五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

天国が益々賑やかに

2013年09月30日 | 第2章 五感と体感
秋分が過ぎると、秋が一気に深まります。
あれだけ暑かったこの夏の記憶も段々と遠くなりつつあります。

夏疲れの身体を癒し整え、そろそろ冬支度の身体づくりをする時期になってきたようです。
ここ一週間ほどはペースを落としながら仕事をし、早めに眠ることを心がけたお陰で、身体は休まった状態となったように思います。

あれこれと暴走しがちな性格も、さすがに休むことを心掛けるお年頃でもあります。

先週はバリバリと仕事をしていた友人が急逝し、仕事の都合で葬儀に参列出来なかったこともあり、何となく煮え切らない気持でいましたが、昨晩告別式に参列した友人から報告のメールが届いたことでちょっと緊張から解れた体感となっています。

自分は何を遺して永遠の旅立ちをするのか。。。と云う問いに、旧約聖書の詩篇に書いてあるように「ここに花がさいていたことなんて誰も知らないし、そこにはただ風が吹くだけ」私はそれでいいのだ~♪と割り切っている割には、身近な同年代の人の死に触れると、ふと「自分は何を遺して旅立つのか」という思いが自然と湧いてきてしまいます。

人が自然に湧き出す感情や思考というのは、「~あるべきだ」「~でありたい」という平素の理想の領域とはかけ離れたものになることは、これまた自然の成り行きかもしれません。
ふと湧き出す自分の感情に戸惑ったりすると、「いやいや、自分はそんなんじゃない」と、首を振ったりしながら生きていることが人の営みであるかもしれないとも思ったりしています。

湧き出す感情には必ず意味があります。

それは自分自身の中にある意味であり、他者から指摘されるものが自分の納得できる意味ではありません。

どんなに親や友人から「うんうん、わかるよ」と云われても、湧き出す感情を処理していくのは自分自身のお仕事なのです。

「自分は何を遺したいのだろう?」という問い掛けに「多少の現金ぐらいは遺さなくては、、、」と云う事の方が現実的です。同時に魂だけは関わる人と溶けあっていたいという壮大な理想があることも私の現実的理想です。

「亡くなった人と共に生きる」ことは、その人の魂と共に生きる事とも云えそうです。

年に二回、必ず食事会をしていた友人の集まりは、一人メンバーが欠けてしまいましたが彼女の魂と共に集うことに深い意味が作られていくように思います。
日本のマーチングバンドの育成に力を注いだ彼女の情熱が告別式をあかるくしたそうです。彼女らしいです。
天国に逝くにはちょっと早すぎましたが、きっとあちらでも育成に力を注いで後から来る私達を盛大に迎えてくれることでしょう。笙やひちりき、謡いや聖歌やお経で天女や神様仏様キリスト様マリア様にお迎えして頂こうと思っていましたが、天国は益々賑やかそうです。

合掌そしてアーメン

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