五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

子供が口を噤む

2012年05月03日 | 第2章 五感と体感
親子関係において、子供が言う事へのコメントが手厳しかったり、いちいち否定したり、社会の批判を事あるごとに子供にぶつけたりしていると、段々子供は親に話をしなくなるようです。

私自身がそうでした。
平素、親が子供に発する言葉は、できれば、自己肯定他者肯定でありたいものです。

親が毎日不平不満だらけの言葉の連鎖で生活していると、何かが起こった時に、子供は親の言葉に耳を貸そうとしません。「どうせ…」という気持ちが先立ち、愛されていない自分だと自分自身を卑下していくのです。

自分を批判されるだけでなく、社会の事まで批判されると、聞いている子供はたまったものではありません。

言う前に口を噤んでしまうと、言いたい事が上手く言えなくなり、そのうち黙っているほうが楽になります。
黙ることで楽が続けば良いのでしょうが、そんなことはありません。他者に自分のことを聞いてほしくても、そのまま受容されないことへの不安感が高まり、ますます口を噤んでいきます。

私自身、親に対しては大人になっても自分の気持ちを素直に伝える事が未だに苦痛を感じます。或る程度言いたい事が言えるようになったのは最近です。よくよく考えてみると、言いたい事が言えるようになるまで、両親が生きていてくれていることは、有難いことなのです。

親子とはそういうものだ…、と諦める前に、なぜ我が子が自分に対して口を噤むのか、親である自分の対応や平素言葉の傾向を振り返ってみることも、何らかの気付きをもたらすかもしれません。

なんでもかんでも親に話す子供よりも、口を噤む戦術で親からのストレスを交わす子供のほうが、生き延びる力を蓄えているかもしれませんが、それは、人それぞれの解釈次第です。

思春期の子供達との関係性において、自己肯定、他者肯定で居られる大人の存在は、子供にとって自分を見ていく鏡の役割となっていくようです。

連休が終わり、中学高校と、新しい環境に慣れてくる反面、疲れも出てきます。
「最近のお母さん、やたらと優しい、、、文句ばっかりじゃなくて、ちゃんとうんうんといって自分のことを聞いてくれる…」と、子供が思うくらいの気持ちがあって欲しいものです。
気を許して何かを言いだした子供の梯子を外さないことは、もっと大事なことだということを忘れずにお願いいたします。

そのためには、「自分自身の湧き出す感情の傾向」と「自分自身が口に出す言葉の傾向」を静かに見定めてみる余裕を持つことのほうが先にやらなくてはならない作業かもしれません。

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