元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「嵐の中で」

2023-01-14 06:15:32 | 映画の感想(あ行)
 (原題:MIENTRAS DURE LA TORMENTA )製作は2018年で、2019年3月よりNetflixにて配信されている。珍しいスペイン製のSFミステリーで、一筋縄ではいかないストーリーが異彩を放っている。語り口も上手くて退屈はさせない。しかしながら、万全の出来ではない。まあ、本作に限らずタイムトラベル物が真に堅牢なプロットを提示することはあまり無いので、そのあたりは割り引いて考えるべきかもしれない。

 バルセロナの総合病院に勤める看護師のベラは、夫のダビドと幼い娘グロリアと共に、ダビドの友人アルトルの家の近所に引っ越してくる。ある嵐の夜、彼女は家に放置されていた古いテレビに見知らぬ少年が映っていることに気付く。しかも相手とは通話可能である。その少年ニコは25年前に隣人男性が妻を殺害する現場を目撃しており、その後間もなく車にはねられて死亡することを知っていたベラは、彼に外出しないように忠告する。



 翌朝、彼女が目を覚ますと何とグロリアは存在せず、そもそもダビドとは結婚もしていないことになっていた。どうやら過去が変わったことによって現在の状況が大きく影響を受けたらしい。ベラは娘を取り戻すべく、レイラ警部補と協力して事態の打開を図る。

 ひょんなことで過去との交信が可能になったという設定としては、2000年製作のアメリカ映画「オーロラの彼方へ」を思い出すが、筋書きはあの作品の方が理に適っていた。対して本作は、過去の改変によって現状は別物になったはずなのに、ベラの“内面”だけはそのままだ。このパラドックスに関して、映画は疑問を呈するだけで納得できる説明を行なっていない。

 終盤には怒濤の伏線回収モードに入るものの、細かく見るとアバウトな面が目立つ。そもそも、嵐が2つの時間軸をクロスさせるという設定ながら、その段取りとタイムリミットが上手く提示されていないので、サスペンスが盛り上がらない。しかしながら、ベラを取り巻く男女関係を前面に出したラブストーリーとして見れば、けっこうロマンティックで見応えがある。特にレイラの“正体”と、ベラとの今後の関係性を匂わせる処理は余韻が残る。

 オリオル・パウロの演出はスピーディーで、ドラマが停滞することは無い。主演のアドリアーノ・ウガルテは好演だが、相手役のチノ・ダリンとアルバロ・モルテが醸し出すラテン系美男のフェロモン(?)は女性層に対するアピールは高いだろう。
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「予告された殺人の記録」

2023-01-13 06:20:35 | 映画の感想(や行)
 (原題:Cronica de una Muerte Anunciada )87年フランス=イタリア合作。フランチェスコ・ロージ監督作品としては比較的珍しい純文学の映画化だが、見応えのある作品に仕上げられている。正直、今ではあまり映画ファンの間では記憶に残っているシャシンとは言い難いものの、決して悪い出来ではない。ただ、本作が公開された80年代後半には他にも(賞レースにおける)大作・話題作が目白押しで、影が薄くなったのは仕方がないとも言える。

 おそらくは20世紀前半の南米コロンビアの小さな町に、バヤルド・サン・ロマンという若い男がやってくる。彼は謎めいた風体であったが、実は相当な金持ちで、結婚相手を探して各地を旅していたのだ。広場を通りかかった若い娘アンヘラを見初めたバヤルドは、彼女こそ運命の人だと思い込みプロポーズする。

 気の進まないアンヘラを周囲は説得し、町をあげての婚礼がおこなわれる。しかし初夜で新婦が処女でないことを知ったバヤルドは、絶望して婚姻取り消しを申し出る。どうやら彼女の貞操を奪ったのは、富も名誉もある青年サンティアゴ・ナサールらしい。アンヘラの家族は名誉を守るため、サンティアゴの殺害を予告する。ノーベル賞作家ガブリエル・ガルシア・マルケスの同名小説の映画化だ。

 物語は古風な愛憎劇で、しかも25年ぶりに故郷に戻ってきた医師クリストの回想によって進められることもあり、神話的な雰囲気が横溢する。殺人事件が起きることを町の誰もが予想していたにも関わらず、止めようとする動きはない。警察すら捜査に乗り出した形跡も無いのだ。さらには、サンティアゴが本当にアンヘラの初めての男だったのかも不明。すべては町が孤立したロケーションにあり、閉鎖的な風土によって不条理な因果律が暴走したことによる。

 フランチェスコ・ロージの演出は、このカリブ海に面した風光明媚な土地柄とは裏腹の、偏狭で不寛容な空気をジリジリと描出する。そして、バヤルドとアンヘラの関係性の実相が示される終盤の処理は、一種のカタルシスになって強い印象を残す。ルパート・エベレットにオルネラ・ムーティ、ジャン・マリア・ボロンテ、イレーネ・パパスと、顔ぶれも実に濃い。

 サンティアゴ役のアントニー・ドロンはあの有名スターの二世だが、良い演技をしている。まあ、彼は映画俳優としては父親にとても及ばなかったが、彼の半生は映画並みに面白いようだ。パスカリーノ・デ・サンティスのカメラによる南国の美しい光景、ピエロ・ピッチオーニの音楽も万全である。
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「ロザリンとライオン」

2023-01-09 06:05:07 | 映画の感想(ら行)
 (原題:ROSELYNE ET LES LIONS )89年作品。2022年に惜しくも世を去ったジャン=ジャック・ベネックスの監督作はいずれも“語る価値のある”映画ばかりだが、本作も素晴らしくヴォルテージが高い。個人的には彼の出世作「ディーバ」(81年)と同格か、それ以上の出来かと思っている。聞けばDVD化もされていないとのことで、これほどの作品が現時点では目にする機会があまり無いのは実に惜しいことだ。

 マルセイユに住む気弱な高校生ティエリーは、ある日動物園の檻の中でライオンに鞭を振う若い娘ロザリンの姿を見て一目惚れしてしまう。何とかして彼女の近くにいられるように、自分も猛獣使いになることを決心した彼は、ロザリンの師匠フラジエに弟子入りすることに成功。しかし職場でのトラブルで2人は動物園を追われ、放浪の旅に出る。その後彼らは苦労の末にドイツの有名サーカス団に採用されるものの、現実は厳しくまだまだ試練は続く。



 年若い主人公たちが鍛練を積んで大舞台で活躍するという、映画のアウトラインは典型的なスポ根路線だ。しかし、実際観てみるとその印象は薄い。平易なストーリー展開よりも、映像の喚起力が半端ではない。エクステリアで観る者を捻じ伏せるタイプのシャシンだ。

 まず、ジャン=フランソワ・ロバンのカメラによる巧妙な画面構成と色使いに感心する。各ショットがそれぞれ一枚の絵のように練り上げられており、また色調の鮮やかさには目を奪われる。猛獣ショーの場面の臨場感は凄く、映画を観る者がまるで至近距離でこのアトラクションに接しているかのようだ。

 そして、ヒロインに扮するイザベル・パスコの存在が光る。半裸に近い格好でライオンと対峙するのだが、エロティシズムよりも野生動物と同等のしなやかさと危うさが横溢する。特に彼女の白い肌に浮かぶ汗にステージのライトが反射して輝くシーンなど、陶然とする美しさだ。ベネックスの演出は主人公たちを助ける英語教師の扱いなどにドラマ運びにおける個性を感じさせるが、おおむねストーリーを進める点では目立ったケレンは無い。ティエリーがメインとなるエピソードでは、静けさが目立つほどだ。その分、ロザリンの猛獣使いとしてのパフォーマンスはこれ以上に無いほどに盛り上げてくる。

 クライマックスは終盤の満員の観衆の前でのショーだが、スリリングなカメラワークとラインハルト・ワグナーによる効果的な音楽で場を高揚させた後、ラストで“背負い投げ的な”大仕掛けを持ってくる。パスコの他にも、ティエリー役のジェラール・サンドスやフィリップ・クレヴノ、ギュンター・マイスナー、ガブリエル・モネといったキャストは万全。いわば“青春スペクタクル映画”の傑作だ。
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「北の螢」

2023-01-08 06:15:48 | 映画の感想(か行)
 84年東映作品。タイトルだけを見れば、森進一の代表曲を誰でも思い出すだろう。だが、このナンバーが元々映画の主題歌であったことを知る者は、今ではあまり多くは無いと思われる。それだけ映画の印象は薄く、興行的にも成功したとは言い難い。ならば語る価値も無い作品なのかといえば、そうでもない。当時は宮尾登美子原作によるヒット作を連発して脂がのっていた五社英雄監督の仕事だけあって、最後まで惹き付けるパワーはある。題材と時代考証も興味深い。

 明治初期の北海道では国の施策として開拓が盛んに行なわれていたが、鉄道敷設工事に関しては屯田兵だけでは人員が足りず、服役中の囚人たちも動員されていた。石狩平野の空知にあった樺戸集治監もその事業に協力していたが、典獄の月潟剛史は暴君で、服役囚たちを酷使していた。ある雪の日、月潟は行き倒れていたゆうという女を助ける。



 実はゆうは京の祇園の芸妓で、収監中の元津軽藩士である男鹿孝之進を救出するため月潟に接触したのだった。彼女は男鹿に接見するが、何と彼はゆうに月潟殺しを持ち掛ける。一方、集治監には元新選組副長の永倉新八とその一派も潜り込んでいて、月潟は彼らに襲われて深手を負ってしまう。

 この映画には原作は無く、脚本は高田宏治のオリジナルだ。そもそも当時の東映社長であった岡田茂が、札幌に行った際に囚人の無縁墓地を見て思い付いたという企画。そのせいか、話に一貫性が無くエピソードがあちこちに飛ぶ。だいたい、このネタにしては登場人物が多すぎる。月潟とゆう、それに新八だけではなく、元新選組やら月潟の情婦やら、他の囚人たちに女郎屋の女たちに内務省の役人など、これは2時間の映画ではなくテレビの連続ドラマ並みのキャラクターの数だ。

 しかも名の知れたキャストを揃えているためにそれぞれ見せ場を作らねばならず、結果としてまとまりが無くなったのも当然だろう。果ては後半には突然熊が襲ってくるという“荒技”が挿入されており、その熊が本物でもCGでもなく“着ぐるみ”なのだから脱力する。とはいえ、そこは五社御大。骨太の演出と諸肌脱いでくれる女優陣、迫力ある立ち回りにより、退屈しない出来には仕上げている。地吹雪が舞う北海道の原野の描写にも惹かれる(ただし、ロケ地は北陸だ ^^;)。

 主演の仲代達矢をはじめ岩下志麻、夏木マリ、中村れい子、成田三樹夫、夏木勲、宮内洋、阿藤海、三田村邦彦、丹波哲郎、小池朝雄、早乙女愛、佐藤浩市、露口茂など、顔ぶれはかなり豪華。佐藤勝の音楽と森田富士郎による撮影も申し分ない。なお、ナレーションは夏目雅子が務めており、これが彼女の最後の仕事になった。
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「フラッグ・デイ 父を想う日」

2023-01-07 06:18:21 | 映画の感想(は行)
 (原題:FLAG DAY)ショーン・ペンの、アメリカン・ニューシネマ的な“アンチ・ヒーロー”のスタイルを再認識できる作品。しかも今回は監督作として初めて自ら出演しており、実子を家族役としてキャスティングしているという念の入れようだ。思い入れの強さが窺え、それだけ見応えはある。ただし、万全の内容かというと、そうではない。

 1992年、全米を揺るがした大々的な偽札事件の主犯であるジョン・ヴォーゲルが、公判を目前にして逃亡。それを知った娘のジェニファーは、父親と過ごした日々を思い出す。典型的な山師で、一攫千金を目指して頻繁に無謀なビジネスに手を出していたジョン。そのために家を空けることが多く、たまに帰ってきたと思ったら、話の内容は事業の失敗と負債のみ。そのため妻は愛想を尽かして家を出る。



 そんなロクでもない父だが、ジェニファーは子供の頃から大好きだった。母親の再婚相手とは馴染まない彼女はそれからも苦難の人生を歩むが、節目にはいつも父の存在があった。ジャーナリストのジェニファー・ヴォーゲルが2005年に発表した回顧録の映画化だ。破滅型で権力や既存の価値観にとことん刃向かうジョンの造型は、いかにもショーン・ペンが好みそうなキャラクターではある。そんな父親に複雑な感情を抱きつつも慕っているジェニファーも、肉親に対する愛憎相半ばするスタンスを良く表現している。

 しかしよく考えると、ジェニファーの父親への“評価”は、結局は一緒に過ごした時間が普通の親子に比べて少ないことが大きいのではないか。たまにしか会えないから、ジョンは娘にいい顔を見せようとするし、ジェニファーは父の荒唐無稽な話に目を輝かせる。同じ屋根の下でずっと生活を共にしていれば、互いに納得できない部分が表面化する。

 もっともジェニファーは大人になった後に父の無軌道な所業を知るのだが、それでもジョンを否定しきれないのは子供の頃の思い出があるからだ。反面、ジョンの妻パティやジェニファーの弟ニックの内面が掘り下げられていないのは不満でもある。ショーン・ペンの演出はドラマ運びは手慣れているとはいえ、脚本に深みが足りないのでインパクトに欠ける。

 ジェニファーに扮するのはショーンの実娘ディラン・ペンで、かなり健闘している。ニック役も実の息子のホッパー・ジャック・ペンだ。ジョシュ・ブローリンにノーバート・レオ・バッツ、エディ・マーサン、キャサリン・ウィニックといった脇の面子は手堅い。だが、映画としては物足りない。
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「ホワイト・ノイズ」

2023-01-06 06:31:40 | 映画の感想(は行)
 (原題:WHITE NOISE )2022年12月よりNetflixにて配信されているが、私は劇場での先行公開にて鑑賞した。監督が秀作「マリッジ・ストーリー」(2019年)のノア・バームバック、主演が同作でコンビを組んだアダム・ドライバーということで期待していたのだが、どうにも気勢の上がらない出来だ。変化球で攻めてきた題材を、何の工夫も無く受け流しているような感じで、評価するに値しない。

 おそらく時代設定は80年代前半。オハイオ州の大学に勤める教授のジャック・グラドニーは妻バベットと4人の子供と暮らしているが、実は夫婦共々複数の離婚歴があり、2人の間の実子は末っ子だけだ。ある日、町の近くで貨物列車の脱線転覆事故が発生。積んでいた有害化学物質が流出し、住民は避難を余儀なくされる。



 ジャックの一家もシェルターに身を寄せるが、それ以来彼は世の中に絶望して奇行に走り、避難騒ぎが終息してもマトモな生活を送れない。気が付けばバベットが怪しげなクスリを服用しており、ジャックはその真相を突き止めるべく奔走する。アメリカの個性派作家ドン・デリーロの同名小説の映画化だ。

 列車事故に伴う大規模な災厄が発生し、主人公一家がそれに巻き込まれて危機を突破しつつ家族との絆を再確認するとか、あるいは反対に修羅場に発展するとか、とにかく話がアクシデントを中心に進むはずだと誰でも思うだろうし、そっちの方がドラマとしてまとまりが良いはずだ。しかし、実際は事故云々は前半で尻切れトンボのまま放置され、バベットが所持しているドラッグにドラマの焦点が移り、そのまま最後までいくのかと思ったら、何やら同僚との微妙な関係とかがクローズアップされる。

 話があっちこっちに飛びまくり、まったく要領を得ない。別に展開がカオスであること自体が問題ではなく、上手くやってくれれば文句は無いのだが、そういう八方破れ的な作劇がサマになるのは、大風呂敷を平気で広げられるだけの才覚を持った一部の天才だけだ。残念ながらバームバックにその資質は無い。迷走の果てに奇を衒ったラストを見せられるに及び、時間を浪費したような愉快ならざる気分になった。

 主演のA・ドライバーは頑張ってはいるが、映画の中身がこの有様なので徒労に終わっている感がある。それにしても、彼の突き出た腹には苦笑してしまった。特殊メイクなのか、あるいは“肉体改造”なのかは知らないが、本作で印象的だったのはその点だけだ。妻役のグレタ・ガーウィグをはじめ、ドン・チードルにラフィー・キャシディ、ジョディ・ターナー=スミスら脇のキャストも精彩を欠く。ダニー・エルフマンの音楽は平均的な出来。
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「勝利への脱出」

2023-01-02 06:09:33 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Escape to Victory )80年作品。第二次世界大戦中に、捕虜となっていた連合軍兵士とドイツ代表との間で行われたサッカーの試合をネタにした娯楽編だが、現時点で考えるとタイムリーな題材だ。2022年に開催されたサッカーワールドカップの余韻があることは別にしても、この映画は実際の出来事をモデルにしており、それは1942年に行なわれた国際試合で、場所はウクライナだ。

 地元のプロチームとドイツ空軍選抜との間で試合が催されたのだが、ドイツ側は完敗。ドイツ軍はその腹いせとして相手チームのメンバーを強制収容所送りにしたという。他国に蹂躙される悲劇と共に、侵略勢力のプロパガンダに利用されるスポーツの在り方について考えざるを得ない。



 1943年、ドイツ軍情報将校フォン・シュタイナーはドイツ代表対連合国軍捕虜チームとの親善試合を思い付く。もちもん目的は独軍のPRで、会場は当時ドイツ支配下にあったパリだ。捕虜のリーダーである英国大尉コルビーはこの提案に同意するが、実は裏で大々的な捕虜脱走計画に加担していた。米軍大尉ハッチは外部のレジスタンス組織と連絡を取りつつ、自身はゴールキーパーとして試合に出場する。

 一応はマイケル・ケインとシルヴェスター・スタローンという有名俳優を配してはいるが、主眼は本物の元プロ選手が大挙して出演し、妙技を披露していることだ。2022年末に世を去ったスーパースターのペレをはじめ、元イングランド代表のボビー・ムーア、スコットランド代表のジョン・ウォーク、アルゼンチン代表の主力だったオズワルド・アルディレス、ベルギー代表のポール・ヴァン・ヒムストなど、サッカー好きならば思わず膝を乗り出すような面子が揃っている。彼らに釣られてかスタローン御大も汗まみれで頑張っているのも面白い。

 だが、このキャスティングは単なる話題集めではなく、ドラマにリアリティを持たせるための手法に過ぎない。そこは名手ジョン・ヒューストン監督、豪華な顔ぶれに寄りかかったような作劇には無縁である。試合の展開は当初ピンチになるが後半盛り返すという、スポ根ものの王道を歩んでいるが、終盤には予想を裏切るような“仕掛け”が用意されており、存分に楽しませてくれる。まあ、よく見ると納得のいかない箇所もあるが(笑)、勢いで乗り切ってしまう。

 ジェリー・フィッシャーによる撮影はソツがないし、ビル・コンティの音楽は盛り上がる。なお、ウクライナに侵攻したロシアは国際スポーツの現場から今は閉め出されているが、少し前にはスポーツが国威発揚の道具になるのが当然だった。覇権主義の国にとっては、スポーツの存在感は我々とは違う次元に属している。
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「ブラックアダム」

2023-01-01 06:07:56 | 映画の感想(は行)
 (原題:BLACK ADAM)正直あまり期待していなかったのだが、実際観てみると面白い。深みは無いものの、単純明快で理屈抜きに楽しめる(ダーク)ヒーロー編だ。少なくとも、筋書きの帳尻合わせに多大な上映時間を費やした挙げ句に成果があがっていなかった「ブラックパンサー ワカンダ・フォーエバー」よりも、数段良心的な内容である。

 北アフリカのエジプト近くに太古の昔から存在していたカンダック国では、5千年前に時の王が大きな力を与えるといわれる“サバックの冠”を作るため、奴隷たちにその原料の鉱石“エテルニウム”を探す過酷な労働を強いていた。そんな中、奴隷の一人がエテルニウムを発見したことにより、反乱が勃発。当事者は異世界でシャザムの力を与えられ超人テス・アダムに変身し王を倒すが、そのまま彼は封印されてしまう。



 そして現代、5千年の眠りからテス・アダムは破壊神ブラックアダムとして復活する。圧倒的なパワーで暴れ回る彼を人類の脅威とみなした国際特殊機関JSA(ジャスティス・ソサイエティ・オブ・アメリカ)は、4人のヒーローをカンダックに派遣し事態の収拾を図る。

 ブラックアダムはDCコミックスが生み出したアンチヒーローだが、今まで映画に登場したことは無かった。JSAの4人のエージェントたちも初めて見る顔だ。ならば取っ付きにくい題材なのかというと、そうではない。ゼロからドラマを立ち上げる必要があるわけで、その分筋書を練り上げなければならない。結果として、この手の映画にありがちな“一見さんお断り”の姿勢が影を潜め、平易な展開に終始しているあたりは評価して良い。

 ブラックアダムの力は強大だが、ちゃんと弱点もある。敵役も“それなりの背景”を持っていて、誰でも納得できる。また、舞台を既存の先進国ではなく現在でも専制政治が行なわれている架空の発展途上国に設定したのも正解だ。これならば、多少浮世離れした筋立ても笑って済まされるだろう。

 ジャウム・コレット=セラの演出は才気走ったところは無いが、的確にドラマを進めている。アクション場面のアイデアは申し分なく、映像のキレも良い。そして何よりキャスティングが出色。主役のドウェイン・ジョンソンはあの面構えとガタイだけで十分な存在感を発揮しているし、オルディス・ホッジにノア・センティネオ、クインテッサ・スウィンデルといったJSAのメンバーに扮している面々も違和感は無い。

 そしてピアース・ブロスナンが儲け役。まさしく引退後のジェームズ・ボンドみたいな出で立ちだ。ラストには“あの人”が思わせぶりに登場するエピローグが付与されているが、DCコミックスの映画化自体の今後が不透明であることが伝えられており、素直に“これからも楽しみだ”と言えないのが辛いところだ。
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