五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

境目はいつの世ももファジー

2011年10月13日 | 悔いのない人生とは?
源氏物語の光源氏が亡くなる章は「雲隠れ」ですが、その章は、空白です。タイトルしかありません。この世とあの世の境目を考えるとき、この「雲隠れ」が思い浮かびます。

奈良時代、中国に習い律令国家を目指します。杓子定規で測ることは簡単でしょうが、働いて税を納める義務を果たすことのできない人々は、隔離されていきます。

奈良豆比古神社が建てられた奈良坂は、平城京の外れであり、他の都市を結ぶ道の分岐点に位置しています。
奈良坂には多くの芸能者が育ち、集まり、そこから日本全国へと散らばっていき、取りまとめの組織も生まれたようです。

神社に祀られた志貴皇子は、万葉歌人であり、多くの歌を残していますが、政治を司ることには興味がなかったようです。その息子も芸能を愛します。奈良時代の血なまぐさい戦乱から一歩距離を置き、芸術に親しんだことで生き延び、桓武天皇を生むこととなります。
奈良坂の歴史を知るにつれ、境界線の存在は、日本人のアイデンティティを育んできたと言っても言い過ぎではないように思います。

光源氏の「雲隠れ」すなわち「曖昧」の中に、自分の心を糺し、真理を心の奥底に鎮座させる力が備わっているようにも思います。
奈良坂で見た境界線の曖昧さには、西洋で生まれた心理学の用語には該当しない日本人としての私の統御感の素地が隠れているようです。まだ、言葉は見つかりませんが、自分の腑に落ちる相応しい言葉を探しながら、言語化していくのが私の修業のようです。

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