[ルーブルで彫刻と遊ぶシリーズ]
試験期間からもそろそろ解放され、あとは春休みを待つだけですね。
花粉症の方は、いよいよ本格的に憂鬱な季節となってきました。
巡る季節を生きている年数分経験しているわけですが、不思議なことに新たな季節がやってくる毎に新鮮な思いが湧いてきます。
桜の花ひとつを取ってみても、節目の内容やその時の心情によって「自分に見えてくる桜」は違います。
東大寺本坊の襖絵を描いた小泉淳作さんは、「桜は誰もが描きたがるモチーフあり、誰もが喜ぶモチーフでもあるから、敢えて描こうとは思わなかった」とおっしゃっています。そして今回襖絵に吉野の桜を描いたのは、きっと己の中に何かを感じ取られたからなのでしょう。
一枚、一枚の花弁に魂を込め描いている様子に、この世の子供になったようなあどけなさと純粋さを感じずにはいられませんでした。
桜の花弁は、全体を眺めると淡いピンクに見えるのですが、花弁一枚をよく見てみると、限りなく白に近いのです。
限りない白の集まりが、ほのかに色を奏で出すと、寒々とした風景が一気に喜び溢れだしていきます。
今日は二十四節季の「啓蟄」
虫も土から這い出してくる頃です。
東大寺・二月堂の修二会(お水取り)は中盤となってきました。
お水取りが終わると春がやってきます。
命は、自分の意思を超え巡る季節と共に生かされているようです。だからこそ、季節の変化に五感を澄ましていたいものです。
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