日吉大社の葵
歴史を辿るワクワク感 2017年9月21日
空を見つめて妄想することが好きな子供時代から、時を経てもその傾向は変わらないようです。
自分の意思で一人で電車に乗るようになったのは、小学二年生の時。転勤のため色々な乗り物で移動することも多かったせいか、一人で移動することは苦になるどころか、大好きな行為でした。それが今に至る事、半世紀(笑)。。。
昨日は、久しぶりに映画館で映画関が原を観ました。
司馬遼太郎の関が原を3分の1だけ読んでの映画でしたが、読んでおいたほうが、演出とセリフの理解が深まると思います。小説の架空の人物をさらに脚色した映画でした。
この映画の見どころは、何といっても生ロケ地です。
関が原は岐阜ですが、物語の中枢は京都と滋賀です。少し奈良も関わりますが、ロケ地として映画に登場した神社仏閣や風景がほとんど本物であることに驚きました。
特に滋賀は観光に繋がることに期待しているようです。
三成と秀吉の出会う場所は、彦根の五百羅漢の天寧寺。五百羅漢を背景にした撮影は圧巻でした。もちろん佐和山城の袂にある島左近の邸宅跡、龍澤寺、清凉寺も撮影場所。
湖東三山の百済寺と金剛輪寺も登場し、金剛輪寺は、徳川家康の陣として、内も使用していたように見受けられました。
京都は、東福寺の紅葉を見渡す廊下も登場し、名庭も惜しげなく使い、島左近が奈良に住む妻花野の父を訪ねる場面は東本願寺の渉成園であったようにも見受けられ、滋賀の日吉大社の禊の川で水を飲む三成も印象的でした。
今回伊賀の隠密として登場する初芽は、司馬遼太郎の小説とは違う設定ですが、彼女が潜む場所が、たぶん湖北の菅浦付近では?と、思いつつ、ワクワク感が止まらないまま映画が終わってしまいました。
戦国武将の天下分け目の合戦よりもはるか前、大海人皇子と大友皇子が戦う壬申の乱も関が原から始まります。大友皇子が果てたのは私の記憶では確か愛知川付近。映画ではその愛知川を京都の三条河原に見立てて、撮影が行われたようです。奈良の清滝から伊賀、桑名を経て関が原に向かった大海人皇子と後の持統天皇になる鵜野讃良(うののさらら)。うののさららは桑名で戦いが終わるまで滞留したはずですが、時空を超えた二つの天下分け目の戦いが、私の中にいつも重なり比較考察の対象になるのは、歴史好きな人であればありがちなことなんだ、と、改めて気づき、司馬遼太郎の小説の整理力のお陰で私の頭の中も随分整理されてきたことに感謝しました。
三成がどのように描かれるかも興味の一つでしたが、それよりもロケ地が勝っちゃったことに、自分でも自分の事が可笑しくて昨日からにやけております。
とりあえず、司馬遼太郎の関が原を今月中に読破せねば。。。
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