないわ~」と、ふと口に出ることがあります。
「〇〇さんのようにはなれないわ~」
この言葉は、案外、言われた相手やその言葉を聞いた第三者にとっては刃になりかねないかな、と思います。
つまり、
単に賞賛しているのか?
それとも、自分と比べて、自分よりで秀いでていると感じた時に感じる嫉妬の裏返しの表現なのか?
もしくは、自分と比べて、自分よりも劣っていると感じた時に感じる侮蔑の表現なのか?
ついつい、人の発する言葉を聴くという仕事をしていると、その言葉の裏側にあるその人の感情に焦点を当てたくなります。
はてさて、
「他者と自分を比べる」ことを、どの程度まで口に出すか…、ということも、この学びの修業のひとつであるかもしれません。
「他者の話を聴く」、つまり「傾聴する立場」になった時、
という行為の状況下において、「既に自分以外の意外な世界に足を突っ込んでいる」ということを忘れてはならないことを意識化しておく必要がありそうです。
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