五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

吾輩は猫である完読

2016年01月05日 | 第2章 五感と体感
吾輩は猫である完読2016年1月5日

昨年の夏から読み始め、三が日にラストスパートをかけ、足踏みしていた最後の30頁を一気に読み、やっと完読しました。
最初の一ページで読むのを止めた高校生の頃とは違い、頁を行きつ戻りつ熟読したつもりではありますが、まだまだ読み方は浅いようです。
夏目漱石自身のメメントモリの言語化が成され、それが最終章に描かれており、「一竿風月閑生計 人釣白蘋紅蓼間:いっかんふうげつかんけいせい ひとはつりすはくひんこうようのかん」と漢詩に表現しました。
訳:「一本の釣竿を友とし風流な生活を送っている。 浮草の白い花が咲き、くれないのたでの花の咲く水辺で。」
そして、最後の数行は、
「天地を粉韲(ふんせい)して不可思議の太平に入る」と、心の域を語り、
小説の最後は、「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。」で締めくくられています。

私事の表装の仕立ての際、本紙の漢詩が読めないのでスマホで漢詩をそのまま入れると大抵のものは訳がでてくることで甘んじ、自分の学びの足りなさを思い知っているところに、漱石の幾たびか登場する漢詩に、その面白さを改めて知ることとなりました。

人生諸々の経験をした段階において、亡くなるまでの最後の10年間で小説を書いた漱石の死生観は、最初の小説である「吾輩は猫である」に託されているようにも思い、やはり、このデビュー作を熟読せずして次の小説は読めないな、と、いう思いに至っています。

藤村の羊羹は、店が無いので頂くことができませんが、次の空也餅の時期になりましたら改めて頂きたいものです。

描写力と世相の皮肉、常に韻を踏もうとしている意識と、謡曲や落語、漢詩を語ることで、明治時代の空気感がリアルに再現され、日本の小説の頂点であることは間違いないようです。
人に与えられた言葉に、知恵と見識を織り合わせる事で、こんなに面白いものになるものなのか、ということを今さらですが教えられた小説でした。時々頁を捲り、「ふふっ」と静かに笑うことにもなりそうです。
漱石さん、ありがたいありがたい。


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