東日本大震災の翌年2012年に初めて訪れた平泉の義経堂から目に入ってきた風景とそこでかつて芭蕉が詠んだ句が、ピタリと私の感覚と繋がり、それ以来、芭蕉を意識するようになりました。奥の細道が自分の感性を投影するものだと思いこんでしまうと自分自身から湧いてくるものが狭まってしまいそうなので、あまり芭蕉の句に傾倒しないよう心がけていますが、今回の立石寺も「ほんと、句のまんま~」というような感想が真っ先に湧いてきた次第です。
「しずけさや岩にしみ入る蝉の声」
蝉の季節ではありませんが、新緑のほわほわした淡い色々が混じり合う山々に囲まれ、山寺と呼ばれるには相応しくないほど規模の大きな寺院であることを改めて知ることとなり、春の風景のわりには暑い日差しの中、ひたすら階段を上り、点在する寺を巡りました。
先日、比叡山の根本中堂を訪れた際、不断の灯を拝みました。その不断の灯が絶えなかったのは、信長が比叡山を襲った時に山々をつたいながらこの立石寺に運んだからだそうです。比叡山には東北の寺としか説明に書いておらず、立石寺の説明で初めて知ることとなりました。この一か月の間に不断の灯の起点と到達点に立つ事ができたことも「仏の導きか。。。」と、偶然の出来事ではないように思うのです。
天台宗らしい整然とした雰囲気の中、長い歴史の過程における奥州の伝達と継続の生真面目さを今回も感じつつ、伝えることの初心の大切さはこれからの時代、益々課題化されていくようにも思いました。
山の御堂から眺める下界の風景はまさにジオラマで、仙山線の駅と電車を愛おしく眺めていると、道路や線路は無きにしてもこの風景は芭蕉が見たものの同じであることにまたまた芭蕉の想いに傾倒している自分が居るのでした。
立石寺の山門の内側には、芭蕉と曽良の銅像が間隔を置いて設置されています。その間を取り持つように写真を撮らせていただき、奥の細道を堪能したのでありました。
☆☆ ☆☆
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「しずけさや岩にしみ入る蝉の声」
蝉の季節ではありませんが、新緑のほわほわした淡い色々が混じり合う山々に囲まれ、山寺と呼ばれるには相応しくないほど規模の大きな寺院であることを改めて知ることとなり、春の風景のわりには暑い日差しの中、ひたすら階段を上り、点在する寺を巡りました。
先日、比叡山の根本中堂を訪れた際、不断の灯を拝みました。その不断の灯が絶えなかったのは、信長が比叡山を襲った時に山々をつたいながらこの立石寺に運んだからだそうです。比叡山には東北の寺としか説明に書いておらず、立石寺の説明で初めて知ることとなりました。この一か月の間に不断の灯の起点と到達点に立つ事ができたことも「仏の導きか。。。」と、偶然の出来事ではないように思うのです。
天台宗らしい整然とした雰囲気の中、長い歴史の過程における奥州の伝達と継続の生真面目さを今回も感じつつ、伝えることの初心の大切さはこれからの時代、益々課題化されていくようにも思いました。
山の御堂から眺める下界の風景はまさにジオラマで、仙山線の駅と電車を愛おしく眺めていると、道路や線路は無きにしてもこの風景は芭蕉が見たものの同じであることにまたまた芭蕉の想いに傾倒している自分が居るのでした。
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