Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

ようやく振り返る WBC あぁ日米決戦 日本 9-4 アメリカ

2009-04-12 | World Baseball Classic

3月21日。Doger Stadium で行われた準決勝戦。韓国がベネズエラの “お株を奪う” 秋信守、金泰均の本塁打を含む長打攻勢で2回を終わって 7-0 と大量リード。
3月14日 Round 2 Game 1 オランダ戦で7回1失点と好投した Mariners の Carlos Silva は先頭打者の李容圭を歩かせ次打者鄭根宇 は打ち取ったからに見えたが右翼手の Bob Kelly Abreu が落球。以降大量失点を招いてしまった。 
エラーをした Abreu は昨シーズンまで New York Yankees に所属し、今シーズンから Angels に移籍するが今大会のメンバー28人中22人が MLB 選手。大会前は優勝候補だったけど韓国の前に決勝進出は阻まれた。 
金寅植監督としては不振だった秋信守に一発が出た事を喜んでいたことだろう。 これでもう一度韓国と対戦する可能性が決まった。勿論日本が準決勝戦の日米対決を制すればの話だが。

小学校の時 “読書週間” が毎年あり学校の図書館にある本を読んで読書感想文を書くことが義務付けられた。 私を含めて男の子達はとにかく“偉人伝”の棚にある“ベーブ・ルース” が “ルー・ゲーリック” の伝記を争って借りようとした。退屈な本を“読まされないように。” 
残念ながら私はそれらの伝記の感想文を書くことが出来なかったが、期間外には読むことが出来た。本の解説の部分に当時来日した大リーグ選抜チームのメンバーが紹介されていた。そしていつの日かこういった日米対決が見られないかなぁ…と想像をした。

1971年、愛するジャイアンツが7連覇を達成したシーズンオフ。ボルティモアオリオールズの来日と主力選手が紹介された。 

“さぁ日米決戦だ。王や長島がホームランやヒットを打ってくれるぞ。堀内、高橋一三がアメリカのバッターを抑えてくれる。” 

そういうシーンを想像しわくわくした。しかし蓋を開ければ後楽園球場での開幕戦でジャイアンツは 4-8 で敗れ、以降も当時の主力選手、Bロビンソン、F. ロビンソンそしてパウエルらが日本の投手陣をガンガン打ち込み。堀内、高橋ばかりか日本選抜チームの先発として登板した江夏も打たれた。 ある試合で一度堀内が好投したのを覚えている…
投手陣ではジム=パーマー、マイク=クウェイヤーら20勝投手を4人擁したらしく、そのローテーションの前に日本打者の打球の飛距離、勢いがアメリカの選手とまったく違った。そんな中、ミスタージャイアンツ、長島が攻守にハッスルしていたのを覚えている。 アールウィーバー監督時代の全盛期にあったオリオールズは18試合中、12勝2敗4分と強さを見せつけて帰国した。 その来日メンバーに後にジャイアンツに入団したデーヴ=ジョンソンがいたらしいが覚えていなかった。 

あぁやはり日米決戦なんて….

とひどくがっかりした。

その3年後、今度は New York Mets が来日した。 Orioles の強さを覚えていたので “またぼろ負けだろうなぁ。”と思っていた。 
しかしこのシリーズ、私の神様、王貞治が絶好調。初戦は逆転満塁本塁打をかっ飛ばしたのを覚えている。 さらに以降の試合ではチャンスで王様が打席に立つと捕手が立ち上がり1塁に敬遠をする。それが1度や2度では無かった。
時差等のコンディション不良もあったのだろうが開幕当初は日本側の連戦連勝。結局、終盤は Mets が底力を見せ勝ち越しを決めたが、3年前の Orioles 戦とは比較にならない健闘を見せてくれた。
そしてこの日米野球のもう一つの楽しみはこのシーズンオフに引退を表明したばかりの長島茂雄の最後の現役雄姿だったけど、代打出場が多く“スタメンでガンガン使ってくれればいいのに….” と思った。 でもそれは無理なお願いだったのかなぁ….

以降1978年には Cincinnati Reds, 1981年には Kansas City Royals が来日。その間 1979年に American League と National League の選抜軍が来日し何試合か行い、“連合チーム”が日本選抜チームと2試合行った。1勝1敗だった。1敗後の第2戦では当時阪急ブレーブスの内野手だった島谷が 0-2 とリードされた終盤代打逆転3ランを放ち“歴史的な勝利”を挙げた。 
しかしもう高校生になっていた自分は昔ほど“嬉しい!!” とは思わなかった。 
その後何度かメジャーリーグ選抜チームが来日しているが、日本選抜チームとほぼ互角の試合が続いた。ただ彼らもプライドを見せる年もあり 1986 ( 6勝1敗 ) 1992 ( 6勝1敗1分), 1998 年 (6勝2敗)は日本選抜を圧倒した。おそらく何人かの日本選手側も “シーズンオフに真剣勝負なんて…” と思っていただろう。

2006年にスタートした World base Ball Classic 、ついに野球の World Cup が始まった….と期待した。確かに日本、韓国そしてキューバを含む中南米諸国は大いにハッスルするが肝心のアメリカ側はどうもこの大会を“シーズン前の招待試合。”程度しか考えていないみたいだ。 
それは大会ルールの設定に見られる。 まず日本側が主張した球数制限撤廃案に対しては第1ラウンドは70球、第2ラウンドは85球、準決、決勝は100球と前大会よる5球ずつ増やされだけに留まり、WBC公認球に就いては北京五輪でも使用された “ミズノ150”と呼ばれる IBAF (国際野球連盟)公認球でなくコスタリカ製のMLB公式球が今大会も採用されたがそれは”参加選手の半数以上が MLB の選手であるから。“と言う 滅茶苦茶な理由から。 
そしてもっと不可解なのが主審。 第2ラウンド、即ち舞台がアメリカ大陸に移されて以降球審は全てアメリカ人。理由は”半数以上がメジャーリーガーでメジャーのストライクゾーンに慣れているから。“との事。とても国際大会とは思われない理由からのルール設定だ。 
その背景には大会を運営がメジャーリーグとメジャーリーグ選手会が50% ずつ出資して設立された WBCI によるもので出場チームの交通費、滞在費そして賞金を提供しているからだ。しかしこの大会は30%以上を賄う読売グループを筆頭とするジャパンマネーのスポンサー無くして開催できないと言う事実、大会開催、運営を見ても日本がここでも国際社会でおなじみの “ ATM 役 “ を押しつけられていると言う事実を忘れてはならない。

前回、ボブ・デービットソンによって負けさせられたそのリベンジを果たすべく準決勝戦。日本の先発松坂がプレーボール後の初球を振りかぶる。先頭打者、Baltimore Orioles の Brian Robert は全く打つそぶりをなく見送り、2球目、真ん中に入ったストレートを一閃すると打球はセンター後方に向かって延び福留の頭の上を越えてスタンドに入ってしまった。

  

前大会はイチローの本塁打で始まった日米対決。今度はアメリカ側の先頭打者本塁打で幕が開けた。松坂は前大会の決勝戦のキューバ戦でも初回先頭打者本塁打を浴びた。 昨シーズンの B. Robert は155試合に出場し .296 ,9本塁打 57打点。40盗塁で長距離打者のイメージは低かった。しかし昨シーズンは松坂に対して .500 以上の戦績を残したらしい。 松坂の昨シーズン18勝を挙げた松坂は 167.2 回を投げて 2.90 被本塁打は12本だった。

先頭打者本塁打に私はアメリカ野球のすごさを見せつけられるのでは….と思った。続く注目の対決 Yankees のJeter は内野ゴロに討ち取り、後続を抑えたがストレート思う様に走らず変化球のコントロールにやや苦しんでいる様に見えた。 それでも今シーズンから Washington Nationals に移籍し昨シーズンCincinnati Reds で32本塁打を放った Adam Dun を見逃し三振に打ち取った変化球は見事であった。

アメリカの先発は MLB 通算 129勝 Astros の Oswald Roy 。昨シーズンは 208.2 回を投げて 17勝 10敗 防御率3.54 。 シドニー五輪では金メダルを勝ち取ったアメリカチームのメンバーだった。 Oswald はイチロー、中島、青木の3者を凡退させる上々の立ち上がり。昨シーズンは奪三振 165 与四死球 47 まだ3月なので剛速球を投げるというよりもテンポ良く投げ込んでいた。

    


一方松坂は2回に入ってもボールは先行する。 McCan ( Atlanta Braves ) を歩かせDeRosa ( Chicago Cubs →Cleveland Indians ) には 0-3 まで追い込まれレフトへあわやという大飛球を打たれた。何とか無失点に切り抜けたが最初の2回で35球を要した。
初回は3者凡退に倒れた日本打線だが2回に同点に追い付く。先頭打者の稲葉が選んで出塁した後小笠原が 2-3 から低めのストレートをレフトへ流し打ちそしてヒットエンドランが成功し無死1,3塁のチャンスに福留が倒れた次の城島がライトに犠牲フライを打ち上げ稲葉が同点のホームを踏んだ。 昨シーズン与四死球47とコントロールには定評のあった Oswald だったがこの回はボールストライクがはっきりしておりストレートでしかストライクを取れないので3ボールからのストレートを日本打線に狙い打たれた。

   
  
だが松坂は3回も調子が上がらない。 Robert, Jeter を討ち取った2死から2007年シーズンMVPのRollins ( Philadelphia Phillies ) に 2-2 からファールで2球粘られた後の7球目、甘く入ったカットボールを左中間に打ち返された。そして次打者4番 David Wright ( New York Mets ) の初球に盗塁成功。昨シーズン47盗塁の健脚を見せる。 そして Wright は 2-3 からの8球目の外角スライダーをライトフェンス直撃の2塁打を放ち、 Rolling が追加点のホームを踏む。その前のきわどい球をボールと判定されたのが痛かった。 Wight は昨シーズン160試合に出場し .302 33本塁打 124打点。 Mets の大スター。1塁が空いたので歩かせる手もあったが続く Adam も昨シーズンは32本塁打なのでそうそう歩かせられなかったのだろう。そして Adam は敬遠気味に歩かせ、続く Braun Ryan ( Milwaukee Brewers ) との勝負となった。151試合出場 37本塁打106打点 .333 のBraun に対して松坂は 1-3 まで追い込まれたが最後は外角ストレートで空振り三振に打ち取り失点を1に抑えた。2死無走者からの失点はやはり痛かったか….がこの回だけで松坂は30球を投げた。

         

    

しかしこの日の日本打線は好調だった。4回裏稲葉、小笠原の連打で掴んだチャンス、福留が 1-1 から引っ張った内野ゴロを Roberts がはじき稲葉が同点のホームを踏むと続く城島がこの日2つ目の犠牲フライをライトに打ち上げ試合をひっくり返した。城島は 0-3 から次の球を思い切り振りファールとなったがその積極的なバッティングが犠打を呼んだ。この日の Doger Stadium はライト方向の打球が良く伸びた。それを狙った外角低めの球をうまく運んだ外野フライだった。尚も続く岩村が初球を引っ張りライト方向に打ち返した打球は Adam の頭上を襲う3塁打。小笠原が追加点のホームを踏み、続く川崎は緩いカーブをひきつけライトに打ち返し岩村を還して あっという間にスコアーを 6-2 とした。  

   
この回のOswald はストレートのスピードが鈍り、変化球ではストライクにならずのピッチング内容。更に青木が 0-3 から右中間にはじき返す2塁打を放ち更に1点を加えるなど日本打線が 0-3 からもバットを出す積極的なバッティングにアメリカバッテリーもかなり戸惑い模様。 日本に6点目が入ったところで先発 Oswald はマウンドを降り2番手に Pittsburg Pirates の Jhon Grabow がマウンドに上がった。

     

時折アメリカの Johnson 監督が映し出される。 
現役時代は読売ジャイアンツで2シーズンプレーをした。マスコミは彼の事を
“ポスト長嶋の期待に応えられなかったジョン損”と表現するが、これは完全には正しくない。 
1975年長嶋ジャイアンツの1年目にデーヴ=ジョンソンは入団するのだが、それはシーズンの途中から。元々2塁手でシーズン43本と言う2塁手としては年間最多本塁打の MLB 記録を持っていた。しかし彼が起用されたポジションは三塁手。ここは前年から“ポスト長嶋”として期待されていた富田のポジションだったが、このシーズンの富田はさっぱり打てず打率は1割台で代わりにジョンソンが “あてがわれた。” 慣れない守備にジョンソンのバットも快音はなかなか聞かれず、連続三振の記録を樹立したり、打率が1割以下に落ち込んだ時に、ジョンソンに替って送られた代打の大北が逆転本塁打を放つなどマイナスイメージばかりが目立つシーズンであった。
ジャイアンツも最下位に沈みまさに“ジョン損”な1年であった。

しかし翌シーズン張本、が富田、高橋一三らとトレードでジャイアンツに入団。高田が左翼から三塁にコンバートされ、ジョンソンは“得意な”2塁手に戻った。2年目のジョンソンは打撃も好調でしばしばファインプレーを見せ攻守にわたってチームに貢献。長嶋ジャイアンツはシーズン最後の広島戦で優勝を決めたがその試合でもジョンソンはホームランを放った。1年目は 91試合に出場し .197 13本塁打 38打点 71三振だったのが2年目は 108試合 .275 26本塁打 74打点 62三振であった。 
オロナミンCのCFにも起用され“ボク、ジョンソン…” と言う台詞は当時のジャイアンツファンには微笑ましく響いた。
しかし阪急との日本シリーズではジョンソンは全く活躍出来なかった。初戦、第二戦と連敗のジャイアンツの中でジョンソンも2試合連続で4打数0安打2三振。ついに第三戦はスタメンを外れジャイアンツも3連敗。第4戦にジョンソンはスタメンに復帰するものの4打席1死球2三振無安打。チームは勝ったが以降ジョンソンのスタメンは無くシリーズ13打数6三振無安打に終わり、シリーズ終了後再びジャイアンツのユニフォームを着る事は無かった。原因は起用法と複数契約を希望するジョンソン側との折り合いがつかなかった事と記憶している。 
確かに日本シリーズの起用法は少し不運でもあった。このシリーズは2番サード高田も不振で第5戦までで15打数2安打。1番柴田が好調で3番張本、4番王につなげる為に他の2番打者が必要となった。 高田に替る三塁手はおらず適任な2番打者として土井正三が浮上してきた、事実ジョンソンに替ってスタメン起用された第三戦で試合には敗れたが土井は1安打1打点。 そして第5戦以降は11打数3安打。ジョンソンに替って結果を残した。

帰国後はNew York Mets を World Series 優勝に導くなど指導者としても成功を収め、MLB選抜チームの監督として“凱旋来日”を果たした。 その時の日本マスコミの手のひらを返したような対応は滑稽であった。その後北京五輪代表監督として星野ジャパンを破り銅メダルを勝ち取ったがこの WBC は少し気の毒であった。

   

日本が2月、韓国が1月に始動したのに対し、アメリカチームは3月になってようやく選手達が“練習”を始めた。それは所属先のチームからの“強い要望”だったらしい。また選手選考も各球団から横やりが入る等昨シーズン39セーブの San Francisco Giants のリリーフエース Joe Nathan, 30セーブのAngels の Brian Fuentes らが相次いではいり辞退。 
大会に入っても Boston Red Sox のDustin Pedroia ( 157試合 .326 17本塁打 83打点 ) Atlanta Braves の Chipper Jones ( 128試合 22本塁打 74打点 .364 は昨シーズン National League の首位打者 ) Boston Red Sox の Kevin Youkilis ( 145試合 .312 29本塁打 115打点 ) らが故障で離脱。
しかも国民から絶大な声援があった訳でもなく、球団経営者達は過敏な反応を示しクレームを付けまくる。 それでも故障を抱えながら必死に戦う David Wright や Ryan Braun そして2大会連続で大会に参加した Derek Jeter を見ると試合終盤は彼らに心の中で拍手を送った。8回には Braun, McCan の2塁打で2点を返し意地を見せたがその裏に Diter のエラーやイチロー、中島の安打で3点を追加した日本に最後はダルビッシュにしめられ決勝戦に辿り着く事が出来なかった。

日本は2大会連続で韓国の待つ決勝進出が決まった。 しかし私はまだまだ日米間の野球に大きな実力差があると“信じている”。 
もしシーズン中に今年選ばれる“オールスター”チームと対戦すれば世界中の代表チームを一蹴してしまうのではと思う。例えそれが日本でも韓国でもキューバでも。 真の日米対決…..私が元気なうちに実現する事を願う。